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江戸城をガチでめぐる[後編]~千鳥ヶ淵から桔梗門・日比谷濠~ 特別史跡たる所以

 江戸城をめぐり、靖国神社に参拝するガチめぐりシリーズの第3回は、江戸城をめぐる後編。 これまでの2回は下記の記事を読んでね!

sittaka-travel.com

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おさらいになるが、北の丸の北端・田安門の東側の濠は牛ヶ淵、西側は千鳥ヶ淵である。田安門を出てすぐの所に銅像が2つ。一つは長州藩出身で子爵となった品川弥次郎の像。

江戸城北の丸 子爵品川弥次郎像

子爵品川弥次郎像 2012.12.11撮影

もう一つは薩摩藩出身で、日露戦争では満州軍総司令官を務め「陸の大山、海の東郷」と称され元老となった大山巌の像。いずれも江戸徳川幕府を滅ぼした側が、その主城であった江戸城の北を護っているというのが面白い。

江戸城北の丸 元帥陸軍大将大山巌公像

元帥陸軍大将大山巌公像 2021.12.11撮影

写真は2021年の冬の朝のものだ。千鳥ヶ淵から、この時は東京タワーを眺めることができた。

江戸城 千鳥ヶ淵から眺める東京タワー

千鳥ヶ淵から東京タワーを眺める 2021.12.11撮影

この先は、江戸城の西側だ。この辺りの濠は「千鳥ヶ淵」と呼ばれている。江戸が開府され、拡張されていく際に先程の田安門とこの先の半蔵門の土橋で川をせき止めて造られた。

江戸城 千鳥ヶ淵緑道

長大な千鳥ヶ淵を歩く

戦後の開発の凄まじさは、千鳥ヶ淵に首都高都心環状線が平気で走っていることからもわかる。

 

 

 

明治以降の日本は、どこかなりふり構わない所があり、この点、戦前も戦後も変わらない。最近ではないか。目に見えて貴重な文化財以外の遺構にも気を配るようになったのは。

江戸城 千鳥ヶ淵に走る首都高都心環状線

都心環状線が走る

千鳥ヶ淵と、その先の半蔵濠はかつて繋がっていたが、代官町通りの道路建設のために1900(明治33)年に埋め立てられ、別離となった。

江戸城 半蔵濠

代官町通りを隔て南側が半蔵濠

半蔵濠からは、国会議事堂が顔を出しているのが見える。また、東京タワーも、上の部分だけは見える。

江戸城 半蔵濠から眺める国会議事堂

半蔵濠から国会議事堂を眺める

[前編]の牛ヶ淵でもふれた、三段構えの鉢巻石垣・腹巻土塁・腰巻石垣の土居構造がここでも見られる。これほどのスケールで観ることができるのは当然この江戸城だけだ。腰巻石垣が草でちょっと見にくいけど。

江戸城 半蔵濠 鉢巻石垣・腹巻土塁・腰巻石垣!

観てくれこの見事な鉢巻石垣・腹巻土塁・腰巻石垣!

やがて、将軍家がピンチの時に甲州街道へ遁走するために設置されていたという半蔵門に至る。別名・麴町御門とも呼ばれたが、服部半蔵正成と正就の父子がこの門を警備し、配下がこの門外に組屋敷を構えたことから、門だけでなくこの近辺の地名まで半蔵門となっている。

江戸城 半蔵門の土橋

半蔵門の巨大な土橋

現在の半蔵門は、東京大空襲により焼失し、和田倉門か吹上門を移築した高麗門が残るのみである。こうして考えると、アメリカは空襲で皇居を外したというが、ちょっと疑わしいんじゃないかと思ったりもする。

江戸城 半蔵濠から半蔵門

半蔵門を眺める。

京都も貴重な文化財が多いからとかもっともらしいことを言うが、原爆投下の候補地でもあった。最終的にそういう力学の元で狙われなかったのかもしれないが、狙うこともあったのではないか。そもそも文化財は残して人は焼き払うとはこれ如何に。

江戸城 半蔵門 皇室の皇居通用口として使用される。

半蔵門は皇室の皇居通用口として使用されている

ちょっと主題から外れるのでやめておこう。半蔵門は皇室の皇居通用口ということもあり、警備は厳重であった。忠誠心が篤かった服部半蔵の時代もさぞかし厳重だったろうな。

江戸城 桜田濠

桜田濠へ

半蔵門の南は、桜田濠となる。底部の幅115m、上部215mという呆れた広大さは江戸城内でも最大の規模である。半蔵濠とも同様に、自然の谷の地形を活かしているので土居の構造である。

特別史跡 江戸城跡碑

特別史跡 江戸城跡の碑

桜田濠沿いを歩いていると、「特別史跡 江戸城跡」の石碑がある。私は若い頃にこの石碑と出会い、「特別史跡」という史跡の国宝と言えるものが存在していることを知ったのだ。

