備中松山城を11:10頃から14:15。
麓から登り実に3時間以上かけて地上に降りてきた。

歩いて市役所の駐車場まで戻るのだが、どう歩こう。
GoogleMapを見て、ざっくり本町・下町というところを目指してみた。

高梁市本町は、慶長10年代(1605~1614)に小堀正次、政一(遠州)父子が備中国奉行として着任し、この町を中心に備中国の特産物の生産、集荷といった城下町づくりをはじめたのが「本町」の始まりで、備前岡山などを結ぶ街道・松山往来の起点である。

その後、水谷氏の時代(寛永~元禄・1642~93)に資源開発や高梁川の航路整備で高瀬舟の発着場を本町と下町に作り、高梁(松山)川の物流大動脈化と共にその経済活動の中心地として様々な業種の商人が集まった。
高梁市商家資料館 池上邸は享保年間・八代将軍吉宗の頃に小間物屋をはじめ、両替商、高瀬舟の船主などを経て八代目長右衛門の時に醤油製造で財を成した城下屈指の豪商の家だ。今は無料の休憩所として自由に見学できる。

てくてく。
なにやら素敵な小路。
江戸末期の小間物屋、阿蘇屋の裏手だったため阿蘇屋小路と呼ばれた。

高梁の町家は間口が狭く奥行きの長い短冊形の敷地に建っている。
主屋は道路側、その背後に炊事場、風呂、便所、土蔵などが続く。

家屋の特徴として(たまたま撮れていた写真を元に)いくつか挙げると・・・
格子(隔子)は屋内と外界とを隔て、また結びつける機能を持っている。高梁の町並みにはフラットな平格子と出窓のような出格子が観られる。

海鼠壁は壁面の保護、保温、防湿、防虫、火災・盗難予防で造られ漆喰で塗り込められている。高梁では定番の「松菱」や光っているような「七宝」といった意匠を観ることができる。

板暖簾は、庇の下に吊り下げられた帯状の板のことだ。元は上げ下げで開閉できるすり上げ戸で開放されていたが、日差しを防ぐ目的で取り付けられたと考えられている。意匠としても高梁独自の景観を形作っている。
古い町並みといっても江戸時代のような風景ばかりではなく、昭和や平成に見られた「ちょっぴりレトロ」な建物も現役で頑張っている。

武南ミシン電器商会。名前もちょっぴりレトロだ。
修理には自信あり!とのこと。

町は紺屋川を隔ててお城側が本町、駅側が下町と分かれている。
川には高梁に祀られる七恵比須のひとつ、下町の蛭子神社が鎮座している。

紺屋川の先、下町に入ってすぐの角地の建物には虫籠窓や絵様持ち送りが観られる。
虫籠窓は、屋根裏の換気設備だったものが意匠化したもので、丸っちくて可愛い窓だ。
絵様持ち送りは、柱の外に突出した部分を受ける支え板のことで、これも意匠化している。

紺屋川沿いは、紺屋川美観地区として整備されている。
午前中は少し東の有終館跡や高梁基督教会堂を観たが、白壁や海鼠壁が青空に美しいこの建物は高梁市観光物産館 紺屋川だ。

しっかりと町割りされ家屋が建ち並ぶ町並みも良かったが、紺屋川美観地区の開けた雰囲気な爽やかさも素晴らしい。
一様ではない景観も、高梁の町歩きの楽しさのひとつである。
この先、歴史的景観の町並みから外れて、適当に一本の道を選び歩いてみた。

店は14時には一旦閉まるところが多いらしく、ラーメンか定食でも、と思いいくつか当たってみたが、ちょうど閉まっていたり休業日だったりしてお昼を食いっぱぐれてしまった

やがて、栄町商店街のアーケードに至った。
全長240m程度あるようで、全天候型の鉄骨屋根が町をノスタルジックに彩っている。

備中松山城のある町らしいシャッターアートや行儀よくならぶ店の看板、ケーキとパンの店など彩が豊かであった。
すれ違った高校生くらいの私服のカップルが楽しそうに歩いていた。

商店街のアーケードを出て、観光交流館の先、旭町交差点で駅前に出た。
色々な味を出してくれている備中高梁の城下町。
宿泊したら朝と夜の徘徊はさぞかし楽しいものになるだろうと思いつつ、駅へと向かうのであった。
To Be Continued👉
最 後まで読んでいただきありがとうございます📚
わたくし、ご当地バーガー🍔に好物のチーズ🧀をトッピングしたく、「投げ銭」を乞うております💰
推参不躾ではござりまするが、どうぞお引き立てのほどお願い申します(`・ω・´)ゞ
「しったかぶり!日本紀行」応援してね!
旅のメモ📝