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41歳でADHDとわかるまでの話 その3:まさかの ”D” だった。空白の40年を埋める記憶の旅

 ”D” ですね。

おれも、 ”D” だったのか・・・!

脳が多動なので、カウンセラーのCさん(仮名・適当)にそう言われると、ついうっかり大人気漫画で自分も大好きな「ワンピース」のことを考えてしまい、その後数秒、Cさんの話の内容は飛んだ。

 

前回まではこちら。

sittaka-travel.com

 

”D” はまた嵐を呼ぶ。

そう、 ”D” とは、欠如「deficit」の ”D” だったのだ。これって、シリーズ最大のネタバレじゃない(正確にはADD・不注意優勢)?

 

・出張先に違う材料を送っていて部下に持ってきてもらう

・明日メーカーさんが来るのに、残業もたけなわの20時に気が付いた

・事例を書きたいのに気が散ってパッと思い出せない(今!)

 

”D” は常に混乱の渦中でとぐろを巻いていた。

 

ネット上にあるセルフチェックでADHDの可能性があります、と、何度やり直しても出るから、概ねそうなんだろうと思って、それを前提でカウンセラーのCさんにお話をした。

最初のカウンセリングの時には、多動は無いけど不注意はありそうだと伝えた。

 

最初のカウンセリング。4月崩れから15日目

Cさんはとてもクレバーな方で、どんな話をしてもパッと理解してくれるようで、カウンセリングはとんとん拍子に進んだように思える。

「浦賀さんは、レジリエンスがあるんです」

「レジスタンス?なんですか、それ」

「わからないですよね。レジリエンス。回復力のことです」

 

不思議だったんだ。もうだめだと思っているのに、翌日は元通りに戻っているのだ。このカウンセリングを受けている時も、なんだかもう、普通に会社いけちゃうんじゃなかろうか。とさえ思っている。

 

「でも、気のせいだから、行っても元通りですよ。何も変わってないんだから、同じ日々に戻るだけです(キッパリ)」

 

ゾッとした。

 

地獄のような、思い出したくもない日々

地獄という場所がどういうところか知らないけど、あの日々、どうにもできないあの日々のことを思い出すと、地獄だってあそこよりはもう少しマシなんじゃないかとさえ思える。

 

回復したとて、なのだ。

 

私の場合、一見回復力が高いから大丈夫そうに思えるが、溜まりにたまって限界まで来ているダメージはそのままだ。この状態で会社に行くのはHPの❤が半分なのに、ふんどし一丁で戦場に繰り出すのに等しい。

 

この時期、家でもまだ不安定だった。妻や子供2人を大声で怒鳴り、いたたまれず家を飛び出したりしていた。

 

マヌケなのは、行く当てもなく浦賀港でしばらくたたずんでいたら父に連れられて釣りに来た思い出がよみがえって物思いにふけっている間に割とどうでもよくなってきた。回復力とはこのあたりの無頓着さのことかもしれない。

 

カウンセリングで生い立ちから今を総ざらい

カウンセリングでは、自分のADHDの傾向を、自身の生い立ちや実際にあった出来事、幼稚園、学生時代、物心ついてからの状況、会社に入ってからの状況。その時に感じたことなど、家族や他社からの評価など、ものすごく色々なことへの質問、回答、時に雑談を織り交ぜたり、1時間半くらいだったけど、あっという間で、終わってからはヘトヘトだった。

 

多分、最初に自分自身である程度方向性が決めていたので、実践的なカウンセリングをしてくれたのだろう。もっと落ち込んだりしていたら、別の対応になったかもしれない。フレキシブルな方だ。

 

カウンセリングルームは病院ではないので、診断などはできない。自宅からなるべく近く、信頼できる心療内科の先生を紹介してもらった。

 

ADHDの診断の資料として、心理検査をやってもらえるというので、医療機関よりはお金がかかってしまうけど、はやる気持ちがあるのと、Cさんは信頼できそうなので自分をさらけ出すつもりでお願いすることにした。

 

ちょっと文章がまとまらないね。書きたいことがあっちこっち飛ぶからかな。でもこれも一つとして残しておこうと思う。できるだけまとめたいけど、これくらいかなって自分の納得しちゃえるところで進めたいと思う。

 

つづく👇

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