小松には、昔ながらの「町家(まちや)」が約1,100軒も存在している。飛騨神岡から北陸への旅、2日目の朝は、その町家を巡ってみようと思う。子どもたちはまどろんでいたので、15分くらい。ちょっぴり歴史トリップをしてみたい。
1日目夜の記事はこちらっす!
奈良時代に加賀国国府が置かれたのが、この小松の地。平安時代には花山法王がこの地を気に入って別荘を作り花園を築いて「園の小松原」と称したことが「小松」の由来とされている。

他に小松の由来として、平清盛の長男で小松殿と呼ばれ、小松内大臣を称した重盛がこの地を治め真言宗「小松寺」を建立したという説もある。
室町時代の古文書「廻国雑記」に「もとおりを通り侍りけるに、人のきぬををりけるを見侍りて」と記述があり、絹織物生産の中心地としての小松・本折(本織)の性格を伺える。

江戸時代に入ると、加賀百万石前田家は江戸幕府の一国一城令の数少ない例外として、金沢城のほかにここ小松に城を持つことを許された。

3代藩主・前田利常は隠居すると、この小松城へと身を寄せ、城下町の整備に乗り出した。滋賀から福井、そして金沢へと続く北国街道を整備し南北約3㎞の町割りが形成された。

金沢は武家文化であるが、小松ではこの町屋をはじめ、曳山や歌舞伎といった町人文化が発展した。産業の振興も盛んに行い、小松瓦、小松畳表、茶の湯や和菓子も発展した。

町屋をてくてくてく、と歩いて段々ノッてくると、城下町特有の「クランク」が出現した。北上する北国街道は、ここでカックンと右折をし、またすぐに左折をして北上を続けている。

主城へ侵攻する敵兵の勢いを削ぐ城下町のスタンダードな工夫で、小松城が近い証拠だ。
「このまま小松城へ!!」とも思ったが、この朝めぐりは子ども達に宿で待っていてもらっているのでここまでにしておくこととした。

小松の町屋は、昭和初期の2度の大火で大きく損傷してしまった。建替えにあたりこの教訓を活かし、延焼防止に蔵の配置を町割りの背割りにするなどの工夫を経て現在に至る。

そして今、町家の歴史を持続させるべく、平成20年度から「こまつ町家認定制度」を導入し、維持・活用を進めている。
もう少しじっくり巡りたかったなぁ。でもわずかな時間だけどたくさん町家と歴史があることが分かった。子連れ旅行につき、これくらいが限界さ。帰ろう、ホテルに。
つづく👇
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旅のメモ📝
✨小松の町家について詳しくは小松市HPを見てね!
🏘恒和不動産という地元の不動産会社さんの記事。参考になりました!