山の辺の道を歩き続けている。三輪の麓であるが、このあたりはここまでの道程で最も古道の雰囲気を楽しめる場所かもしれない。路傍の石碑一つとっても寂びた雰囲気を醸し出していて、疲労の蓄積した足腰の気怠さをしばし忘れさせてくれる。

玄賓庵の手前まで来ると、高市皇子万葉歌碑 (巻2-158)が置かれ、山から涌き出る清水が樋から岩板に落ちて小さな流れを形成していた。
山振之 立儀足 山清水
酌尓雖行 道之白鳴 高市皇子
山吹の 立ちしげみたる 山清水
汲みに行かめば 道の知らなく 安田 靫彦

木造の不動明王座像が伝わる玄賓庵(げんぴあん)。
玄賓(げんぴん)という人は、俗事を嫌ってこの地に隠棲したという。桓武天皇の信頼が厚く、僧侶として律令制の最高位である大僧都に任じられるも、これを辞退している。

14時を過ぎ、太陽も多少傾いてきた。
木々の合間から差し込む日は、2月の下旬らしい優しさがある。

山の辺の道の表示案内に「八大竜王弁財天」とあったのでちょっと寄ってみる。扁額の壊れた鳥居の先には岩坪下池が右手にあり、社はその先にあるようだった。

その先には岩坪上池があり、拝所は下池と神池の間にあるようだ。
この神社、どちらかというとスピリチュアルな文脈で語られることが多いみたい。

お社まで行くと、「日本最古の大神 八大龗王辯財天大神 龗神神社」と扁額がある。なかなかに大仰だ。

この建物は遙拝所のようで、上池を眺めると弁財天らしく鳥居が建てられ、祠がたたずんでいる。けもの道のような道を歩いて行ってみると、どうやらお稲荷さんのようで、キツネさんが祀られていた。

神仏習合のめでたい所どりしたような場所で、湛えられた水の中には蛇の主でもいそうな雰囲気だ。境内はきれいにされていて、管理をしている人は篤信のある人なのだろう。概ね…どのようなゆかりがあるのかは謎であったが、周辺の縁なき神仏を集めてお祀りしているのかな、と思った。

龗神神社の先、民家があり少し空が開けると、「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」
がある。武骨な漢字だらけの石碑だが、ぢつはココ、神武天皇が後の皇后に一目惚れしてlove全開になった場所であるっ!古代の恋人の聖地なのだ。

この狭井河之上(さいのかわのほとり)で、神武天皇は絶世の美女だったという「伊須気余理比売命」に出会う。碑文にはこう書かれておるようです
「神武天皇 伊須気余理比売命ノ御家アリシ狭井河ノ上二行幸アラセラレタリ聖蹟ハ此ノ地付近ナリト推セラル」

古事記によりますれば
「芦原の 醜しき小屋に すが畳 いささやしきて 吾二人寝し」
と歌ったとのこと。醜しき小屋とは自然のままとか、思ったほど悪いイメージではないようです。
われ、ふたり、寝し だなんて。ロマンスですね。ねぇ(深掘りしたいけど割愛)!
その先、三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる狭井神社。
ついに本格的に「大神神社」の境内地に足を踏み入れた。

正式には狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわのあらみたま)神社とよばれ、大神神社の摂社である。垂仁天皇の時代に創祀され、薬の神様として病気平癒にご利益があるとされている。

拝殿の左奥には薬井戸があり、「ご神水」と呼ばれ万病に効くとされている。
荒ぶる神のパワフルなエネルギーを浴び、わが山の辺の道歩きはついに最終目的地へと到達するのである。
To Be Continued👉
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