江戸城 桜田濠 半蔵門方面

桜田濠 半蔵門方面

このあまりにも巨大な土塁を攻めようなんて、そりゃ思わないだろうけど、江戸幕府も末期になると、この桜田濠界隈に屋敷を構えた彦根藩邸から桜田門を目指した大老・井伊直弼暗殺の舞台になるのだから歴史は一絡げでは語れない。

江戸城 桜田濠から桜田門を遠望

桜田門を遠望

井伊藩邸から桜田門までは、せいぜい500m程度。この間を刺客に狙われ、井伊直弼は討ち取られてしまう。1860(安政7)年3月3日。世にいう「桜田門外の変」であるが、この事件は単に大老が暗殺されたという事実だけにとどまらず、幕府の終焉の近いことを、広く大衆にまで知らしめることとなるのである。

江戸城 桜田濠から桜田門

高層ビルと桜田門

高層ビルを借景にたたずむ桜田門。正確には「外桜田門」という。後で触れるが「内桜田門」もあり、通常は「桔梗門」と呼ばれる。

江戸城 重要文化財に指定されている外桜田門

外桜田門が正確な呼称。

外桜田門は、渡り櫓が関東大震災で破損し改修されているものの、高麗門が現存するなど保存状態が良好で、歴史的にも貴重な建造物であることから、重要文化財に指定されている。

 

 

 

実際は外桜田門を横目に、日比谷濠へ抜けて行ったのだが、ここから少しの間、2021年の春に撮影した写真で外桜田門から門内の内桜田門である桔梗門まで行ってみよう。

江戸城 外桜田門 2021.3.25撮影

外桜田門 2021.3.25撮影

古代、桜田郷と呼ばれていたことから、(外)桜田門と呼称された。大正12(1923)年の関東大震災で破損したが再建され現在に至る。

江戸城 外桜田門 渡櫓

外桜田渡櫓門 2021.3.25撮影

大小の石垣を切込接で美麗に積んでいる。規則性のない美。こういう積み方と、整然と対象的に積むのと、どちらが大変なんだろう。

江戸城 外桜田門渡櫓の石垣

桜田門渡櫓の石垣 2021.3.25撮影

桜と名が付いているだけあって、桜が望めるのは風情があっていい。居城の櫓門にふさわしい規模感を味わいたいなら桜田門の桝形をくぐってみるのが一番かも。桜田門内は、かつて西の丸下とか言われたみたいだが、今は皇居外苑と一般的に呼称されている。

江戸城 西の丸下から眺める桜田門渡櫓

西の丸下から桜田門渡櫓 2021.3.25撮影

皇居外苑の目玉はもちろん、二重橋だろう。橋はお堀(二重橋濠)の前後に架かっている。手前は正門石橋、奥は正門鉄橋で、実は奥がいわゆる「二重橋」と呼ばれる橋のことで、橋が2つ架かっているから二重橋というわけではない。

江戸城 皇居外苑 二重橋

皇居外苑 二重橋 2021.3.25撮影

(そ、そうだったのかぁ!!)・・・二重橋とは、橋の構造が二重構造になっているように見えたことから、そう呼称されている。「そう見えた」だけだったのだ。しかもよく見る構図からはあまり見えてない。

江戸城 皇居外苑の二重橋と伏見櫓

二重橋は後ろだったのだぁ! 2021.3.25撮影

伏見櫓は豊臣秀吉が京・伏見に築いた伏見城の一部を使用したというもので、「伝」伏見櫓ということになるが、関東大震災で倒壊しているとはいえ、これも貴重な現存の櫓ということになる。

ちなみに2021年からさらに遡ること9年前の2012年に来た時は、当時彼女だった妻を連れて、イルミネーションそっちのけでこの二重橋のライトアップを拝みに行った。

rekishitabi.blog.fc2.com


都道を挟んだ南端には、楠木正成像。後醍醐天皇への深い忠誠心を持つ正成がこの地を守護しているのだ。銅像は、正慶2(1333)年に隠岐の島から戻った後醍醐を兵庫の道筋で出迎えた雄姿を切り取ったものという。

江戸城 楠木正成像

楠木正成像 2021.3.25撮影

坂下門でも、実は変が起きている。文久2(1862)年2月13日。老中安藤政信が襲われ背中を負傷した事件だ。彼は井伊直弼の開国路線を継承し公武合体政策を主導していた。政治をする人ってのは、命がけですね。安藤さんは背中の傷は武士の恥だ!とされ、後に罷免されてしまいます。

江戸城 蛤濠から眺める坂下門

蛤濠から坂下門 2021.3.25撮影

内桜田門は、本丸南口の通用門で、大手門と並ぶ登下城の門だったため、6~7万石の大名が警固に当たっていた。現在は皇居一般参賀の時に開かれている。こちらも関東大震災で大破し、復元されてはいるが、文化財には指定されていない。

江戸城 桔梗門(内桜田門)

