時刻は16:30。鳴子温泉から始まったこの日。東進して気仙沼から南下、ようやく南三陸町であるが、旅程はまだまだ続いて、かつ盛大に押している。
国道45号。歌津大橋を渡った先に津波浸水区間の表示。ほとんど山の中のようなこんな所まで津波が来たのだ。

歌津地域の東日本大震災で発生した津波の最大浸水高は18.1m、最大遡上(そじょう)高は26.1mと、宮城県の中でも津波が高かった地域だ。宮城県の津波をはじめとした被害の全容については下記、宮城県震災復興本部の「みやぎ復興のたび」の「東日本大震災の概況」に詳しい。
南三陸さんさん商店街に着いた頃には、まだ営業中のお店はあれど、平日ということもあってか、人も少なく、店内も静かだった。

来慣れていそうな、ベビーカーを押したお母さんが歩いていた。ここで、日用品か、生鮮食品を買った様子だった。

商店街のその先には、南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアルがある。6月の時期は17時までだった。

私が目指していたのは、南三陸町震災復興祈念公園である。南三陸さんさん商店街を進み、南三陸311メモリアルを眺めつつ左へ折れると、八幡川に架かる中橋を渡り、対岸へ向かう。

中橋の設計は、隈研吾氏である。東京オリンピックで話題になった新国立競技場やJR山手線の新駅・高輪ゲートウェイ。2025年のEXPO 2025 大阪・関西万博でも4つのパビリオンを設計している。

私は建築物にはまったく詳しくないが、なんとなく、本当になんとなく隈研吾っぽいな、と思いながら歩いていたが、帰って調べてみて、その通りだったものだから、かえって恐縮だった。

川を渡ると、南三陸町震災復興祈念公園が見えてくる。というか、このあたり全体が公園であるが、その先の「祈りの丘」が公園の中心地である。

左手には旧防災対策庁舎がある。まずは横目に見ながら「祈りの丘」へ。周りはガッチリ造成され、その高さは被災した庁舎を丸ごと、うずめそうなほどに高い。

1万年後の歴史家は、現代が原始時代と呼ばれるようになった場合、これほど巨大な造成は宗教的儀式で造成されたはずだと推測するのではないか。祈りという意味ではその通りかもしれないが、災害対策としての土地開発の凄まじさは、神話的な技術力と言えるようにも思えてくる。

祈りが刻まれた碑を越して、旧防災対策庁舎を眺める。その先にあるはずの川は見えず、対岸の南三陸さんさん商店街が望める。

名簿安置の碑は遺族の了解が得られた犠牲者の名簿が納められており、碑文が刻まれている。

いま、碧き海に祈る 愛するあなた 安らかなれと

これらテラスや石碑は、2019年に「市民の皆さんが祈ることができる場(南三陸町佐藤仁町長)」として完成した。

だいぶ日も傾きつつある。陽光が田んぼを照らしてきらきら光っていた。この地は、塩害も乗り越えることができたのだろうか。

震災遺構 ブライダルパレス高野会館も見える。
高野会館は、元から通常の倍の強度で基礎が造られていて、津波避難ビルに指定されており、屋上への外階段は常時開錠されていて、避難訓練も定期的に行われていた。

震災当日はイベント事の閉会式であった。パニックになり屋外へ逃げようとする高齢者を当時のスタッフの判断で屋上へ避難させた。津波は4度も押し寄せ、3階と4階の間17mまで浸水し、屋上も膝下ほどまで水浸しになったという。これほどの状況にもかかわらず建物は流されることなく、避難者327名、犬2匹が翌日無事救助された。

旧防災対策庁舎のことであるが、この地域の当初の津波高さの想定は6mであり、その想定をもとに庁舎の屋上12mへ避難していたが、東日本大震災で押し寄せた津波は15.5mである。

祈りの丘から旧庁舎へ歩いて近づくと、その赤さ、そのグチャグチャさに絶望感を覚える。元々は、白い建物だったのだ。
南三陸町の危機管理課の職員であった遠藤 未希さんは、防災無線で62回に渡り、住民に避難を呼びかけ続けたが、ご本人も津波にのまれ殉職してしまった。

若くして亡くなった遠藤さんには賞賛しかないが、同時にあたら若い命。逃げて生きて欲しかったとも、どうしても思ってしまう。さぞ恐ろしかったろうと思う。こういう言葉がこの場合に合うかどうかわからないけど、心からその勤めをねぎらいたい。

彼女の行為は、次の大津波の時に1人でも多くの人が助かるために後世まで語り伝えることが、私たちにできるせめてものことなのだと思う。

やりきれない思いで佇んでいると、チュンチュンと小鳥の鳴く声が聞こえた。よくよく見てみると、何羽もここに営巣している様子だった。

命とは不思議なもので、割とどこででも生きようと努めるものらしい。
人の命はもちろん尊いが、ひと昔前に語られたように「地球より重い」なんてことは無いと思う。

この軽さ、現実を見るべきだ。地球史規模で見れば、ごく些細な波の高まりで、数多の命が奪われていく。軽い。あまりにも。でも軽いから、儚いからこそ尊いんだと、そう強く思う。次こそは守りたい。軽くたって、私たちは大切な人と生きたいし、生きて欲しいんだ。

粛々と職務をこなす芝刈り機に感心しながら、公園を去る。津波の被害は、様々な要因で大きくもなれば、小さくもなる。なにせ、1000年に一度の出来事である。

1000年といえば、鎌倉幕府よりももっと昔、平安時代だ。貞観地震が起きたのは西暦869年。その頃の記録が残っているだけで凄いことだが、肝心の記憶は当然失われている。

東日本大震災では、現代の技術の粋を集め、記録映像も数多く残し、神話的規模の造成を行った。

自然の力には抗いえず、私たちはその命の軽さを思い知った。そして、次。その時に1人でも多く助かり、死なないように。もちろん、被害者の1人になる可能性だってあるのだ。この景色を自分ごととして捉えて、大切な人を守れるか。
そんな自問自答をする。
つづく👇
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旅のメモ📝
| 南三陸町震災復興祈念公園 ~メモ~ | ||||||||||
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| 住所 | 宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入外地内 | |||||||||
| 私の所要時間 | 23分 | |||||||||
| 開園時間 | 24時間 | |||||||||
| 駐車場 | 自動車100台、大型バス3台 (道の駅 さんさん南三陸) |
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| アクセス | 車の場合 志津川ICから約5分 公共交通機関の場合 BRT志津川駅から徒歩1分 |
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| ホームページ | 南三陸町震災復興祈念公園 | 南三陸観光ポータルサイト | |||||||||