しったかぶり!日本紀行

グループ「灯台・燈台・岬」を作成してみました!!

6 敦賀港散歩!「敦賀鉄道資料館」と人道の港・敦賀『命のビザ』杉原千畝のこと

 鉄道は、今や国内に当たり前にありふれている。でも全体で見ると、どちらかというと衰退している。全国に鉄路を拓くという巨大な計画は、江戸時代が終焉を迎え明治維新を迎えた日本の、近代化の目玉事業だった。

金ヶ崎緑地と敦賀港

金ヶ崎緑地と敦賀港

維新政府は、神速のスピード感でもって国内に鉄道網を敷き詰めることで、国内外から注がれる新政府への視線に、誠に鮮やかに新生日本の躍進を印象付けることに成功した。実益としてもこの鉄の道が運ぶ人や物資の移動は、まさに革命的な時間短縮を実現した。

金ヶ崎緑地の時計台 昔の灯台や石燈籠のような雰囲気を持つ

金ヶ崎緑地の時計台

敦賀鉄道資料館は、旧敦賀港駅を使用した資料館で、敦賀の鉄道にまつわる展示が並んでいる。スペースは広くないが、充実した内容である。

敦賀鉄道資料館は旧敦賀港駅の駅舎を使用している

敦賀鉄道資料館

資料館に入ると、滋慶学園グループの学生さんがデザインした、欧亜国際連絡列車の擬人化キャラがお出迎え。

 

 

 

欧亜国際連絡列車ちゃん(?)は、「直往邁進!パワー系主人公」で、元気いっぱいな女子高生くらいの女の子。ふわふわなびくような髪型は煙突から吹き出る蒸気をイメージ。カバンには!!!越前ガニ(*´з`)

敦賀鉄道資料館 欧亜国際連絡列車 直往邁進!パワー系主人公

欧亜国際連絡列車…ちゃん?

北前船の寄港地として栄えた敦賀港は、しかし鉄路が日本各地に敷かれるにしたがい衰退の一途をたどったが、ここで大逆転が起こる。地元の事業からの運動により敦賀港は国際港へと舵を切る。

敦賀鉄道資料館 日立 EF8143 EF81形電気機関車の列車模型

かつて活躍したEF8143の列車模型

敦賀ーウラジオストク間の定期航路が開設されると海を挟んで敦賀はシベリア鉄道経由でヨーロッパと結ばれた。

敦賀鉄道資料館 SLをモチーフにしたトリックアート

SLをモチーフにしたトリックアートも

さらに明治45年には東京の新橋-金ヶ崎(敦賀港)間にウラジオストク経由ヨーロッパ行き直通列車「欧亜国際連絡列車」が開業し、切符1枚で東京からヨーロッパへゆけるという、夢のようなルートが実現したのである。

敦賀鉄道資料館 特別待合室

やんごとなき人たちが利用したであろう特別待合室

資料館内には、往時の敦賀や港のジオラマが置かれていて、かの時代に想いを馳せることができる。かつて敦賀港に隣接して存在した転車台は、2027年度末までに「敦賀みなと公園(仮称)」の整備によって生まれ変わる予定とのこと。

敦賀鉄道資料館 転車台のジオラマ

転車台が2027年度末に甦る!

これは敦賀新たな観光の目玉になりそう!

www.city.tsuruga.lg.jp

 

ジオラマは大きくはないものの、敦賀の昭和10年頃の様子が再現されていて、活気のある国際的な港町であったかつての敦賀をしのぶことができる。

敦賀鉄道資料館 昭和10年ごろの敦賀を再現したジオラマ

港町の様子

敦賀に残る鉄道遺産は、「海を越えた鉄道 ~世界へつながる 鉄路のキセキ~ STORY #090」として日本遺産に認定されている。この旧駅舎は構成文化財ではないようだが、「敦賀港の景観」や、「旧敦賀港駅線路」がそれぞれ構成文化財に選ばれている。

f:id:uraganokami:20251012112927j:image

 

敦賀鉄道資料館の傍らには、杉原千畝夫人・幸子氏来敦を記念した樹が植えられている、が、すみません。桜や樫の木を植えたとのことで、下の写真の左側に植えられているもののようだ。なぜ明後日の方向を撮っていたのだろう、自分。

敦賀鉄道資料館 杉原千畝夫人・幸子氏来敦記念の植樹の横の植樹

ソテツ?

1940・41年にかけて、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとしたユダヤ難民に、杉原千畝リトアニアカウナス領事代理(当時)は、日本通過のビザを、ほとんど乱発と言って良いほどに発給した。その理由は「人道上、どうしても拒否できない」というものであった。

敦賀港 近海郵船

敦賀港を眺めつつ

千畝は、夫人に「領事の権限でビザを発給する、いいだろう?」と問いかけると、夫人は「私たちはどうなるかわからないけれど、そうしてあげてください」と答えたという。千畝は、外務省からの罷免を覚悟のうえで、本国からの発給条件厳守の支持を無視。

 

 

 

発給要件を満たさない人たちにも、カウナスから列車が発車するギリギリまでビザを書き続けた。ただ認めただけではない。凄まじい量の事務作業を昼夜の別なくこなした。記録されたビザだけでも2,132枚で、一ヶ月の間、まさに寝る間も惜しみビザを発給し続け、ソ連や本国の再三の退去命令にもフルシカトして書き続けた。

人道の港 敦賀ムゼウム 外観

人道の港 敦賀ムゼウム

しかしそれも無視できなくなり領事館から退去し異動先のベルリンへ向かうことに。その途中に滞在したホテルや列車に乗ってもなお、車窓から手渡しで渡されたビザを書き続け、汽車が走り出すまでその手を止めることは無かった。

敦賀ムゼウム 昭和初期の建物を復元

建物は昭和初期のものを当時の位置に復元した

千畝は、後にユダヤ人を助けた理由を、自身を天皇陛下の一臣民であるとし、もしここに天皇陛下がいたらどうしたか。「陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか、それとも恩情をかけられるだろうか。そう考えると、結果がはっきりしていました。私のすべきことは、陛下がなさったであろうことをすることだけでした」と答えている。

DL113 神戸製鋼神戸製鉄所→有田川公園→敦賀港駅跡へ移設

DL113 敦賀港駅跡

命のビザを携えた人々は、この敦賀港から上陸。敦賀の人々は、ユダヤ難民を温かく迎えた。敦賀の人々の温かさに感動した人々は、敦賀が「天国(ヘブン)」に見えたと語っている。

 

敦賀港近辺のレトロな建物たちは、夜になるとライトアップされるという。

2027年だな。

そう思いながら、再訪は宿泊で来たいと思うのであった。

 

 

つづく👇

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旅のメモ📝
⚓ 敦賀鉄道資料館 🚉
わが家の所要時間 26分
住所 福井県敦賀市港町1-25
入館料 無料
営業時間 9:00~17:00
休館日 水曜・12/29~1/3
駐車場 無料・金ヶ崎緑地駐車場
128台
アクセス 🏃徒歩  :敦賀駅から2㎞約30分
🚙自動車 :北陸自動車道 敦賀ICから車で約10分
🚌バス  :JR敦賀駅 ぐるっと敦賀周遊バス「観光コース」で約10分「金ヶ崎緑地」下車
      JR敦賀駅からコミュニティバス「松原線」で約8分「金ヶ崎緑地」下車
🚕タクシー:JR敦賀駅からタクシーで約7分
ホームページ 敦賀鉄道資料館 敦賀市-Tsuruga City-