丸岡城は3回目。2008、2015。そして今回2025年8月11日。
全然知らなかったのだが、東側は2024年までにだいぶ整備されたらしい。今回は時間も遅く子連れでもあったので、ひさしぶりに丸岡天守を一目だけでも、と思いお急ぎになってしまった。

私らが車を停めた西側も、お天守前公園が整備されてずいぶん視界が開けた印象だ。
国寶 霞ヶ城の碑。大日本帝国憲法では国宝であったが戦後文化財法が整備・整理されて今は重要文化財である。

天守への入城券は、坂井市丸岡町で生産されている越前織の丸岡城オリジナル「織ネーム」だ。越前織は色鮮やかできめが細かく、明治時代から生産されたリボン製造の経験を生かして今はワッペンや栞、名刺に至るまで多様なニーズにこたえる伝統技術である。

織ネームはかわいい。色合いが多彩でチャーミングだ。懐かしさがあって、もしかしたら人生の最初の頃に、登園や登校のとき、母に着けてもらった何かしらのワッペンがこれだったのではないか。なんてことを思わせてくれる。

丸岡城天守のこと。
私は、この天守は3回目であるが、好きだ。特にてっぺん。エルヴィス・プレスリーみたいなそそり立つ感じのトサカは他の天守にはない(見る角度か?)カッコよさがある。

長らく犬山城と競って現存最古級と考えられてきたが、2015年以降の学術調査によってもう少し後の年代、江戸時代初期の建築ということがわかった。
だとすると、この天守の「武骨さ、古風さ」は「わざと」ということになる。古い時代だから様式が古いのではなく、おしゃれ、デザインとしての「しわしわ」なのだ。

ただし天守を載せる石垣がその時代にしては古風な野面積であるため、それ以前に前代の天守があった可能性が示唆されている。

丸岡城天守について、大変参考になったサイトがあるので、気になる方は読んでみて下され。
<城、その「美しさ」の背景>第11回「丸岡城天守」 最新の技術で古典様式を再現 香原斗志 – 美術展ナビ

天守内部に潜り込んでみる。あれだけ高い石垣なら地階もありそうなものだけれど、そういうものはなく、石段を、石垣の段々畑のような造りを横目に観ながら登って入る。

しっとり湿気を吸い込んだ木造の匂いが流れている。
靴下で感じる木の板の感触、ちょっと滑るその感じや吹き抜ける弱めの風邪。
天守に登ることとは、実に気持ちの良いものだと思う。

子どもたちは忍者屋敷のような急階段が面白いようで、しきりに上り下りをしたがるが、文化財でもあるからやめてくれと必死に止める。「ここ落ちたらひとたまりもないね」確かに、落ちたらその先の柱?に頭を打ち付けてたいへん痛い思いをするだろう。

1階から2階への65度、2階から3階が67度と、全国に散らばっている現存天守のなかでもとりわけ急角度である。松本城・彦根城が最大61度、概ね50度程度が天守の平均であるという。ちなみに一般家屋は30~45度と言われている。

最上3階は四方に窓があり、眺望を楽しむことができる。天守は坂井平野の独立丘陵にそびえ、麓からの比高は約35mであり、その眺めはひときわ絶佳だ。

天守内の狭間には引き戸が付いている。
これらも先程触れた通り、江戸時代の建築であるからには、意匠として配置されているに過ぎないのだろうか。

精巧に作られた城下のジオラマと現在の城下を眺め比べてみると、多くの遺構は失われていることが見て取れる。いずれ、城下をのんびり歩いてみたいのと、夜のライトアップも観てみたい。

天守に葺かれる瓦は北国の雪対策で石瓦が採用されている。なんと120トンもの総重量があるという。1枚が20~60㎏もある。全部で6000枚あり、そのうち2割が福井の足羽山麓で産出する笏谷石である。

曇天を詰まらせている山塊が遠望できる。築城は戦国時代。柴田氏による。江戸期は丸岡藩5万石。本多氏は82年間これを統治したが、お家騒動で改易。
キリシタン大名で著名な有馬氏が入り、藩政改革によって安定した地盤を築いた。文化的にも藩校や地誌の編纂に注力し、無事に明治維新を迎えた。

丸岡天守の特徴の一つとして、天守台に対して天守が少し小さく造られている点が挙げられるそうだ。そのため、建物内への雨漏り(雪解け水?)防止のために「腰庇」というスカートを履いている。

天守台の石垣には転用石といって他の建築物から持ってきた石を積んでいたりする。有名なのは供養塔と思われる石があるのだが、ここには映っていない。例えば、やけに四角い石なんかは転用石ということになるのかもしれない。

天守は昭和23(1948)年の福井地震で石垣もろとも完全に倒壊してしまったが、わずか7年で主要部材の70%を再使用し復興を果たしている。戦後の混乱の中での大震災は、まさに「-1.0 マイナスワン」からの復活であった。

明治の廃城令においても天守以外の建築物は払下げ、解体の憂き目となり外溝をなすお堀も昭和初期までに埋められてしまった。

天守破棄の知らせは長年「お天守」と呼ばれ親しまれた丸岡の人々を悲しませたが、有志が立ち上がり、現在の貨幣価値で約100万円で買い取られ、さらに「寺」として使用することとして解体を免れた。

丸岡天守がいかに愛され、現在に遺されたかは、下記の坂井市HPに掲載されている「丸岡城お天守物語~天守を守った人々~」を読まれたし。
福井県坂井市/「丸岡城お天守物語~天守を守った人々~」の発刊

令和7年には、今後30年を見据えた整備計画を発表し、国宝化の事業も行われている。先に触れたが建築年代も判り、今後も研究が進めば十分に可能性はあるのではないか。

それにしても、うう。
2008年(弟と)、2015年(友達と)に続き三回目の登城。今度こそ城下めぐりやライトアップ、と思って来たけど、やはり子連れ。うーむ、難しい。せっかくプロジェクションマッピング「ヒカリ結び」観たかったけど、諦めた。

次回は時間をたっぷりとって、城下にわずかに遺る遺構と天守のライトアップを目指してここに旅をしよう。そう誓ってお城を去るのであった。
つづく👇
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旅のメモ📝
| 🏯 丸岡城 💌 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 私の所要時間 | 22分 | |||||||||
| 住所 | 福井県坂井市丸岡町霞町1−59 | |||||||||
| 入城料 | 大人450円、小人(小中学生)150円 | |||||||||
| 営業時間 | 8:30〜17:00(最終入場は16:30) | |||||||||
| 定休日 | 無休 | |||||||||
| 駐車場 | 無料 :一筆啓上茶屋前 6:30~20:00 40台 一筆啓上日本一短い手紙の館北 6:30~20:00 140台 その他:お天守前駐車場 30分無料 数台(天守には近い) |
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| アクセス | 🚌:JR福井駅西口より丸岡城行き路線バス(約30分間隔)丸岡城下車 JR芦原温泉駅より(約1~2時間間隔)丸岡城を経由の路線バス 🚙:北陸自動車道・丸岡インターチェンジから約10分 |
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| ホームページ | 丸岡城 (公式) 北陸唯一の現存天守・奇跡の修復城 | |||||||||
| 👑 丸岡城の称号 🔱 | ||||||||||
| 重要文化財 | 丸岡城天守 | |||||||||
| 日本さくら名所100選 | 霞ヶ城公園 | |||||||||
| 現存建物 | 天守 | |||||||||
| 日本100名城 | (36)丸岡城 | |||||||||