誰が言ったか見事なキャッチ「高原の城下町・小諸」
小諸宿は、江戸時代初期に整備された佐渡へと続く北国街道の宿場町。
南方には佐久甲州街道、そして江戸から京へと続く中山道が通る。

古くは東山道が通っており、東西・南北へと人や物が往来する交通の要衝である。
小諸グランドキャッスルホテルを出発した私は「懐古園入口」交差点から北国街道へ入った。しなの鉄道の高架をくぐると、すぐに旧小諸本陣にでくわした。
ただし令和の大修理中で骨組みだけのような状態で白布で覆いかぶされていた。
本陣とはその宿場に泊まる参勤交代の大名や公家などが特権的に宿泊できる施設で、物流や情報発信・収集の拠点としての役割も持っていた。

旧小諸宿本陣から北国街道を歩き、光岳寺まで直進で徒歩10分ほど。
ひとまずそこまで歩いてみる。
街道沿いには多くの歴史的建造物が残る。

歩き始めてすぐ江戸時代後期の建物を使用している那須野整骨院(写真上)や
旧脇本陣を宿泊やカフェとして活用している旅籠・茶屋「粂屋」が目を引く。

その先には「鍋蓋城跡」の表示がある白壁と蔵の建物がある。城跡としての遺構は無い。小諸城時代には鍋蓋曲輪があって、江戸時代には小諸城代の家老屋敷が置かれていたという。現在の建物は昭和期の宿泊施設とのこと。

旧大塚酒店は築100年、街道沿いの折れ曲がりの角に立つことから「カド」と呼ばれ親しまれていたが今は閉店している。今は「人とお酒と、あれやこれやが交わるところ・カド」としてカフェ、酒屋、角打ちbarとしてあらたな賑わいの場となっている。

面白い名前の坂を見つけた。
「権兵衛坂」!

小諸城主だった仙石”権兵衛”が城かを視察した際に健速神社へ参拝するときにこの坂を通っていたという伝承がある。年に一度の祇園祭では祭料を供え、祭礼を庇護していたという。
少し権兵衛坂を歩いてみる。中沢川が流れていて、常盤橋が架かっていた。
思いのほか深そうな沢だ。

立派な石垣の段上にある「ほんまち遊子公園」には東屋があり、浅間山連峰を一望できるナイスなロケーションとなっている。公園の名はこの地にゆかりのある島崎藤村の詩にちなんだものだ。

北国街道に戻ってさらに歩く。
小諸郵便局発祥の地があった。
案内によると、明治5(1872)年7月1日に小諸郵便取次所がこの地に開設されたという。

歩く道は東へ向かっている。
日もすっかり登ったが、まだ街道を照らすには少し早いらしい。
まだ5:40だからねw

ほんまち町屋館は、江戸時代には街道で運ばれる荷物の中継を担う問屋場があり、宿場の中心であった。町屋館は大正12(1923)年築で味噌・醤油醸造元の清水屋の店舗だった。現在は本町まちおこしの拠点として街道めぐりの客人をもてなしている。

町屋館は早朝のため閉まっていたが、併設されている「みはらし庭」へは入って行くことができた。

アニメ「あの夏で待ってる」の聖地としても有名らしい。
私には申し訳ない!わかりませんが。
街道や町のそちこちにパネルや絵を見かけた。

ここも遊子公園と同様に浅間山連峰一望のロケーションだ。
こんなに雄大で優美な景色を眺めながら暮らせるというのは、人生のほとんどを箱庭のような分譲住宅街で育った私としては憧れることしきりなのだ。

思ったよりも古い家並みが多くて歩いていて飽きない。
こういう雰囲気のよい看板のお店がかつて軒を連ねていたのか。しみじみ。

「そば七」は江戸後期の建物で、この地域の修景・町並み再生の先駆け的存在だ。
もとは、小諸宿の本陣代として建てられた。
立派な向拝の玄関は1806年頃のものとされ、当時流行った意匠であるという。

萬屋骨董店は明治時代に小諸銀行として建てられた。
商都として威勢のあった小諸の豪商たちが開いた。
「蔵造り」の建物で全体が土壁で塗られ、両サイドには「袖うだつ」が上がっている。
これらは火事があっても延焼をふせぐ工夫である。

光岳寺の手前に北側に大門小路、南側におふらや小路が交差する辻がある。
祇園坂と呼ばれる坂となっていて、ちょっとした景観を成していた。

北国街道祇園坂の辻から、歩いてきた西方向を眺めた。
写真だけでは(技術も無く‥)伝わりにくいかもしれないが、想像していたよりもずっと風情のある道だった。ぜひ実際に歩いて感じて欲しい。

さて北国街道ちょっと歩きはこれで最後。
小諸城を紹介した記事でも触れたが、光岳寺には小諸城の足柄門だった城門が移築現存している。
(こちらも読んでね→6 高原の城下町・小諸!日本唯一の穴城「小諸城」をめぐる♪重要文化財の城門も)

高麗門形式の堂々たる門構えである。
なお境内の山門も立派で、小諸城下で唯一、二階建ての楼門で存在感を示している。

小諸宿は、城郭が城下よりも低い位置に存在する。
小諸城は日本唯一の”穴城”である。小諸駅は北国街道より南に下る。
その先に小諸城がある。確かに坂道だ。

こちらは昨夜、小諸駅近辺をお散歩した時に立ち寄りかけた繁華な一角の朝バージョンである。
(→こちらの記事も読んでね!7 高原の城下町・小諸!夜のお散歩♪小諸駅周辺めぐり)

小諸駅へとたどり着いた。
朝の爽やかな空気、GWに入った城下町の朝の雰囲気。

歩いて温まった体とまだ少しヒンヤリしている外気。素晴らしい!
朝の城下町さんぽは本当に楽しい。いくらでも歩いていられる。

駅構内も、夜と朝とでは雰囲気が違う。
乗るわけでもないのにいかにも乗りそうな感じで改札の前まで行ってみる。

ひと昔前のような「歓!!さわやか信州へ!!迎」
子どもたちが描いたのだろうか。虹が印象的な絵が掲げられている。

小諸城は現在「小諸城址 懐古園」となっているが、三の丸部分は駅前開発でほぼ埋められてしまっている。

しかし三の丸跡の大手門は現存しており、小諸城大手門公園でその威容を眺めることができる。小諸城については下記の記事を読んでね!
すっかり朝の陽ざしとなった穴城への入口三之門。
こちらも重要文化財だ。

地下道から三之門を正面に観て左手に、いくつか石碑が置かれている場所がある。
徳川秀忠が関ヶ原へ向かうときに小諸に陣を張り上田でひと泡吹かされた時に腰を下ろしたとされる「憩石」。

牧野公遺徳碑は、小諸藩主牧野遠江守康哉の治績を讃えた石碑である。
治水や洋式兵法、養老育児法、殖産興業に種痘法の創始など多方面に手腕を発揮している。さらに江戸末期の幕政において若年寄を拝命し幕末の大局で存在感を示すなど功績は大きく、永久に語り継ぐべくこの遺徳碑を建てたと説明されている。
「高原の城下町」というと実に爽やかな印象を抱くものだが、風情のある町並みや小諸城、そして歴史に裏打ちされた「ふるきよき」町の「ふんいき」がにじみ出ている。そんな小諸のまちであった。とても良い小諸滞在ができ申した。
To Be Continued👉
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