しったかぶり!日本紀行

~果てしなき旅景より~

4 山の辺の道③ 内山永久寺跡〜夜都伎神社 のどか里山風景詩

石上神宮に参拝し、本格的に山の辺の道を歩き始める。20代後半のころ、せっせと東海道五十三次、中山道六十九次を歩いたのを思い出す。さて、どんな道に出会えるのか。とても楽しみにワクワクしながら歩く。

山の辺の道 峯塚古墳近くの無人販売所

そこかしこにある無人販売所

古道沿いにはいくつも無人販売所があり、同じく道歩きの私より年配の方が、あれ これ、と購入しているのを横目で見ながら進む。

梅の花が咲きほころんでいる。気付いてみれば、もう春なんだなぁ、と実感が湧く。暖かい日も増えて来た。

山の辺の道 梅の花

梅の花が咲く

芭蕉の句碑に出くわす。松尾芭蕉は、私が旅をしているとしばしば出会うおじさんだ。

 

うち山や とざましらずの 花ざかり  宗房

 

「宗房(むねふさ)」とは芭蕉が割と若い頃に名乗っていた号であり、この句はおおむね23、4歳の頃のものだろうと案内板は言う。

山の辺の道 芭蕉句碑 内山永久寺

内山永久寺を詠んだ芭蕉句碑

句意は

見事なまでの満開の桜で埋め尽くされている内山永久寺であるが、この花盛りを知るのは土地の人ばかりで、よそから来た人々には知る由もなかろうね。

といった感じだ。

 

 

 

現代でもそうであろう。映え写真を目指して方々訪ね周りはするが、本当に美しい景観は土地の人たちこそが知り、こっそり満喫しているものだ。私の住む浦賀にも、そういう場所はある。

 

内山永久寺は、近代以前は大変に興生し「西の日光」とさえ称され豪華な塔坊を擁していたが、明治の廃仏毀釈によりたった2年で礎石も瓦一枚に至るまで雲散霧消してしまった。

山の辺の道 本堂池

石上神宮近くは「木堂」の地名も

今は、本堂池という永久寺の浄土式回遊庭園にあった池が遺るのみである。なお、内山永久寺内に存在した住吉社の拝殿が、石上神宮の摂社「出雲建雄神社」の拝殿として現存し、国宝に指定されている。

 

sittaka-travel.com

 

永久寺の跡地は、小さなポケットパークが整備されていて、山の辺の道沿いに小上がりに上がれる台上のごく小さな丘がある。階段20段程度の高低差だ。

山の辺の道 内山永久寺跡近辺

左手に階段がある

せっかくなので登ってみる。さほどに絶景とは言えまいが、本堂池やその奥にちょっぴり見え隠れしている奈良盆地を望むことができる。それよりも、手前に小さく収まっている山の辺の道の里山のような、まさにポケットに入れてしまいたくなるような景観がぽつねんとたたずんでいる。

山の辺の道 内山永久寺跡ポケットパーク

往時を偲べる絵図や説明看板もある

私は一通り眺め、かつベンチに腰を下ろし地図を見、居合わせた若い女性連やひとりのおじさんに挨拶をし、ひとりになれるよう適度に間を開けて、また歩き出した。

山の辺の道 内山永久寺跡の先

私はまた明日き出すuh~

マップによると、次の目的地は「夜都伎神社」で、1.7㎞先らしい。人間はだいたい時速4㎞で歩くから20分ほどだろうか。

 

ちなみに使ったマップは下記だ。シンプルで見やすい。

kanko-tenri.jp

 

それにしても、だ。

この道を、かつてこの国の始祖となるべき人たちが歩いていたのかと思うと、千数百年前のこととはいえ時代の移り変わりの凄まじさを思わざるを得ない。

山の辺の道 内山永久寺跡~白山神社間

コトコトと歩く

山の辺の道は、古代に整備された日本最古の古道であることはすでに触れた。しかしそれ以前、旧石器時代や縄文、弥生のころ、つまり先史時代にはすでに道として使用されていたことも分かっている。

山の辺の道 白山神社の先

歴史の中へ

古代以前の奈良盆地は湖沼や湿地が多く、ぬかるんで自然災害も多かったため、これを避け後背に三輪山など神と崇め奉る山脈を擁したこの道を好んで使っていたという。

 

 

 

道中は、これでもか!というくらいに道標が置かれているので安心して歩くことができる。それでも時々、「こちら」と書かれているから分け入ってみるとキツネにつままれたように何も見つからないことがある。

山の辺の道 石畳の激坂

石畳の激坂

「石畳の激坂」を降ると「白山神社」があるはずだったのだが、よくわからずに通り過ぎてしまった。居合わせた二人組の女性たちも、首をひねりながらキョトンとして顔を見合わせている。私もポカンとしながら特に一生懸命探すことも無く歩みを進める。

 

こういうのはめぐりあわせで、ご縁でもあるから探そうと思えば探すし、そうでなければ先へゆくしかない。

山の辺の道 夜都伎神社付近

見え隠れする大和盆地

やがて夜都伎神社に到着した。横道から境内に入ったため鳥居などくぐらずに、まずこの地方では珍しいという茅葺きの拝殿に対面する形となった。祭神は春日の四神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、姫大神、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)だ。

山の辺の道 夜都伎神社 拝殿

夜都伎神社 拝殿

元々春日神社と夜都伎神社が乙木にあったが、夜都伎の方はなくなり、ここにあった春日神社ひとつになるが、名前が変わり夜都伎神社となって現在に至るとのこと。正確な創建は分かっていないが、春日大社の荘園であった乙木に春日神社が勧請されたことはわかっている。

山の辺の道 夜都伎神社 本殿

夜都伎神社 本殿

夜都伎神社は、蓮の御供えと称する新饌を献供し、60年毎に春日大社からは若宮社殿と鳥居が下賜されてきた。本殿はまことにきらびやかなもので、明治39年に改築されている。

山の辺の道 夜都伎神社 鳥居

夜都伎神社 鳥居

参拝を終え、境内から出てゆくと綿の種が売られていた。綿は江戸期の奈良の特産品で、戦国時代ごろから栽培され始めたとされる綿は、江戸時代には広く一般庶民の衣類へと広がっていった。

山の辺の道 夜都伎神社 綿の種無人販売所

無人の綿種販売所

夜都伎(やとぎ)は、乙木(おとぎ)という地名から来ているという。私なんかは世俗にまみれているから、字面から「夜伽」なんて思い、ちょっとエッチだな、なんて思ってしまったりもするのだが、考えてみると夜都伎神社は古墳を削って社としているとの説もあるので、どちらかというと通夜の晩、故人に夜通し付き添う方の「夜伽」の方が正しいかもしれない。いずれにしても、以上は私の勝手な連想ゲームである。

山の辺の道 夜都伎神社 綿花

和綿と洋綿の綿花について説明がある

歴史の大きな流れは、そんな妄想でさえも鷹揚に押し流し去ってくれる。

のどかな風景の中に、そうした凄みを感じながら私は進む。

 

To Be Continued👉

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