西に傾いた日が、赤銅色の町をさらにあかあかと照らしている。
私は一日歩き詰めで随分日に焼けていたが、これはとどめになりそうだった。

町並みが、ぜんぶ赤い。
それが日に当てられて、釉薬をさらに上塗りしたみたいだ。
ここは。
吹屋ふるさと村。
町全体が、銅い。
赤いには、わけがある。

この町がつくる赤が、世界からみた日本のイメージを赤くした。
吹屋は、銅を作る町だった。

銅山で採掘されるのは銅であるが、鉄鉱石も採れる。
しかしこれは不要物で邪魔ものだったため、山中に放り捨てられていた。
その鉄鉱石は風雨にさらされ錆びて朽ちる運命だった。

だれが思ったか。
その錆の赤を使ってみようと。
諸説あるが、これが吹屋のベンガラの始まりだと言われている。

銅山とベンガラで繁栄した吹屋であったが、昭和に入りベンガラ生産が終わり今は「新たな赤」として唐辛子の生産が行われている。
あくまで「あか」にこだわる吹屋。面白い試みなのではないか。

話は前後するが、吹屋の銅生産の歴史は古い。
伝承によると最初の吉岡銅山が大同2(807)年に開坑、平安時代のことである。
戦国時代には有力大名による争奪戦となった。

江戸時代の大部分は天領である。中期になると、興生した。
後の住友財閥の祖である大阪の豪商・泉屋吉右衛門が銅生産を幕府から請け負い、大増産を行い働き手も1,000人を超えた。
しかし四国の別子銅山が開かれると寂れた。
明治に入ると、三菱の創始者・岩崎弥太郎が経営者となり息を吹き返す。

莫大な資本と近代技術の投資によって従業員は1,300人を超え、大正時代にかけて日本三大銅山の一つとして最盛期を迎えた。

「吹屋よいとこ 金掘るところ 掘れば掘るほど 金がでる」
という俗謡が集落に伝わっている。それほど興生を極めた吹屋の銅山であったが、第一次世界大戦後の不況と世界恐慌で昭和7(1930)年に閉鎖。

大東亜戦争後、再度生産を始めるが昭和47(1972)年に閉山。
吹屋銅山としての歴史を終えた。
今は昔、という趣を携ているのがまた良い。

吹屋の町並みは『「ジャパンレッド」発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~』として日本遺産に選定され、世界からも注目されている。
その構成資産である銅栄寺は江戸時代の創建と伝えられ、観音堂と呼ばれていた。

吹屋白石地区にあり、江戸中期以降銅山の鉱夫の労働に従事した鉱夫たちの居住区域である。吉岡銅山では、泉屋(住友)時代は635人、三菱時代は1051人に登る。

明治時代後期に建てられた吹屋小学校は、平成24(2012)年に閉校となるまで、現役最古の木造校舎として子どもたちの学び舎となっていた。

プールが庭園のように見立てられている。
粋だ。
この時はすでに閉館の時間帯だったので外から眺めるだけだった。

親水公園として整備されているプールは、吹屋に住む人々の「吹屋の貯水槽には藻が生えない、山からの湧水に鉱物が含まれているからではないか」という話から、実験的に山の湧水を足し入れているという。
吹屋郵便局は明治7(1874)年に開局。
この建物は平成5(1993)年に竣工。
建物左側は元呉服屋で、右側は以前存在した民家の姿に近い形で復元したという。

叶屋 仲田家は、ベンガラを製造した窯元だ。
要助と彦助の二代に渡り吹屋村の庄屋を務めた。
建物左側は大坂出格子と言い、独特の削り痕を残す名栗加工で個性を持たせている。

仲田家の並びの土蔵にはなまこ壁があしらわれていた。
真っ赤な町並みになまこ壁はよく映える。

町外れに近い千枚地区に近づくと、鉤の手の道があり、旧吹屋郵便局である藤森家が正面に腰を据えていた。建築年代は不明だが、明治30年頃に郵便局に改造され昭和40(1965)年まで続いた。

少し道が狭まり、さらに少し趣が増したように見える。
ちょっぴりセピアがかったような様子がよい感じだ。
ここで折り返し、町並みへ戻る。

行きは逆光だったが、帰りは順光で歩きやすかった。
同じ道を歩いているのに違う雰囲気を味わえて楽しい。

旧片山家住宅は重要文化財に指定されている。
宝暦9(1759)年に創業、200年余に渡り弁柄の製造販売を手掛けた。
この地域を代表する商家であり、繁栄を極めた時代の商家建築が良好に残されている

本長尾家は、長尾の総本家で弁柄窯元の一軒である。
江戸期には鉄・油などの問屋で酒蔵も営んだ吹屋きっての豪商である。

さて、行きの道では、こっそりお酒を物色していた。
目を着けていたのが、その本長尾家に連なる新長尾家の「長尾醤油酒店」
主屋2階の高さが2.41mと吹屋の中でも例外的な高さを持つ。

お店に入ってみる。
穏やかそうな「長尾さん」が、いらっしゃい~と出迎えてくれた。
こんにちは、と言いつつ目は夜食のお供にするべくお酒に目が行っている。

さんじゅーろーのまたたび酒、あかいまち、地ビール・もち麦発泡酒 花笠・・・
色々とあって目移りしてしまうが、高梁市成羽の倉本・白菊酒蔵の「白菊大典」にしてみた。

岡山特産の酒米と名水を用いて醸されている。酒米は「雄町」「朝日米」「山田錦」などが、水は高梁川支流・成羽川上流の石灰岩大地からもたらされる伏流水を自社井戸でくみ上げて使用している。

買うときに「よい町ですねぇ」と間の抜けたような感想を漏らしてしまった。
お店のおばちゃん「不便な所だから残ったのですよ~」とはにかみつつ仰っていたのが印象的だった。

確かに、そうかな、と思う。
戦後の昭和は、いや、明治から続く日本の「維新」は、狂ったように過去を破壊する側面を持っていた。
便利を追求するあまり過去を放逐し、一瞬の便利のために多くのものを置き去りにしてきてしまったのではないか。今、吹屋をはじめ日本各地で行われている過去の「再発見」は、そうした時代の果てにようやく来た「揺り戻し」のように私は感じている。

吹屋ふるさと村が赤いワケ。
銅生産の副産物である弁柄。
そして、石州瓦である。石州とは、今の島根県の西・石見国のことだ。

吹屋の旦那衆が集って相談し、石見の宮大工を招聘して計画的に建築されていったという。多くの商家町並みはその豪華さを競うように発展したのに比べ、吹屋の町並みの成り立ちは日本古来の「和」を重んじ、美意識に富んでいる。

ほととぎすの声が山にこだましていた。
なんだかこう、穏やかで良いなぁ、と思った。
町も、人も。素晴らしき穏やかさだ。

ジャパンレッドは燃えるような赤をイメージするかもしれないが、この町、ジャパンレッド発祥の町・吹屋で観た「赤」は、小春日和の優しい日差しの太陽のような、そんな穏やかな印象だった。
町も人も山も私も、やっと少し涼しくなってきた夕方の日に照らされて、赤く染まっている。
To Be Continued👉
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