4月下旬からずっと会社をお休みしていたけど、明日から社会へ戻っていきます。ちょっと長くなりますが、明日からの新しい日々に向けて、決意表明と自分への楔として、また思い出として書き置きたいと思います。
ほぼ3ヶ月の間、長男を学校へ、次男を幼稚園へ、送り、迎え、彼らの成長をしかとこの目で見ることができました。考えてみれば、この期間は神様から与えられたような、そんな稀で、貴重な時間だったと思います。
長男は、この春小学校2年生になり、ようやく1人で学校に行けるようになりました。それまでは、ほとんど妻が送ってくれていたけど、やっとです。マイクラで造る家や建物が、どんどん進化していき、こいつ天才じゃないか、と真剣に思います。自転車は、よし、このわしが昭和の根性論で教えてやろう!との親父の無駄な決意をよそに、ほとんど教えることなく、勝手に乗れるようになりました。
次男は、この春幼稚園に入り、園バスを楽しみにしていたけど、怖くて乗ることができず、妻が送り迎えをして、5月からは園バスに乗ろうね、と約束をしていました。私が休み始めてから、4月の内は私が送り迎えをして、5月からは予定通り、園バスに乗ってくれるようになりました。
彼らは、毎日何ミリかずつ背丈が大きくなっていき、同時に、できることもどんどん増えていきました。そんな素晴らしい時間を、わずかだけど普通より濃密に、一緒に過ごすことができたのは、本当に幸せな時間でした。
2人を送ったあとは、洗濯物の続があれば少しやって、ブログに着手するか、勝手に課題図書にしていた「名探偵コナン」を読むのが日課でした。ブログは、それはもう書きまくって好き勝手自分の世界に没頭して、1日あっという間に過ぎて行き、購読している方のブログでは、新たな学び、気付き、もっと砕けて言うと、面白おかしくて、色々なことに興味が持てました。
リビングでブログを書いていると(妻は2階でお仕事)、お昼過ぎに近所の幼稚園の子が帰ってきて(うちは夕方まで保育)、その後に小学生が帰ってきて、その声が時報みたいになって、そろそろ洗濯物を取りこんで、またブログを書いたり、少しネトフリでドラマを見たりして過ごしました(ホットスポットを父の勧めで見て面白かった)。
長男は途中から学童に行きたがらなくなったので、3時過ぎくらいに帰ってきてテレビ・ゲーム。学校を休みたがったら、休んで2人で日帰り旅をしたりもしました。
次男は、主に自転車で迎えに行って、平作川やJR横須賀線、京急の踏切を眺めながら寝ちゃったり。本当は、私が休んでいるので保育をしないか、早く迎えに行くべきところですが、なにせ私も療養中なので、ここは少し甘えることにしました。
夕方、今まで全然できなかった料理を、少しだけするようになりました。カレー、そぼろ、パスタ、お味噌汁、、、要領が悪いので、本当に簡単なものばかりで家族に申し訳ないですが、重たい腰さえ上がればけっこう面白いなと思えたので、これからもっと色々作れるようになりたいです。
別パターンの日は、もちろん旅行や日帰り城めぐりなど。働いていない身でプラつくのはアレなんだけど、カウンセラーさんからの「好きなことをして過ごすのも大切」を錦の御旗として、妻にお願いして出かけました。
・唐沢山城
・江戸城、靖国神社
・品川台場、レインボーブリッジ遊歩道
・石垣山城
・白河小峰城
・宮城ひとり旅
・本佐倉城、佐倉城
・浜松城
・豊田城、SLキューロク館、笠間稲荷神社、笠間城
・小網代の森
・要害山城、躑躅ヶ崎館、甲府城
・ゴジラ・ストアEXPASA足柄 出張所
・神岡~北陸♂3人旅
・観音崎や衣笠城など横須賀風物百選めぐり
リハビリには十分すぎるくらい、行きたい場所へ行って遊びまわりました。リゾート地や離島なんかを選ばなかったのは、ここだけの話、妻や家族と行きたいからで、自分一人や子連れで行くのは、もっと泥臭く地を這うような(あ、表現悪いですね)、言い換えると、この日本の大地に根を張ったような所へ旅行をするようにしました。
少しずつ記事にしていきますね。
この記事は、29日からふと思い立って、この日々の記憶を残しておこうと起草(なんてガラのものではないけど)しました。
ブログを書いているリビングは、5月、6月は割と快適でしたが、7月に入ると、昼過ぎから暑くなりはじめて、29日は15時ごろから17時で32.7℃。暑いけど、多分私の感覚は少し狂っているのかもしれません。扇風機で十分かなと、時々はクーラーにしましたが、ほとんどは付けず、妻に熱中症になるよおじさんと注意されたりしました。
正直、あの地獄にも勝る4月までの日々に比べたら、こんな暑さ、辛いうちに入らないと思っています。死ななかったのを褒めたいくらいです。大切な人が何人もいて、励ましてくれる人が何人もいて、辛かったけど、まぁ、大げさな表現だったかな。
死のうとは一瞬も思いませんでした。
でも、本当にきつかった。仕事がうまく行かないというのは、本当につらかった。自分で、「これくらいの役職なら、この程度は最低限できなきゃ」と思う水準に、全く届かない。多くの人から総スカンを食らう、(少し被害妄想を承知で言うと)揚げ足をとられる。
あの苦しみ。
自分が仕事を出来ない苦しみ。
発達障害だからとか、慣れていないとか、そんなことより、とにかく悔しかったんです。
でも、それらはこの3ヶ月でリセットとなりました。
充分に休み、ある程度好きに過ごして、役職は全部解任となりました。
気持ちの整理も付きました。
役職は守るべきものじゃない。そこで戦えないなら、別の場所で戦える。
他に役に立てる方法がある。そう思えました。
私は今、41歳。
まったく、ひどい厄年の前後3年間でした。
ここから、再スタート。気合い入れすぎず、静かに初めていきたいと思います。
後半生。
前半生も素晴らしかったけど、きっと、後半生も素晴らしいでしょう。
今の地位は守れなかった。きっと、もっとうまく立ち回る方法もあったかもしれません。でも、「後悔」はちっとも無いんです。無論、「悔しい」はありますが。
挑戦して、その結果、だめだった。
挑戦した。「個」は守れたと、そう思うんです。
だからまた、戦える。次へ。
では、行ってきます。
そして、このブログを立ち上げた経験や、皆さんとの出会いは、この期間で得た素晴らしい財産の一つとなりました。
これからもよろしくお願いします!
(さすがにちょっと緊張するなぁ)