黒姫山と男山、その麓に流れる鯖石川の左岸にある小さな扇状地。
県道12号を鯖石川沿いに走ると、「荻ノ島」の看板があった。
そこには全国でも珍しい「かやぶきの環状集落」があると聞く。
古老の伝承によると大昔はもうぎの原に沖のような島があり、「もうぎケ原沖の島」と呼ばれたが、いつの間に短縮したのか「荻ノ島」と呼ばれるようになったそうな。
集落に入ると、駐車スペースがあるのでそこに車を停めた。
駐車場の案内の裏に子どもたちがセミの抜け殻を見つける。

土の上に木なんていくらでもあろうに、不思議とコンクリの上の人工物を選んだセミは、どういった心境だったのだろう。

集落を歩いてみる。
宿などがある方向をとりあえず目指してみる。
水路に流れる水さえも、どこかこの集落の夏を顕しているような心持がする。

集落の周辺では、縄文時代の土器や貝塚など生活の痕跡が発見されており、古くからこの地域に人が住みついていたことが分かっている。また平安末期に活躍した武将・木曽義仲につながる一族が暮らしていたとも伝わっている。

茅葺き屋根の民家が田んぼを囲んで立ち並んでいる。
集落の西に流れる沢水を村なかに引き込んで水路を南北に流して生活しているため、このような景観になったという。

民家、道、水路(エガワ)が一体となって田んぼを囲んでいるその様を眺めていると、この国の発祥の時代、稲作を用いた民がその稲穂を眺め、愛で、食した古い記憶を今に伝えている生き証人のように思えた。
外敵から中央の水田を守り、貴重な水を水路…この地では「エガワ」と呼ぶ…を使い全戸に効率的に配る。また、日照を考慮して地形を利用し、各農家に支障のないように工夫されている。

集落にはかやぶきの家に宿泊できる「荻ノ島かやぶきの宿」一棟貸し 荻の家・島の家や隈研吾設計・かやぶき屋根のカフェ「陽の楽家」があるが、当日は休業していたようだった。

この日は子どもたちは夏休みであるとはいえ平日だったので、出会う人もなく、静かにセミや鳥たちの声だけが鳴り響いていた。

集落の戸数は江戸末期で33戸であった。昭和初期には101戸と増えているがその後減少、2000年に40戸と現地案内に記録されていた。

集落の鎮守・松尾神社に詣でる。
樹齢700年と推定されるご神木の大杉がそびえ立つ。
日当たりのよい環状集落の一角に木漏れ日をもたらしている。

誰が立てたか、自然に立ったか私にはわからないが、この木がまだ若い頃から人々はとっくの昔にここで暮らしていたのだ。そして今は、この大杉が集落をずっとずっと見守っている。

なんとなくだけど思ったこと。
水田は外敵から身を護る「外堀」的な役割を果たすように思い込んでいたが、ここでは水田を集落が身を挺して守っていた。そこに、私たちがすっかり実感しにくくなった「日本の原風景」が眠っているように思えた。
なんとなくだけどそんなことを思い、腹が減った。
深い山を巡っていたら、お昼をすっかり過ぎてしまっている。
To Be Continued👉
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