JR法隆寺駅から法隆寺までは1.5㎞、北口から徒歩20分くらいだ。バスだと南口のバス停から、日中なら1時間に3本ほど。私はもちろん歩く。

道案内の表示が頻繁にあるので、迷う恐れはほとんどないと思われる。
案内通り歩くと、参道がはじまった。

この参道を5、6分も歩くと、南大門へとたどり着く。
法隆寺の玄関に当たる総門である南大門は、永享10(1438)年に再建された国宝である。

中央から大きく反りあがった軒が特徴的で、法隆寺の伽藍へ至る最初の門としてふさわしいたたずまいを誇っている。

南大門から東西へ300m以上続いている土塀(築地塀)は南面大垣といって、こちらは元禄10(1697)年に再建された重要文化財だ。
土の大垣を眺め、南大門をくぐると法隆寺の境内に入る。

左の土塀は「法隆寺西院西南隅子院築垣 東面」、少し小さいが手前の門は「西園院上土門」、奥の門は「法隆寺西園院唐門」、右手の土塀は「法隆寺西院東南隅子院築垣 西面」と、どれも江戸前、中期にかけて再建されていて、重要文化財に指定されている。

つい五重塔に目が行って急いでしまいがちだが、法隆寺はそれだけではない。
多くの建造物が往古そのままの姿をとどめている。

右手、西面と北面(重文)の築垣の角にある護摩堂を右に観つつ正面の中門と背後にそびえる五重塔を眺める。
壮観というほかなく、どこを切り取っても風景として一級品だ。写真の上手い下手いは別としてw

じっくりと参道を歩くと、西院伽藍の入口にあたる「中門(ちゅうもん)」にいたる。
世界遺産を示す立派な石碑のちょっと後ろがフォトスポットとしてとってもいい感じ。

「中門」は飛鳥時代の建立で、国宝に指定されている。
593~709年に創建されたと推定されており、西院伽藍内の五重塔、金堂も含め現存する木造建造物としては世界最古だ。

西院伽藍の入口は中門の左側にあって、ここから有料の区間となる。
入場料は一般(高校生以上)2,000円、中学生1,700円、小学生1,000円。
西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内を拝観できる。
チケットを購入し、西院伽藍へ。
入ってすぐ、そびえたつ五重塔のスケールに圧倒される。
高さは約31.5m(色々説あり)、飛鳥時代、日本最古の塔であり、当然、国宝である。

五重塔や金堂は「肘木(ひじき)」や「斗(ます)」という桁の重さを受け分散させる木材に、雲が流れるような意匠を施した「雲肘木」「雲斗」という、法隆寺や近隣の法起寺にしか無い極めて特徴的な様式を採用している。
五重塔の最下層を覗くと、「塔本塑像」という土で作られた舞台の上にたくさんの像が並び、ちょっと見、怖い雰囲気の異世界が鎮まっている。
「凄いもの見たな」という気持ちになった。奈良時代に造られたもので、国宝に指定されている。

古代の建造物にも関わらず高度な技法が随所に使われている。
耐震技術は現代の高層建築でも通用する技法が用いられているという。

すぐ横に配された金堂は、西院伽藍最古の建築で、現存する世界最古の木造建築である。五重塔が天まで届けとばかりにそびえているのに対して、ずっしりと地に腰を下ろしてたたずんでいる印象だ。

堂内には釈迦三尊像や薬師如来像、(いずれも飛鳥時代・国宝)や阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財)などが安置されている。これもぜひ覗いてみよう。

これらの建造物群は、法隆寺の創建時のものではないという。
実は法隆寺は一度焼失していて、発掘調査で裏付けが取れている。
日本書紀の記述が正しければ670年に焼失したことになるようだ。

法隆寺はもともと用明天皇が自らの病気平癒を願い建立を発願し、その遺志を継いで完成させたのが聖徳太子である。彼が叔母である推古天皇と計画を進め、607年に完成されたと伝えられている。

それにしても、歴史の時系列で言うとちょっと前か同じくらいの時期に古墳を築いていた人たちが、こうした木造の建物を造り始めるとはどういった心境の変化だったのだろうか。さぞ当時の民はあっけにとられたことと思う。

僧侶たちが仏教を学ぶために使われていた大講堂は平安時代の建築で、もちろん国宝に指定されている。正暦元(990年)に創建時とほぼ同じ規模で再建されたものだ。

西院伽藍の北西には、経典を納めるために建立されたという経蔵がある。
こちらは奈良時代のもので、国宝に指定されている。
今は百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)を安置している。

また、伝承ではこの経蔵には三伏蔵という隠し蔵のようなものがあり、金堂内と大湯屋前のものを含め、法隆寺を再興できるほどの財宝が隠されているという。

法隆寺には七不思議というものがあり、三伏蔵もその一つだ。ほかに、スズメが建物にフンをしないとか、雲が巣を張らない、五重塔のてっぺんの輪っかにに鎌が4本刺さっている、といった虚実ないまぜの不思議が伝えられている。

西院伽藍を囲んでいる回廊も、飛鳥時代から残る国宝建築物だ。もともとは下の写真の手前の柱から直線で西側と繋がり、金堂と五重塔を囲んでいたが、平安時代に拡張され、経蔵・鐘楼・大講堂を繋いだ。

回廊の柱に注目したいのは、胴張りといって円柱の下から1/3あたりが一番太くなっている構造で、古代ギリシア・ローマ時代の建築様式に観られる「エンタシス」という技法と酷似している。
ギリシアのパルテノン神殿はエンタシスの代表的な例と言われている。エンタシスの技法がギリシアから伝わったのか、はたまた東アジア、ひいては日本独自の工夫なのかは諸説あるが、世界は古代もつながっていた、ということは言えると思う。

日本ではこの技法を「胴張り」という。見た目の安定感が増すという利点があるものの、平安時代にはめっきり使われなくなったとされる。
パッと見た感じではわからない。わかってたまるか、そういう技法なのであるw

西院伽藍では、私はたたずんで眺めていることが多かったように思う。
どの建物がどの時代のものか、といった説明に平気で飛鳥や奈良、平安といった古代にすでに存在した建物が、今目の前にあるのだ。
鎌倉はともかく室町や江戸と言われても、もはや現代の部類に入れてしまいたくなるほどに古い。

西院伽藍の北西には経蔵があったが、北東には鐘楼がある。当初の鐘楼は落雷で焼失し、経蔵を模して再建したため外見は似ているが、細部を観ると平安建築の様式が観られるという。

梵鐘は奈良時代のもので重要文化財であり、今でも大法要の際には撞かれ、境内にその音色が響き渡っている。私は残念ながら聴いていないが。
柿と俳句をこよなく愛した(柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべしと本人が宣っている)正岡子規のあまりにも有名な一句で、法隆寺前編の記事を終えたい。
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
次は、有名どころがならぶ西院伽藍以外の法隆寺を巡ってみたいと思う。
To Be Continued👉
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旅のメモ📝
法隆寺 公式HP → https://www.horyuji.or.jp/