唐沢山は、1000年の歴史のある山城である。関東7名城の一つに数えられ、中世山城の典型的な特徴をよく備えている。
遠くから見ると、あれを登るのか、と少しおっくうになるが、車なら主郭に近いところまで一気なので、現代において整備された山城の手軽さは、ちょっと拍子抜けするほどに軽いものとなっている。
駐車場から、すぐに見所がある。大手口にあたる、くい違い虎口だ。石積みで築かれた虎口は、お手本のように食い違っている。
その先へ進んでいくと、唐澤山神社の参道も兼ねているので、鳥居が見えている。城としての歴史は、江戸初期の山城禁止令により廃城となったことで終わっている。明治になり唐澤山神社が創建され、全山が境内地となり現在に至る。
少し歩くと、籠城の時に厳島大明神に祈祷をして掘ったら水が湧き出たと伝わる、「大炊の井」がある。この山の上の方にこれだけ水が湧いているのは、城として強みだろう。深さ9m、直径8mあり、今日に至っても水が枯れたことはないという。
大炊の井からすぐ、神橋は、かつては曳橋で、いざというときには破壊して城の東西を分断し敵の侵入を防いだ。
神橋が架かる部分は大きな堀切であり、四つ目堀と呼ばれる大きな空堀であった。この城がどのくらい堅牢だったかというと、例えばかの軍神・上杉謙信の攻撃を10回跳ね返している。
神橋を渡ると、三の丸方面であるが、その手前に規模のある帯曲輪が奥まで続いている。ここも帯曲輪なのだろうが、この一段下、四つ目堀直上の和合稲荷の先も、狭めの帯曲輪のように思えた。二段構えの帯曲輪だったのだろうか。
この先は少し神社の参道じみた道が続く。唐澤山神社には、平安時代にここに築城した藤原秀郷が祀られている。平将門の乱を鎮圧するなど、武勇に優れた人だった。
さくらの馬場と呼ばれる部分は、馬を乗り回せるのか?と思えるほどには狭い。それよりも竪堀みたいな構造が気になった。三つ目堀というらしい。
ねこー!おこらないで😢ちなみに、駐車場にあるレストハウスに猫のえさが売っているそうだ。猫の多さは有名で、「猫神社」「猫城」と呼ばれたりもするみたい。
参道をゆるやかな坂道で登る道が少し続く。木と木の間から石垣が垣間見えると、自然と歩調が速くなっていく。期待が膨らんでいく。
社務所がある場所が、南城跡である。ここにはかつて蔵屋敷や武者詰めがあった。周囲を石垣で巡らしている。
参拝客の中には、ネコ目当ての人もいるようで、しきりに猫と写真を撮っていた。私も気になるが、まずはこの眺望である。
当日はよく晴れてはいたが、少し水蒸気が多く関東平野の向こうにそびえる新宿副都心のビル群やスカイツリーは観ることができなかった。
さて、唐澤山神社の参道も手水舎から本殿(同じく、本丸)へ。境内部分は曲輪としてどういうものかよくわからなかった。
石段を上がり、本殿を目指す。城めぐりとしては、そのまま本丸を目指すことになる。
本殿は、かつては奥御殿が建っていたという、もちろん今はそれをしのぶことはできないが。
ネットでよく見る高石垣の所はどこだろう。すんなり上まで来てしまったので少し拍子を抜かれたが、社務所でいまさら手に入れたマップを頼りに、本殿の背後へまわり石段を下りてみると、あらすてき。
本丸西虎口の石垣は修理中でビニールシートがかぶさっていたが、豪気な石積みと、その高さは存分に堪能することができた。これらの石垣は、豊臣秀吉と懇意にしていた城主の佐野氏が西国の技術を導入し、戦国末期に築かれたものだという。
「お前、性懲りもなく来たか」
ネコがそんな感じで寄ってきた。人なれしているようで、近づいても怖がらない。
さあ撮れ。そんな感じで彼(彼女?)はお座りをした。さぁ撮る。そんな感じで私は低く構えて撮った。いいよ、あ、もうちょっと。あ動かない?こちらが動けばいいのね。そんな茶番をやって撮ったのが下の写真だ!!
