鳴子峡をお散歩したあとは、奥の細道の史跡「尿前の関(しとまえのせき)」へ行ってみる。
筋目論でいくと、奥の細道をちゃんと歩いてたどり着きたいところだけど、奥の細道踏破は、いつか必ず成し遂げるので、今回はその下見。という こじつけ 位置づけ。

古道沿いの史跡を訪ねるときの楽しみの一つは、旧道を歩けることだ。往時の人々がどんな道を歩いたのかをしのぶことができる。
尿前とは珍しい地名だけど、源義経の伝説で、この地で生まれたばかりの義経の子・亀若丸がおしっこをしたことからというものや、アイヌ語に起因する「山裾にある処」といった意味があるようだ。

おー♪これこれ、こういう感じを味わえるのが良いんだよねぇ!まてまて、け、結構旧な坂道なのね。

駐車場から整備された山道を3分も降れば安心のコンクリートロードに出て、その斜め向かいに、尿前の関がある。

「おくのほそ道」出羽仙台街道中山越・尿前の関跡の説明板によると、この街道は、多賀城から出羽柵への最短ルートであり、奥州山脈の中の最低部を切り開いて造られている。

出羽と陸奥の境目にあり、軍事・交通の要衝であるこの地に関所が置かれたのは、江戸時代。寛文10(1670)年のことである。

門柱をくぐると、尿前の関の跡地を眺められる。今はまっさらになってしまっているが、この地で松尾芭蕉は門人の河合曾良と共に、大変厳しい取り締まりを受けたと伝わっている。

タカタカと石段を下りて、右手の石碑を観に行ってみる。松尾芭蕉と尿前の関のこと、江戸末期の頃の関署の想像図、伊達藩尿前番所のことなどが刻まれている。

もう一方は芭蕉の像と、尿前の関で苦戦した「南部道遙にみやりて・・・」からはじまる紀行文が刻まれている。まれにしか旅人が通らないこの道を通過しようとする芭蕉一行を怪しんだ関の役人に足止めされながらも何とか許された。

やっとのことで関所を越えて行ったが日が暮れてしまい、国境の番人の家に宿を頼むが、その後3日間も風雨によって足止めを食らい、よほど不快だったのだろう
「蚤虱馬の尿する枕もと」
ノミやシラミがうぜぇ、しかも枕元で馬がしょんべんする音まで聞こえる。なんて日だ!といった感じの、一行が苦難続きの道程に辟易する姿が目に浮かぶような句を残している。
そんな道を、私は楽して車で来てひょいと見てヒラリと帰ってゆくのだ。
松尾芭蕉。旅の途中でよく会うおじさんのひとりだ。また会いましょう。では。
つづく👇
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旅のメモ📝
| 🛣 尿前の関 ~メモ~ 🛣 | ||||||||||
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| 私の所要時間 | 12分 | |||||||||
| 住所 | 宮城県大崎市鳴子温泉尿前140 | |||||||||
| 見学時間 | いつでも | |||||||||
| 駐車場 | 国道47号沿いに充分あり。 | |||||||||
| アクセス | 陸羽東線鳴子温泉駅 徒歩約20分 東北自動車道古川IC 車40分 |
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| ホームページ | 尿前の関(尿前御番所跡)/大崎市 | |||||||||