昔の話になるが。
2008年の夏。当時仕事を辞め引きこもりがちだった弟を部屋から引っ張り出して行ったのが北陸への旅だった。あの頃といったらまだガラケーで、マップもまともにない環境だった。
そのうえ、私自身がまだ旅慣れない状態の中、小松城へ行こうと思い宿泊していた金沢から小松駅まで来たものの、そこから歩く気力も無く嫌々随行した弟にも悪く、結局そのまま金沢へトンボ返りしたという残念な思い出がある。
すっかりおじさんになり父になった今、まずまず旅のスキルもアップして、いよいよ小松城攻めへと駒(車)を進めたのである。
まず、三の丸にあたる「芦城公園」近辺を散策する。駐車場は、市役所駐車場(有料)か年金事務所駐車場(無料)を使用していいということなのでありがたくお借りした。
芦城とは小松城の別名で、公園は城主の庭園があった場所だ。

外構を歩くと遺構っぽい石垣が並んでいたが確証は無い。そのまま小松城跡のいちばんの見どころである「小松城本丸櫓台石垣」を目指す。県立小松高校のグラウンドを横目に見ながら進むのだが、少し盛り土構造になっていて、これが城塁の名残のようだ。

覚えず、「おお」と感嘆の声を上げた。
ネットで見た感じよりも雑草が生い茂って全貌を見つめにくいものの、古城感はマシマシで埋もれた雰囲気が醸し出す歴史の重みを痛感させられる。

子連れでもあり落ち着かないが、この石垣は石垣の完成形と言える精巧に加工された切り石を用いた「切込接」で、しかも「乱積」だ。カッコよく言うと「乱層切込接」とかってことになるかな。

裏手に石段があると思うんだけど、通行禁止で2面くらいしか眺められなかった。それでも、さすが三階建てで非戦闘的な造りのオシャレ天守が乗っかっていたとされる石垣で、積み方ひとつ、石垣の色合い一色にまでにこだわっている様子が醸し出されている。

小松城の石垣に使われた石材は、金沢の戸室石や小松産の鵜川石だったという。
そもそもこの城は江戸幕府の「一国一城令」の数少ない例外で、3代加賀藩主前田利常がわざわざ隠居のために幕府に許可を取って小松を隠居地と定めた。

1639年から亡くなる1658年の19年間に渡り大拡張を行った城で、なんと主城である金沢城の倍近い面積を誇ったという。島原の乱が前年に収まりやっと幕府も安定期を迎えるような時期に、いくら将軍家と婚姻関係を築き信頼されていたとしても、よく許されたと驚かされる・・。

そして、これだけの規模の藩が幕末の混乱期に特に大きな役割を担うことも無く、呆然と維新を迎えるというのもなかなかの出来事だったのではないか。
芦城公園へ戻り、今度は外構東側の市立稚松小学校へ行く。

学校正門の少し先に小松城の常盤門と伝えられている城門が移築され現存している。
「小松学問所以来二百年、教育と地域の伝統を感謝して小松城門と伝えられたものを修復建立した」と記されている。

瓦の上には桃みたいな装飾が乗っていた。保存状態の良い城門で、地域の人たちから大切にされていることが分かる。

常盤門から東へ2本、少し迂回して道路を中に入ると越前丸岡城の城門が移築されている。
大島山興善寺の山門として使用されており、明治4(1871)年に買い取ったものと伝えられている。

丸岡城は2008年と2015年、この旅の少し後のお盆に攻城したことがある。
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中町の方まで歩いてみると、上品で立派な町家が現れる。
国登録有形文化財の「鈴木家住宅主屋(おもや)」だ。昭和6(1931)年築で、前年に起きた大火後のものだ。

京町北交差点の角地にあるのは、これも登録有形文化財の「旧石川商銀信用組合小松支店」昭和5(1930)年築だ。今は「絵本館ホール 夢の本棚」という名の貸しホールとなっている。

芦城公園に戻って来た。次男くんじはベビーカーに乗ったり降りたりで体力温存。公園に至って俄然張り切り出した。ちなみに長男かけは途中からクーラーの効いた車で待機。

瀬領町湯の谷地区で発見された植物化石・珪化木(けいかぼく)は、約1700万年前のもので、木の種類から当時が温暖な気候であったことが分かったという。

ラヂオ塔は、今では全くなじみがないが、かつては公園などに公衆がラジオ放送を聞くために設置された。このラジオ塔がそうかはわからないが、例えば1945年の終戦の詔・玉音放送なんかも、ラジオ塔から流れる天皇陛下の声を聴いたはずだ。

立派な庭園には、3代藩主の「前田利常卿銅像」
1916(大正5)年に製作・設置されたものだが、大東亜戦争中の1943(昭和18)年の金属類回収令によって鋳つぶされてしまうが、戦後銅像の原型がみつかり再建された。

次男くんじもダレて来たので、小松城めぐりはこの辺で切り上げ。さすが金沢城を超える規模なだけあって、遺構は少ないもののめぐり甲斐はあった。
最後に、車に乗って梯川(かけはしがわ)のほとりにある来生寺へ。

立派な構えで裏手には門番の住まいもある「鰻橋御門」が移築されている。遺構の少ない小松城にあって大変貴重な遺構で、往時の城郭の威勢をうかがい知ることができる。
小松城の遺構をめぐって歩いてきたが、少ない痕跡を探していたらすっかり真夏の暑さとなった。城下には町家なども遺り、さすが百万石の隠居城と思える櫓台や城門の規模を感じることができた。
子ども連れていた割にはがんばったかなw
つづく👇
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