気仙沼には、震災の前も後も遊びに来て、「リアスシャークミュージアム(当時)」とかフカひれラーメン、穴子丼なんかを食べた記憶がある。「気仙沼らーめん」を食べた、駅前のお店は無くなってしまったようだ。

今回は、市街地には立ち寄らなかったが、高台から街を眺めてみようと思って住宅街の道を上り、気仙沼市復興祈念公園へと行ってみることにした。
駐車場に車を停めて、丘に造られた階段を昇る。
頂上には祈りの帆ーセイルーという白く大きなモニュメントや、犠牲者の銘板が設置されている。

標高約59m、陣山にある公園には、伝承彫刻という「震災の記憶を想起させ、語り継ぐための彫刻(HPより)」が設置されていて、複数年かけてさらに制作・設置する予定という。
私が丘に上り、真っ先に目に入ったのが「ごめんね」という彫刻だった。

ごめんね、とは、なんと悲しい言葉であろうか。
彫刻に対応する内容が下記に記載されている。
私はしばし、ぼうぜんとした。
あの震災の時に、このような悲しいことが、たくさんあったのであろう。
大切な人を失い、助けられなかったことを悔やみ、自分を責め、謝っている。

悲しみの量が多すぎて、私はしばらく泣き耽ってしまった。
どうか自分を責めないでほしい。
私なんかが何か言えることなど何もないのだが、そんな風に思うのが精いっぱいだった。

気仙沼市の人的被害は住民登録されている人を基準に、令和5年8月31日時点で、1,356人(内訳:直接死1,033人、関連死111人、行方不明者212人)と発表されている。

気仙沼市に押し寄せた津波は、最大22.2mだが、多くの所で10mを越えている。
被害を拡大させたのは、津波火災であった。沿岸の重油タンクが倒壊しあふれたり、住宅のプロパンガスに引火したためだ。

事実を羅列してしまうと、かえって出来事がぼやけてしまう感じがするが、とにかく2011年3月11日。あの日、普通の日、何でもないはずの毎日は、覆されてしまったのだ。
あまりにも重たい、その「ごめんね」
私はもう一度、海を見てから丘を降りた。
つづく
地図:
参考:
気仙沼市復興祈念公園 | 【公式】気仙沼の観光情報サイト|気仙沼さ来てけらいん
ARCHITECTS TEEHOUSE | 気仙沼市復興祈念公園