真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺。
通称「川崎大師」といえば、特に関東近郊で知らぬ人はないのではなかろうか。

ここまでさんざ食べ歩きの記録を書いてきたけど(苦笑)
いよいよ「厄除けのお大師さま」へお参りするときがやって来たのだ。
ここまでの記録は下記みっつ。見てね(^_-)-☆バチッ
均一でありながらダイナミックな印象の大山門をくぐる。
ここから先が、川崎大師の境内だ。

川崎大師 平間寺(へいけんじ)は大治3(1128)年に開山。ご本尊は「厄除け弘法大師」。弘法大師とは、もちろん空海の諡号であり、真言宗の開祖である。
開基は平間兼乗(ひらまかねのり)という人。

42歳の厄年に海中から弘法大師の木造を引き揚げ、花を手向けて供養しやがて小さなお堂を建てたという。その噂を聞いた上人が高野山からやってきて、兼乗とともに平間寺を建立し、この川崎大師の長い歴史がはじまったのだ。

真言宗のご本尊と言えば、基本は「大日如来」であるが、そこまでガッチリ必ずそうと決まっている訳でもなさそうではあるものの、川崎大師のように開祖の弘法大師を祀るというパターンはちょっと異例だろう。
明治32(1899)年には、京浜急行の前身である大師電気鉄道が参詣客の輸送を目的に開業。これが近代初詣の発祥となり、現在は明治神宮、成田山新勝寺に次ぐ約300万人の初詣客が押し寄せる名所中の名所となっている。

おお!八角五重塔に太陽が!なんという神々しい。いつまでも眺めていられるぞ!
次男くんじ3歳「パパ、うんちー」
・・・・・・!!

私たち家族が参詣したのは11月下旬。ちょうど首都圏の全域に黄葉・紅葉が南下して来た頃だった。招魂碑を眺めていると、平和の象徴・ハトがバサバサっと飛び立った。

散々に災難だった厄の三年間。結局私は厄除けに来ることはなかった。それが今さらお参りだなんておかしなことかも知れないけど、ちょっぴりだけ「神仏を尊び神仏を頼まず」の心構えがあったことを堂々と宣言するには心許ないので、こっそり告白しておく。

宮本武蔵の格言だが、私はこれを「巨人の星」の星一徹から学んだ。見事な美学だとおもい、密かに見習っていたのだがあだになったか、くそ!。
お参りをして、手を合わせる。なんとか乗り越えました。そっと報告した。

私は神社仏閣において神秘や霊的なパワーみたいなものを感ずる能力がどうも薄いようで、どちらかというと歴史的意義とかそっちの方へ思いを馳せてしまう。ただ、先に述べたように神仏を「尊び」の部分は、これからも大切にしようと思う。疎かにするとそれはそれで罰かぶる気もするし…
ちなみに、ハトの羽ばたきには本気で驚きのけぞってしまったわい。
おしまい。
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