上田城は、過去4回ほど来たことがあって、割としっかり城下も含めてめぐったこともあるんだけど、逆に今回ほどライトにめぐったのは初めてだったかな。

大手門跡の道路は、ここが城郭だった時代そのままに鍵の手に折れて曲がっている。寄せ手が攻めてきたときに勢いを削ぐ基本的な工夫だ。

上田市観光会館は、過去4回も来た割に初めて入ったと思う。
上田城、特に真田関連のアイテムがかなり充実している。お城のすぐ向かいの立地でもあるので、城めぐりの前後に立ち寄るにはうってつけ。

2階に上がれば、上田城二の丸橋を眺めることができる。
上田城や真田氏についてや、大河ドラマ「真田丸」関連の展示も見応えがある。

日本100名城スタンプはここでゲットできるよ!
私は日本100名城は全部めぐったけど、スタンプはあまり集まらなかったなぁ苦笑

唐突だけどゴジラと上田城のコラボ商品もあった。
マイナスワンゴジラが大きくあしらわれていて迫力がある。
ゴジラは、平成中盤以降の低迷期から「シン・ゴジラ」「ゴジラ-1.0」さらにアメリカ版と人気が世界にまで広がって、ミレニアムシリーズもずっと大ファンだった私としては本当に嬉しい限りです。

家族連れで来ているので、巡り方も見事にそっちへと引っ張られる。
それで良いのです。
電車好きな長男かけ8歳に「この下は昔電車が走ってたんよ」と教えた。

上田城跡公園の入口・二の丸橋から下方を覗くと、そこは「上田城跡ケヤキ並木」と呼ばれる遊歩道になっている。

この遊歩道は上田城二の丸堀の跡である。
延長646間(1,163m)あり、城の東側を守っていた。
昭和3年5月に上田温泉電気軌道北東線が開通すると、ここに線路が敷かれ電車が走った。

城郭である過去や現状を考えるとちょっと信じがたい事ではあるが、それらしい遺構がちゃんと残っているので信じるよりほかない。
二の丸橋の真下には、プラットホームの跡も残っている。

はじめ公会堂下駅と称していたが、昭和23(1948)年に公園前駅と改称。
昭和35(1960)年には真田傍陽線と路線名が変わった。
往時の賑わいを私は知らないが、それも過去のものとなり、昭和47(1972)年に廃止された。

5月の爽やかな風と、ちょっと暑いくらいの日差しを間引いてくれるケヤキ並木の木漏れ日が心地よい。小学校3年生になって旅行にそこまで乗り気でなくなった長男かけは、この電鉄跡に興味を惹かれたらしい。
遊歩道を端から端まで歩いて、ここはこうでは無かったか、もう一つくらい駅があったのではないか、とこちらが閉口するくらい熱心に歩き回った(というかコレ、私の血じゃん…)

堀跡を隅々まで歩き、ようやく地中から這い出るように飛び出すと、そこは南櫓直下だった。この場所は上田城跡でも東虎口櫓門に並んで眺めの良い場所だ。

石垣が三段に積まれているが、一番下の段は護岸のためのものだという。
かつてここは千曲川分流・尼ヶ淵が流れ、城郭の南側を鉄壁にしていた。
今は駐車場ややぐら下芝生広場が整備され広々、のびのびした場所になっている。

城内唯一の現存遺構である西櫓。
腰巻土塁のようになっている中段は、そのまま尼ヶ淵の断崖を見るようだ。
今はすっかり状況が変わっているが、ここが川の絶壁だったことを想像せねば、この上田城という徳川の軍勢を二度追い払った名城の名城たる所以を抑えることはできますまい。

西櫓のそばに階段が整備され、一気に本丸へ上がることができる。
登り切った所にある本丸虎口はなかなか素晴らしい遺構だが、今回は城めぐりする気がほとんど失せていたので写真もない苦笑

本丸には眞田神社が鎮座している。
元々は松平(しょうへい)神社と称しており、江戸初期のうちに仙石氏にかわり上田藩5万8千石の藩主となりこの地を7代160余年統治した松平氏を祀っていた。

戦後、上田城の復興機運が高まると歴代城主を祀るべきではないかとの声が上がり、仙石氏、真田氏も合祀されることとなり名前も上田神社と改称された。
しかし市内には同名の神社があり紛らわしいということで再度改称が行われ、現在の「眞田神社」となったわけである。

「眞田」と改称されたのは、やはり六文銭の真田氏を懐かしんだからだろう。
今では徳川に責められても「落ちない」縁起の良い神社として、受験生や試験を控えた人々の信仰を集めている。この日も、体操服の中学生くらいの男女が何人も訪れていて、部活の必勝祈願だろうか、とても明るい雰囲気で楽しそうだった。

まぁ、真田幸村…最近は信繁と言われるが、彼や父・昌幸、信之らの英雄譚は血沸き肉躍るものがあり、彼らの絶大な人気がこの上田の地を時代が変わっても賑やかに潤しているのは歴史の妙というものだろう。昌幸のしたり顔が目に浮かぶわいw

境内にはおみくじが何種類もあり、それぞれ気に入ったおみくじを引いて結んでいた。
真田井戸や大きな兜のモニュメントもあり、真田一色といった趣である。
東虎口櫓門を出て、家族4人で写真を撮った。

「あ、かがやき!!」子どもが土橋から木々の隙間を眺めていると、ちょうど両側から北陸新幹線がサーッと通過していくのが見えた。
ここから眺める石垣の端には、内堀を遮断する土止めの役割がある。
他の城でもあまり見ない遺構だ。

ここから眺める石垣の端には、内堀を遮断する土止めの役割がある。
他の城でもあまり見ない遺構だ。
二の丸では、本丸櫓と武者溜りの復元へ向けた調査・整備が行われている。
今後の上田城も注目だ。

あ、かめ!かめさん!ウミガメ!
いやいや、ウミガメなはずないでしょww
甲羅干しをしていた。

ここは観ておきたいスポット。
本丸土塁の隅欠(すみおとし)。
古来から北東の方角は不吉という考えがあり、上田城や城下の藩主屋形などでは、鬼門除けとして北東の隅を切り欠いて縁起を担いでいた。

ここでは隅の土塁を切り欠き、両側に櫓を2基設置する徹底ぶりであったという。この遺構は真田氏のころからのものと考えられていて、徳川の軍勢を袖にした真田でさえ、鬼門=弱点を恐れていたのかと思うとちょっとおかしみが湧いてくる。

というわけで、城めぐりとしてはちょっと半端になってしまったが、家族旅行としてはデンシャの跡やおみくじの神社を堪能できて、楽しい思い出ができたのでした。
To Be Continued👉
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