内桜田門は桔梗門 2021.3.25撮影

江戸城の各所に遺り、あるいは復元されている城門や櫓を見ていると、築城以来、それなりに艱難を乗り越えてきているなぁという印象を受ける。天守をはじめ、火事で燃え、地震で倒壊し、空襲で焼き払われている。

 

 

 

それでも現代にその姿を辛うじてとどめ、今こうして東京のど真ん中に特別史跡としてその歴史を伝えているその姿。感慨を深く籠めざるを得ない。

江戸城にあった19の櫓の内、残ったのはたったの3である。前編と先ほど触れた「富士見櫓「伏見櫓」、そしてこの巽櫓(桜田二重櫓)だ。

江戸城唯一の現存する隅櫓・巽櫓(桜田二重櫓)

巽櫓(桜田二重櫓) 2021.3.25撮影

江戸城の隅櫓としては唯一の現存遺構で、初重(1階)部分の規模は高知城天守なみ、高さは弘前城天守なみと、隅っこに置かれた櫓のくせにそこいらの天守なみに立派だったのだ。現在では、3つの櫓の中で、最も近くで眺めることができる。

江戸城 桔梗濠から眺める桜田二重櫓

桔梗濠から桜田二重櫓 2021.3.25撮影

何度めぐっても足りないなぁと思うのは、この巽櫓と桔梗門、富士見櫓をいっぺんに眺められるアングルがあるのに、気が付かずに通り過ぎてしまっている自分が情けない。この桔梗濠の南端近辺に立てば良いだけだったのに。忘れっぽさもあるし、うっかりもあって、一発で全部制覇したな!ということが無い(苦笑)

過去への寄り道から、桜田門へ戻る。桜田門から皇居外苑に入らず、日比谷方面へと歩みを進める。日比谷濠は元々桜田門から先ずっとだったが、日露戦争の戦勝記念に凱旋道路が皇居外苑を縦断した時にできた、というより名前が濠とともにわかれた。

江戸城 凱旋濠

凱旋濠

凱旋濠には藻がたくさん生えていて、亀とは明らかに違うスッポンもいた。こいつはニホンスッポンというらしく、東京都の絶滅危惧種Ⅰ類に指定されている。

江戸城 凱旋濠のすっぽん

凱旋濠のニホンスッポン

お濠の生物については下記「環境省 皇居のお濠」を参考にしました。

https://www.env.go.jp/garden/kokyonoohori.pdf

江戸城 凱旋濠 小さな魚たち(種類判別できず)

小さな魚たちも泳ぐ

こちらはミシシッピアカミミガメ。ほかにも、環境省レッドリスト準絶滅危惧種のニホンイシガメも、江戸城のお濠には生息している。上記のHPを観ていて「へぇ」と思った幾つかの生物を挙げていくと・・

江戸城 凱旋濠 ミシシッピアカミミガメ

ミシシッピアカミミガメ

カワセミ、二ホンウナギ、モズクガニ、テナガエビ、ヘイケボタル。そして、ヒカリゴケ。ヒカリゴケは「江戸城跡のヒカリゴケ生息地」として、国の天然記念物に指定されているが、その貴重さゆえ、生息地は江戸城跡の石垣という以外は公表されていない。

江戸城 日比谷濠の南端

日比谷濠の南端

ようやく、日比谷濠の南端まで来た。靖国神社から相当急いだが、それでも45分。靖国神社の時間を差し引いてトータル2時間半。これで内濠の中だけで、しかも網羅しきれていないのだから、あきれたスケールだ。

ということで、靖国神社へ参拝しに行って思わず江戸城もしっかり巡ってしまった5月28日の晴天の日でございました(オマケ有か?)。

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旅のメモ📝
🏯江戸城 ~メモ~ 🏯
私の所要時間 45分(北の丸~日比谷濠)
住所 東京都千代田区千代田1-1
公開時間
(皇居東御苑)
3/1~4/14    午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
4/15~8月末   午前9時~午後6時(入園は午後5時30分まで)
9/1~9月末     午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
10/1~10月末 午前9時~午後4時30分(入園は午後4時まで)
11/1~2月末   午前9時~午後4時(入園は午後3時30分まで)
休園日
(皇居東御苑)
月・金曜。12/28~1/3。
天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開。
月曜が休日で公開する場合は、火曜休園。
入園料 無し
駐車場 無し
アクセス 東京駅、大手町駅から徒歩数分。
ホームページ 皇居東御苑 - 宮内庁
特別史跡江戸城跡|皇居外苑|国民公園|環境省
👑江戸城の称号 🔱
重要文化財 (今回紹介した部分のみ)外桜田門
国指定特別史跡 江戸城跡
現存建物 (今回紹介した部分のみ)半蔵門(伝和田倉門)、外桜田門、伏見櫓、坂下門、桔梗門、巽櫓
日本100名城 (21)江戸城