紙に関する神が祀られているという。
旅は福井市を抜け、鯖江市を過ぎ、再び越前市である。
妻えみさーのこの旅のリクエスト「パワースポット」

珍しく自身で調べて「ここへ!」行ってみたい。といったのが
「岡太神社・大瀧神社」であった。
まず二つの神社の名前が並行しているのが謎である。

境内を巡っているうちに解けるだろうか。
道路上に神仏習合を示す両部鳥居である一の鳥居があり、境内へ至る二の鳥居がある。
我々は駐車場に車を停めたので、一番近い東の鳥居から境内へと進んだ。

鷹揚に生い茂っている杉の木のためか、印象以上に広く感じる境内だが、二の鳥居、南の鳥居、東の鳥居、どの鳥居から入っても、隣り合っているように互いが近い。

南の鳥居も近いので見てみる。神門やその奥の本拝殿が見えている。
岡太神社・大瀧神社は里宮の社殿を両社が共有しているため両方の名前が併記されている。

岡太神社・大瀧神社。おかもと。おおたき。と、読む。
日本でも珍しい「紙の神」を祀っている。
今から1,500年前、男大迹(おおど)皇子(後の継体天皇)が越前を開拓すべく奮闘していた時代。

岡太川の上流に美しい姫が現れて「清らかな水に恵まれているこの地で紙すきをして生計を立てよ」と言い、技能を伝承したという。
里人は、この姫を「川上御前」と崇め奉り、岡太神社を建立し祀った。

もうひとつの神社、大瀧神社について。
少し後の時代、推古天皇の世に大伴連大瀧(おおとものむらじおおたき)が勧請を行ったことが起源とされている。

719年、泰澄(たいちょう)という僧が守護神を川上御前、主祭神を国常立尊(くにとこたちのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、本地を十一面観音菩薩とし、大瀧兒大権現(おおたきちごごんげん)を祀る社を、別当寺として大瀧寺を創建した。

大瀧神社の方は「神仏習合」の思想が反映されているので、神社と寺が一緒になっている。社殿は戦国時代の戦火によって灰燼に帰したが、その後の歴代領主によって手あつく庇護され幕末に至る。明治の廃仏毀釈によって寺は廃絶、大瀧神社となった。

現在、私たちが参拝しているのは里宮というべきもので、奥の院が山中にあり、岡太神社・大瀧神社の本殿、さらに八幡社が並び立ち、手前には拝殿が配されている。
すみません、子連れ、雨上がりでもあり行っていないのです。。。

紙祖神(しそじん)として崇敬される岡太神社。神話のような越前和紙発祥の話をもう少し詳しく記したい。現地説明板を参考に書き下す。
人々の前に現れ紙漉きを推奨した美しい姫は、神託を授けるだけに止まらず、自ら衣を脱ぎ傍らの木の枝に引っかけて紙すきの方法を「ねんごろに」教えたという。

里人はすっかり感激して姫の名を聞いたところ「わたくしはこの川の上流に住むものです」と言ったきり姿を消したという。以来、この地では世に名高い越前和紙が漉かれ、やがて全国の紙業者に尊崇されていくのである。

この神社の社殿はそんな岡太神社・大瀧神社の歴史をなぞるように複雑な構造をしている。正面や真横から見ただけでは、その全貌が見て取れないのもまた面白い。

斜め左から見よう。
手前の拝殿と後ろの本殿がくっついているのだ。
拝殿は入母屋造妻入。本殿は一間社流造という様式である。

拝殿のトップに唐破風を配置し、その後ろに千鳥破風、本殿も同様に唐破風、千鳥破風と続く。このような建築様式は歴史的、全国的に見ても他に類例がない。天保14(1843)年、越前の名刹・永平寺の大工棟梁・大久保勘左衛門によって建立された。

歴史の豊かさを体現したような見事な建築と各所に配置された精巧な彫刻は大変貴重なものであり「大滝神社本殿及び拝殿」として国の重要文化財に指定されている。

二つの神社が同じ社殿を共有する。
日本で唯一、紙を司る神を祀る。
日本一複雑とされる優美な屋根を有する本拝殿。
この国の歴史の複雑さを体現したような神社が、越前の山麓、杉木立の境内にひっそりとたたずんでいた。日本の歴史の妙そのものだと思った。
To Be Continued👉
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