2018年。長男かけが1歳になる直前の11月3日に、妻に頼み込んで一日だけ自由日を作ってもらい(現在はだいぶ拡大できた)、さてどこへ行こうかと思い悩んだ末
北陸新幹線・東京
→ 富山 → 福井 → 敦賀 → 長浜 → 米原 →
東海道新幹線・新横浜
というアホな日帰り旅を思いついた。その敦賀パートをせっかくなので蔵出し!
写真中心にお送りしまーす。
滞在は15時~16時の1時間。
はじまりはじまり~!
敦賀駅前におわすは「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)像」
「つるが」の地名の由来となったとされる、日本書紀に出てくる古代朝鮮の人物。敦賀周辺には、朝鮮半島の南部からの渡来人が定着したらしき痕跡が示唆されていて、古代から国際的な港町だったことが伺える。

敦賀シンボルロードは、敦賀駅から氣比神宮までの約1.2㎞の道に、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」のモニュメントを全28ヶ所設置している。

1999年に、敦賀開港100周年事業の一環として市のイメージである「科学都市」「港」「駅」が、松本零士の作品群とマッチしているとして、市が氏にオファーして実現したという。

漫画家・松本零士は福岡の生まれで、福井にゆかりがあるわけではなかったようだ。

2018年の福井テレビの単独インタビューでは漫画家としての矜持を、「直接見る」ことが大事としている。

福井に訪れて風景を眺めたり、あの家に住んでみたいと思ったりしていたようだ。

「直接見る」というのは、恐悦至極だけど、共感できるなぁ。

SNSや旅行雑誌で見ているのもワクワクするけど、どうしてもステレオタイプに切り取った情報だけしか入ってこないのだ。

実際に観るとなると、ちょっと事情が異なる。

あれ?意外と写真撮るには構図が難しいな、と思ったり、太陽や雲の位置などによって胸が震えるほど美しかったり(逆に超絶ガッカリしたり)、とにかく感情が揺さぶられるのだ。

どちらかというと、曇っちゃったり、雨だったり、なんなら改修工事中だったり。

徹頭徹尾、自分だけの体験となる。
これが、旅の一番の魅力なんじゃないか。

銀河鉄道999のモニュメントは16ある。どうやら全部撮れていなかったようだ。

銀河鉄道999のストーリーをなぞりながら歩くと、氣比神宮に着いた。

前々から思っているのだが、宇宙や空と神社って、私の中では親和性が高い。

石見ひとり旅の冒頭でも触れたが(過去記事へ)、京急羽田空港線の大鳥居→穴守稲荷→天空橋→羽田空港の流れは最高で、ここ敦賀のイメージする宇宙から一宮の神宮へ。

という構図は敦賀市の大ファインプレーだと思う。

日が陰り始めている氣比神宮。

都怒我阿羅斯等を祭神とする角鹿(つぬが)神社。敦賀はかつて、角鹿を地名としていた。古来、東参道が氣比神宮の表参道だったことがあり、その頃は角鹿神社は門神の役割を担っていた。

昭和11(1936)年に陸軍関係者が武運長久を祈願して植樹したユーカリの木。

やっぱ晴れてるといいよね。なんだかんだ。

遊行上人が自らスコップを持ち参道の埋め立てを行う砂持ち神事の伝承は、かつて氣比神宮の間近まで入り江だったことを伝えている。

海が隣接する神宮を思い浮かべると、また違った氣比神宮像が浮かび上がってくる。
さて折り返しは「宇宙戦艦ヤマト」である。
こちらは12ヶ所設置されている。

一つの町に、これだけたくさんの銅像が建っているのは珍しい。

新潟の水島新司マンガストリートや、氷見の忍者ハットリくんロード(別ブログの過去記事へ)、境港の水木しげるロードも楽しかったな。

私は松本零士さんのマンガやアニメは、ほぼ観たことは無いが、分からないなりに面白いと思った。

像の傍らにはストーリーのプレートがはめ込まれているから、どんな状況がモチーフになっているのかがうっすら理解できる。

銅像は精巧に作られていて、造形の良さだけでも十分観る価値があると思う。

いきなりどちらさま?
この方もヤマトの乗組員だそうです。さどさけぞうさん。軍医。

こちらは福井家族旅行で撮っていた一枚。

こちらも福井家族旅行。
シンボルロードにテンポよく配置されているので、氣比神宮までのみちすがら、飽きることは無かった。

2018年の敦賀駅前。

戦国武将・大谷吉継の居城である敦賀城跡もあるが、巡れていない。もっとも、遺構はほとんど無いそうだが。

このあと、滋賀の長浜へ行った。

日帰りで北陸をめぐるなんてなかなか無茶だったけど、東京から富山へ、福井へ、敦賀へ、長浜へめぐり、米原から新横浜へという円弧を描くようなルートはなかなか秀逸だったと自画自賛。

電車に揺られる時間も楽しいものですね(´ω`*)
つづく👇
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