湯西川温泉は、湯西川温泉駅からバスで約25分。バス停は小さな温泉街の最奥に位置する。食事をとりたいなら山城屋ホテル前~本家伴久旅館前の3ヶ所のどこかで降りると良い。

子どもたちに注意を促しながら、自分も気を付けねばならない。雪国は慣れていないからおっかなびっくり歩く。長男かけ8歳は多少知っているから割と平気だが、次男くんじ3歳は「地面が滑る」事実を海の磯以外では知らないので早速すってんころりんだ。

重厚な冠木門をくぐると石碑があって「隠れ忍んで八百年 今日この里に甦る」と刻まれている。日本全国にはこのように源平合戦で敗れ落ち伸びた平家の人々が暮らした里が多く伝えられている。

里内では冬の期間中「平家あかり」というライトアップイベントが行われていて、里内にたくさん置かれた竹細工のぼんぼりに火が灯り幽玄な雰囲気を醸し出す。(2025年シーズンは11/28~1/25の金~日・17:00~21:00・詳細は下段の公式HPで)

アイスバーンになった道では、やはり次男がすってんすってんして心が折れそうになっていた。それでもがんばって雪を拾ったり「しろーい」と言いながら楽しんでいる。でも走らないで―(;´∀`)ホラコロンダ

無料の休憩所内では長椅子が置かれていて、平家の里についてや「平家大祭」の様子を伝えるビデオの放映や、展示を観ることができる。おしるこや栃もちといった甘味を食べたり山菜加工品などのお土産品を買える「よろず贖いどころ 餉の館(かれいのやかた)」は営業前だったのは残念。

民芸品加工所「調度営みどころ」では、湯西川で盛んだった木杓子(きじゃくし)や製作工具の展示、厳しい冬や山での生活用具などが置かれていた。

日本家屋はどちらかというと夏の暑さに耐えやすいように風通しがよく造ってあるので、冬は家族がよりそって人肌で温めあい、静かに生活していたと聞いたことがある。

無念の敗走で落ち伸びてきて、山奥で何百年も代々暮らし、文化を営んできた平家の末裔。歴史の表舞台から消え去った後も、こうして静かに日本の歴史に携わってきた。
そういう事を思うとき、私は日本の歴史とはどういうものなのか、改めて考えてみたくなる。表の歴史は教科書でも大河ドラマでも繰り返し語られるが、語られぬ歴史も、こうして現代へと紡がれているのだ。

里内を奥まで歩くと、「種々伝えどころ」郷土文化伝習館があり、イベントスペースにもなっている。

広場には雪が薄く積もり、隅にもたくさん雪が積まれていたので、家族で雪合戦(どちらかというと一方的にぶつけられている)や雪だるまに至らないが雪を転がして球を作ったりして遊んだ。

平家あかりのライトアップは観る事が叶わなかったが、日中でもなかなか幽玄な雰囲気を楽しめた。種々伝えどころでは、甲冑や着物も置かれている。着物はハレの日に着るのか、日常的に着ていたのか。どうだろう。

里の一番奥には、湯西川赤間神宮が鎮座していた。壇ノ浦の合戦において、わずか8歳で海中に身を投じ亡くなった安徳天皇を祀る神社で、この「平家の里」が完成した昭和60(1985)年6月6日に下関にある赤間神宮から分祀された。

入口まで戻ると、行きに通り過ぎてしまった平家塚をのぞいてみようと思った。
小さく静かな空間に五輪の塔が置かれている。ここに、武器や宝物を埋蔵したと伝えられている。

身分も貴重品もこの塚にうずめ、この地を拓き生きてきた人々。
敗れてもなお生き続けるしぶとさが平家にはあったようだ。私は家族に置いてけぼりにされつつ、しばし思いを馳せて、平家の里を去るのであった。
ずってん!
「パパ、ぼーっと歩いちゃダメダヨー」
「・・・!!」
つづく👇
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旅のメモ📝