越前大野駅から国道476号を越前大野城へ向かって5分くらい歩くと、長い玉垣が左手に続き、なにやらゆかしい寺社があるのかと推察(大げさな・・・)した。

玉垣の端まで行くと「郷社 日吉神社」と刻まれた石碑のある入口と駐車場があった。
私は神社の正面から入りたいので、駐車場の角から左へ曲がって日吉神社のメインゲート。鳥居を前にたたずんだ。
鳥居の傍らにあった石碑の「山王宮日吉神社御由緒」によると、創建は鎌倉時代、12世紀初頭の頃らしい。

拝殿にお参りする。お願い事は五穀豊穣。
ご飯さえ食べられれば、そうそう戦乱など起こらないのだ。

日吉神社は戦国時代に金森長親が築いた大野城よりも古い時代のもので、大山咋命が祀られている。オオヤマクイは山末之大主神とも称され、古事記にも登場する神話の時代の神様である。大山咋命は神仏混交の思想の中で山王権現と呼ばれるようになった。

本殿の以外にもいつかの神社が鎮座している。
石造りの山王鳥居が特徴的な山王天満宮は天神様を祀っている。
受験やテストで良い点を取りたいならここですな。

天満宮の山王鳥居にその名残を見て取れるが、この日吉神社も江戸時代の終わりまで「山王宮」や「日吉山王社」と称し、地域の人には「山王さん」と呼ばれ親しまれている。
神仏習合の名残と言えば境内社の「観世音菩薩 小池神社」などまさに象徴的である。云われまでは分らなかったが、どこか別の地に祀られていたものが境内社として遷座してきたものなのかもしれない。

その奥に、日吉神社の本殿なのであろうか、二つお社が祀られていた。
ひとつは道祖神社。導きの神様である。

もうひとつは「山王宮」
こちらは狛犬ではなく、狛猿が守っている。
日吉系列の神社では、猿は神の使いとして崇められている。

南北朝時代のはじめ、この辺りが「土橋の庄」と呼ばれていた頃には亥山城が南朝方の堀口氏政によって構えられていたと「太平記」に記されている。

日吉神社に祀られている大山咋命はその城の守護神として奉祀され、いつしかこの地の産土神として尊崇を受けるようになったという。

正面の鳥居のすぐそばに、そのころの様子をしのぶ遺構として水堀が遺っている。
亥山城の城域は、概ね日吉神社の境内と推定されている。

高低差は10m程度、城の規模としても、城郭というよりはちょっとした砦に近いものだったのではないか。別名土橋城とも呼ばれ、応仁の乱のきっかけの一つとなった斯波氏の後継者争いでは朝倉孝景が斯波・二宮氏が籠るこの城を落城させている。
これだけ見れれば城めぐりゃーは満足w
さらに大野散策は続く。
To Be Continued👉
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