しったかぶり!日本紀行

グループ「灯台・燈台・岬」を作成してみました!!

10 福井「越前国二の宮 劔神社」織田一族発祥のパワースポット巡り

 「河野北前船主通り」(過去記事へ)の次に向かったのは、越前町の「劔神社」。

観光ルートとしては、そのまま日本海を走る国道305号が心地良いのだけれど、その方面は二度行ったことがあるので、今回は県道3号(福井大森河野線)を北上。位置関係は下の地図をごろうぜよ。

鯖江の西。越前市ではない。越前町の織田に来ている。おだ、ではない。「おた」と読む。ここに、越前国二の宮・劔神社という古社がある。劔は、劒、剱など表記が様々だがHPの表記「劔(つるぎ)神社」で統一する。

 

 

 

妻に福井の旅行でどこか行きたいところが無いかと聞いたところ、普段そこまで興味を示さない「パワースポット」を所望したので、ちょうど行ってみたいと思っていた劔神社を目指したのだ。

越前町 劔神社 北鳥居

織田文化歴史館•劒神社駐車場に駐車

折悪しく、朝のうちはどうにか保っていた曇天も、ついに重みを支えきれず雨がしたたり始めている。車を降りるときにはちょっと止んでいたので、無防備にも傘を持たず北鳥居から境内へと入った。

劔神社 北参道の社葬

うっそうとした社叢

北参道を歩いていると、そこまで長い道ではないのだが、歴史の深さがそのまま社叢に奥行きを感じる要因になっているようであった。雨模様は、その神秘性に説得力を持たせているようでもある。

劔神社 北参道 石積みの沢?

沢か結界か

北参道沿いには、猿田彦神社や忠魂社などが鎮座していた。子寶さまは、男根の形をしている。その名の通り子宝や子孫繁栄に御利益がある。抵抗感がある方もおられるかもしれないが、近代以前、男根や女陰は、神聖神秘であり、信仰の対象であった。優しく撫でてあげませう。

劔神社 子寶さま

定番ですね

その先、視界が開け、本殿の前に出る。

目を引くのは、「戦国武将 織田一族発祥地碑」だ。

説明が遅くなり申したが、そう、あの「織田信長」のルーツとなる地なのである。

越前国二の宮 劔神社 戦国武将 織田一族発祥地碑

立派な織田一族発祥地碑

織田一族は、劔神社の神官であり、荘園である織田荘の荘官(領主から管理を委託されている人)であった。織田荘は後に織田信長に焼かれることになる比叡山延暦寺に属する寺院が支配していたという。戦国期には朝倉氏によって横領され、その朝倉氏は織田氏に滅ぼされる。なんとも数奇な運命である。

越前国二の宮 劔神社 拝殿

拝殿へ

社伝によると、織田の北にそびえる座ヶ岳の峰に素戔嗚大神を祀り劔大神と讃えられたのがはじまりで、創建は「悠久の昔」ということになる。さらに、身長が3mもあったという14代仲哀天皇の第二皇子である忍熊王が当地方の安寧を感謝し、劔大明神として現在の地に社を建てたと伝えている。

越前国二の宮 劔神社 素盞嗚大神・氣比大神・ 忍熊王を祀る

素盞嗚大神・氣比大神・ 忍熊王を祀る

主神はもちろん素戔嗚大神で、配神として氣比大神を祀り、織田の統治に功がありながら早世した忍熊王も素戔嗚の再来と敬い、祖神として合祀された。つまり、主祭神は3柱ということになる。

越前国二の宮 劔神社 おもかる石

おもかる石

さてそのご利益であるが、「人の運気を高め、大願成就」に霊力があるとされる。

古来から武家の崇敬も篤く、その劔によって邪気を払い、未来への道を切り開くパワースポットとして現在も県内外からの参拝者は多い。

越前国二の宮 劔神社 軽いと願いが叶う

かるい!

参拝を終えると雨足が強くなってきた。逃げるように入った小屋に「おもかる石」が置かれていた。「軽く持ち上げてください」と書いてあるが、そう簡単には・・・

軽い!やったー!願いが叶うぞ。えみさー(妻)はどう?重い、あー無理だな。

越前国二の宮 劔神社 おもかる石 子どもたちもチャレンジ

何を願ったかは秘密です

どうやら子どもたちも重かったらしく、2人で協力しながらでも持てなかった。

境内には他に越前焼の「かわらけ割り」もあり、アミューズメントには事欠かない。

神仏混交の名残として旧神前院護摩堂がある。下の写真の左の建物だ。

越前国二の宮 劔神社 旧神前院護摩堂と社叢

社叢を眺める

劔神社本殿は寛永4(1627)年には存在していたという。拝殿は弘化4(1847)年、旧神前院護摩堂は延宝3(1675)年など、どれも歴史がある。下の写真左の社務所・交流ホールは令和6(2024)年に竣工。大屋根は越前赤瓦の伝統技法で葺かれている。

越前国二の宮 劔神社 南参道の大鳥居

南入口方面

南側へ出てみる。大鳥居は、これも神仏混交を示す本柱の前後で稚児柱が支える両部鳥居だ。

越前国二の宮 劔神社 南入口

南参道

東側の入口は石鳥居だ。

雨がどんどん強くなって、外にいられなくなった(妻が)。

交流ホールへ避難する。

越前国二の宮 劔神社 東入口は石鳥居

東入口

5分くらい雨宿りさせてもらった。

境内をうろついていた猫ちゃんも雨宿り。

次男くんじ3歳は「ねとちゃん、ねとちゃん」といって撫でていた。

越前国二の宮 劔神社 猫と交流ホール

ねとちゃん

織田氏のこと。

足利尊氏、新田義貞によって鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇は建武の新政において足利高経を越前国守護に任命した。彼は斯波を名乗り、代々世襲した。織田氏はこの地域の国人として斯波氏の被官となる。

 

 

 

斯波氏に尾張と遠江の守護が加わると、織田氏は尾張の守護代を任されるようになり、次第に勢力を伸ばしていく。その織田(伊勢守)氏も孫請けに又守護代をやらせていた分家の織田(大和守)に圧倒され、さらに大和守家の一家老に過ぎなかった弾正忠家にとって代わられる。これが、織田信長へ繋がる血筋である。

織田のバスターミナルには、織田信長像がある。織田からの去り際に、妻に助手席から撮ってもらった。なかなか味のある面構えをしている。

織田バスターミナルの織田信長像

織田バスターミナルの織田信長像

信長は一族の内紛を統一し、斯波氏をも追い払う。あとは周知のとおりで、今川義元を桶狭間に破り、美濃を切り取り、天下布武を標榜し飛躍してゆく。朝倉氏を滅ぼした信長は、劔神社に土地の領有権や税の免除を認めた。劔神社にはその安堵状が、もちろん「天下布武」の押印付きで残っている。

 

雨が弱まってきた。

私たち一家はお昼ご飯を頂くべく、急いで東参道の向こうに見えているお店へと駆け込んだ。

 

つづく👇

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旅のメモ📝
⛩ 越前国二の宮 劔神社 ⛩
わが家の所要時間 21分
住所 福井県丹生郡越前町織田 113-1(金栄山)
参拝時間 参拝自由/社務所 7:00~19:00
休館日 無し
駐車場 無料完備
アクセス 福井ICより車で約40分
武生・鯖江ICより車で約20分
北陸本線 武生駅からバス約35分。明神前下車すぐ
ホームページ 北陸の祈願霊場 - 越前二の宮 劔神社・つるぎじんじゃ
👑 劔神社 🔱
二宮 越前国