畝傍御陵前駅から大和西大寺駅に来た。
すっかり日も落ちて夜になっている。前々から観てみたいと思っていた平常宮跡歴史公園のライトアップへ向かって、またまた歩く。

2~3月は、ひな祭りイベント「ひいな節」も開催され、朱雀門には豪華な雛壇が設けられているという。腰はすっかり重たいが、ここまで来たらとことん歩き倒してやろうと決意している。駅の北口から県道104号を約1.1m歩く。

途中から街灯もなく左手は佐紀池という奈良時代からある池が広がり、あるはずの大極殿もちょうど木に隠れて見えないからむっちゃ怖かった。

車も通らなかったが、気を引き締めて歩いているとやがて大極殿の横っ面が見えてきた。不思議に灯りが見えてくると、車も平然と通るようになって、あたりもいっぺんに明るくなったようだった。

恐怖の心理なぞ、そんなもんなのかもなぁ。
第一次大極殿は、2010年に復元が完了している。

正面約44m、側面約20m、高さ約27m、柱44本、屋根瓦が約9万7千枚という平城宮最大の規模を誇る。開館は9:00~16:30だが、園内はいつでも散策できる。

夜空に浮かぶように鎮座する大極殿の灯り以外に周囲を照らすものはほとんど無く、地面も暗くて通路が整備されているはずなのだがそれさえ見つかるのに苦心する。

月夜に浮かぶ大極殿。悠久の歴史をしのぶには格好の条件だが、やはり暗くてちょとお怖い。iPhone16eはとても優秀なためかなり明るく撮れているが、実際はスポットライトと遠い町並みの灯り以外はほとんど闇である。

それでも、闇夜に浮かぶ第一次大極殿は一見の価値があると思う。
せっかくこれだけ美しいので、もう少し夜間の通路を整備してくれると見学もしやすくハードルが下がるだろう。ぼんやりしたフットライトだけでも随分違うと思う。

第一次大極殿の次は、同じくライトアップされた朱雀門を目指す。最短距離でも1kmほどもある。復元整備中の大極門・東楼・西楼を迂回する。さすがは奈良の王都だっただけあってスケールの大きさを歩きながら感じる。
2026年3月に復元整備が完了した東楼(下の写真右の建物)が、この2月には姿を観ることができた。真ん中の大極門(南門)は2022年に復元化完了している。素屋根が東楼から西楼の復元場所に移動している。工事完了時期は未定だが、東楼の工期が4年近かったことから、同じように3、4年はかかりそう。

ようやく朱雀門が近くなった所で、落とし穴があった。
なんと、朱雀門へつづく近鉄奈良線の「朱雀門踏切」を超えるのに時間制限があったのだ。8:00~17:00という絶望的な表示にしばし茫然自失・・・

途方に暮れていても詮無いのでGoogleMapを開いて道を確かめる。結局、東側に走る道路「みやと通り」で踏切を越え、8分くらいかけて迂回。ようやく朱雀門にたどり着いた。

未整備の区間は闇の中に芦の野が見えた。まさに「葦原中国」あしはらのなかつくにだ。

朱雀門の周囲をぐるりと睨め回す。古代の左右対称の様式美は、ある意味で中国大陸の影響下にあると言える。
日本の本領は左右非対称の美意識だが、古代において左右対称を完成させたことで、非対称へと向かう下地を編んだと言えるのではないかと思う。

朱雀門の正面へ回ると、びっしりと雛人形が並べられていた。
女の子連れのご家族がこの雛人形を眺めにやってきていた。なんと全体で3000体、天平みつき館には2000体、朱雀門だけで300体もの雛人形が飾られているという。

雛人形のルーツは、遠く縄文土偶にまでさかのぼるという。疫災や天災の身代わりとして製作された土偶は、弥生時代には木偶(デク)人形を幼児の枕元に置き凶事を肩代わりしてもらう「お守り」の風習へと変化する。古墳時代の埴輪にも、同じような意味が与えられていると考えられている。

奈良の平城京の時代には、遣唐使船に乗って紙や藁などで作られた人形(ひとがた)に災いや罪などを着せて川に流す「流し雛」、桃のお酒を飲みながら1年の無事を願う「上巳の祭り」が伝わってきたとされる。これが土着し、民間へ広がり上巳の節句→桃の節句として今日まで続いているのだ。

雛人形として定着していくのは江戸時代。明治に至るとどんどん派手になっていき、民間に経済力が付いてくるとさらに加速。昭和には15人飾り、七段飾りといった数十万円もする雛飾りが流行。現代では経済力の低下、住宅床面積の縮小が顕著になり、雛人形もコンパクトなものが好まれるようになっている。らしい。

朱雀門広場では、この特大の雛壇を中心としたイベント「平城京ひいな節」が開催されている。
開催期間:令和8年2月21日(土)~4月12日(日)9:00~22:00

朱雀門ひろば前バス停から駅までバスでと思ったが、なんと18:06で終わってしまっている。この時19:15。ガーン。大和西大寺駅まで戻ると約2.0㎞。奈良方面の新大宮駅まで約1.4㎞。近鉄奈良駅まで3.0㎞、ホテルまで3.6㎞…行くしかないか!

300mくらい歩くと奈良時代の高級貴族・長屋王邸跡があった。小学生の頃だったかなぁ。国語の教科書?に「長屋王木簡の発見」というのがあった。遠い記憶だが、私と長屋王は古い記憶で繋がっている。

ここまで45,000歩くらい歩いている。山の辺の道から箸墓古墳。橿原神宮から神武天皇陵。そして平城宮跡を遭難するように徘徊し、さらに奈良へ向かい歩いている。さすがに歩き疲れているが、まだまだ歩けると思い込みつつ、お腹はかなり空いている。
To Be Continued👉
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