JR東日本横須賀線・田浦駅からは11分、京浜急行本線・安針塚駅からは21分とGoogleマップはいう。私は軽めハイク気取りで安針塚駅に降りた。

2026年5月のよく晴れた土曜日、次男くんじ4歳と駅前の京急ストアで水分補給の飲み物を買って歩き始めた。
民家のコンクリート舗装壁に、トトロとバス停が描かれていた。
十三峠、ながうらは、このあたりの地名だ。キシラバスとは何だろう。

「安針塚駅入口」交差点で国道16号に接続し、左折して新長浦隧道を進む。
その先「長浦町五丁目」交差点で左折。
その先250mくらいで歩行者専用の「ながかまトンネル」だ。

ながかまトンネルを出てまた左折。
おち、おちと歩くと「のの字坂」と呼ばれる坂で、のの字橋が見える。
JR田浦駅の奥にたたずむ横須賀の特徴的な谷戸地形ならではの道である。

さながら、ループ坂である。
カーブが描く円の真ん中には公園が整備されている。

道幅は、車の離合ができない程度に狭い。
坂の途中の見晴らしが良い場所からは、長浦港や住重のゴライアスクレーンが見えている。

前段が少し長くなったが、この日は横須賀市で最近話題の廃墟群
「月見台住宅*」
へ来たのだ。末尾に「*」が付いているのがおしゃれだが、以降は便宜上省く。

少し前まで揶揄っぽいニュアンスで「天空の廃墟」と呼ばれてしまっていたこの月見台住宅。地元でもあって、そのうち廃墟見物でも行くかと遊山気分で構えていたが、ここ数年で大きく状況が変わったことを年始の地域ニュースで知った。

神奈川県横須賀市「旧横須賀市営田浦月見台住宅」は、約60年前、昭和の時代に市によって築かれた平屋の住宅地であり、当時はモダンで憧れ、最新鋭設備が整った住環境であったという。
さらに古くは鎌倉時代に幕府の下屋敷があり、お殿様が月見をしたことから月見台と呼ばれたという。その頃から「城の台」しろんだ、と呼び親しまれていたという。戦時中は兵舎や砲台が置かれ一般の立ち入りは禁止されていた。

時は流れて、昭和が終わり平成が過ぎ、令和という時代が始まり2022年に最後の入居者が退去することにより、月見台住宅は完全な廃墟となり先述の「天空の廃墟」という自嘲とも皮肉ともとれる二つ名を欲しいままにしてしまっていた。

1万3653㎡もの敷地に22棟、58戸の平屋住宅が立ち並んでいた。
昭和45(1960)年に誕生した月見台住宅はその役割を終え、地域住民たちにとっては静かな迷惑となっていた。

「それが・・・!!」
と、私は次男くんじ4歳と一緒にはらっぱの見晴らしを堪能しつつ呆然とする思いであった。

今や全47戸中45戸が開業もしくは開業準備中(2026年6月時点)で、地域だけに止まらず、県外からも観光客が訪れる一大ムーブメントが起こっているというのであるから、想像力の乏しい私に信じられるはずもない。
ので、百聞は一見に如かずの故事もあることだし、ちょっくら来てみたのだ。
官民連携で仕掛けられた天空の廃墟の復活劇!とくとご覧ずるべし(´ω`)

次男くんじがお腹空いたというので、まずは月見台の小さなおむすび屋さん「おむすび ゆら」でおむすびを購入する。店舗のおじちゃん、ああ、いいですよと穏やかに写真を撮らせてくれた。

私は「うなぎとたまご焼き」、次男くんじは「紅鮭」
一気にお客さんが来てしまったようで、少し時間がかかるというので待ち時間で住宅の裏手を観てみた。

高度経済成長期のその頃、人口もどんどん増え、イケイケの状態の中で官主導で整備された月見台住宅。ここで暮らした人たちの人生は、どんなだったろう。

やがておむすびが出来上がった。
料金を払い、向かいにあるイスとテーブルで食べようと思ったが、上空の鳥が気になったり子どもには少しバランスが悪かったりするため場所を変えることに。

屋内で休憩が取れる「集合棟」へと移動。
内部には色々なパンフレットやイベント情報、古い学校のイスや机が置かれている。
クーラーもあるから夏でも安心である。

とてもきれいなトイレもあり、次男くんじも安心してウンチができた。
月見台住宅のタペストリーが掲示されている。

かつて多くの子どもが声を上げ、暮らしの思い出が残る、月見台住宅・・・
丑の日には軒々にかば焼きの香りが漂っていただろうか。
想像もできないものの、私なりに感慨深くおむすびを頂く。

おむすびを食べていると喉も乾いてきたので「CAFE SHUTTLE」でコーヒーを買う。
きれいな色合いのバイカラークロワッサンの専門店で、クロワッサンのラスクも売っている。ラスクもおやつに買ってみた。

こちらも気さくに写真を撮らせてくれた。
お店のおばちゃんによると、別荘気分で営業していますよ、とのこと。

月見台住宅は住む場所と働く場所を一体化させた「なりわい住宅」という新たな形のライフスタイルを提案している。そういったコンセプトにマッチした人たちが、ここの復活に一役買っているのだ。

地域や住宅地を守りつつ再建・再発展している。見事なウィンウィンではないか。
「文化財」となりつつある「古い建物」を保存、リノベするだけでなく「今」の暮らしに溶け込み活用する、持続性がありしかも地域社会の新たな可能性を感じさせる。

私は、私の子どもの頃を思い出している。
35年前。
月見台住宅など比べ物にならないほどの大規模分譲住宅地で育った。
公園では野球をし、サッカーをし、危険な遊びもして近所の人から怒られて過ごした。
気が付いてみたら私は大人になって育った地を離れ、同じように多くの仲間が離れ、残った人たちも、私の両親も含めて老いた。

地区全体が老いて、2階の家のシャッターは閉ざされ「2階シャッター街」と母は弱り始めた足で自嘲笑いをしている。
次の時代は
持続性がカギだと思う。
続かなければ、私たちもまたこの国の狭い土地に思い出という名の捨てがたい廃墟を生み出し、次世代の子どもたちや自然を困らせるだろう。
それは願うところではないはずだ。

多くのお店が廃墟に入り、盛況を取り戻した月見台住宅は、持続可能であろうか。
この日、多くの人が月見台住宅に訪れていた。
お店も多彩で、小さな酒処、お弁当屋さん、古着雑貨屋さん、中古おもちゃ屋さんなど、色々なジャンルのお店が軒を連ねている。

また来てみたくなる工夫や仕掛けがなされていて、滞在しているとほんわか楽しい。
再生のバトンは次の世代に渡された。
今度はイベントが開催されている時に行ってみようかな\(^o^)/
おしまい
最 後まで読んでいただきありがとうございます📚
わたくし、ご当地バーガー🍔に好物のチーズ🧀をトッピングしたく、「投げ銭」を乞うております💰
推参不躾ではござりまするが、どうぞお引き立てのほどお願い申します(`・ω・´)ゞ
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