ネコは満足したのか何もくれない私に失望したのか、気が付くと去っていた。ともかく、この高石垣である。素晴らしい、こっち、あっち、いや、もう少し引いた方が良いか?気が付くと何枚も同じような写真が増産されていて、結局どれを使っても似た感じである。
石垣の延長は40mに及び、その高さは8mもあるという。
追手馬出とも呼ばれた二の丸。確かに、案内図で見た縄張りの感じは馬出っぽくはある。視認はできないが。
二段になっている本丸の石垣を、もう一回丹念に確認。大きな石は鏡石と言って、観る者を圧倒し力を誇示するのだ。
唐沢山城は、細かい案内板があるわけではなく、割とピンポイントだ。案内がこまめにあるのもいいけど、ここのように少なくてもいい。想像をすることも楽しいのだ(マニア向けと言えるかもしれない)。
見事な本丸の遺構の余韻を残しつつ、北側の曲輪へと進む。
太陽に照らされた二の丸あたりからの石垣も好きだが、東側、北側のように埋もれるように苔むした石垣も好きだな。
長門丸は、薬草を作っていたことからお花畑と呼ばれたという。搦め手にあたり、東側の守りを固めた。北側の局曲輪のあいだに虎口があり、わかりにくいが食い違い虎口になっている。
車井戸は、お花畑近辺と南城を結ぶ通路になっている。深さが25mもあり、城内の重要な水源だった。特に山城は、敵に包囲されると水、食料補給が絶たれやすい。先程の大炊の井もだが、水源は多いほど良いだろう。
それにしても、ガンガン井戸とはどういう意味だろう。島根の松江城にもギリギリ井戸というのがあったが、井戸名はおもしろ縛りなのだろうか(確か意味があったような・・)。
このあたりから、主郭の後ろ側を歩くように進んだら、神橋の方まで戻ってきた。四つ目堀の奥に、先ほどの神橋が見えている。
駐車場や大炊の井の裏手に当たる場所にあるのが避来矢山霊廟。唐沢山神社の創建以来、功績のあった方々をお祀りしていると書いてあった。
あれ~、どこかに良い景色があったと思うんだけど・・・
そろそろ帰りの時間が気になってきてはいるけど、町全体を見渡せる場所があった気がするんだよなぁ。ここは少し微妙か・・
しょうがなく元来た道を戻ると、大手の食い違い虎口のすぐ近くに、天狗岩の表示があった。ああ、そういえばあったな。登ってみよう。
家なんかではいくらでも調べるんだけど、現地に来るとめんどうなのでそんなに調べないから、危うく飛ばすところだった。
天狗岩の登り口を上がってみると、大きな岩場となった。この城はこういう側面もあるんだと、最後に来て新鮮な思いがした。
南城もよかったけど、ここからの眺めもすばらしい。なんとか到達できてよかった。
駐車場からの道路を下る。景色が良い。あっという間に下ってしまう。少し離れたところで、車を一旦停止して唐沢山を眺めた。たまたま、電車が通った。電車と田んぼと城。いいもんですな。
関東の名城は、割と近い感覚があるからかえって行きにくさがある。泊りで来るわけにもいかないし、子供もいるから一人で来ようとすると、幼稚園へ送ってから出発ということになる。今回もそうで、9時出発、首都高の渋滞にはまり、3時間以上かけてやっとたどり着いた。
でも、それだけの価値はあったな。最近ご無沙汰だったけど、城めぐりの面白さを思い出してしまった。癖になりそうです。
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旅のメモ📝
🏯 唐沢山城 ~メモ~ 🏯 | ||||||||||||
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私の所要時間 | 1時間15分 | |||||||||||
住所 | 栃木県佐野市富士町1409(唐澤山神社) | |||||||||||
見学時間 | いつでも | |||||||||||
定休日 | なし | |||||||||||
入場料 | なし | |||||||||||
駐車場 | あり。無料。 | |||||||||||
アクセス | 東部佐野線田沼駅から徒歩約45分(車を推奨) | |||||||||||
ホームページ | 唐沢山城跡・唐沢山 - 佐野市観光協会 | |||||||||||
👑琴ヶ浜の称号 🔱 | ||||||||||||
国指定史跡 | 唐沢山城跡 | |||||||||||
続日本100名城 | (114)唐沢山城 |