しったかぶり!日本紀行

少しずつ読みやすくしてまーす^_^

2 国内たったの5城のみ!続日本100名城・白石城の木造復元天守や遺構を巡る

 宮城県の南端に位置する白石市からこの旅が本格的に始まることを考えると、仙台まで行くか悩んだが、やはり良かったと思える。白石蔵王駅でレンタカーを借りて、最初に目指したのは「白石城」だ。

白石城城下広場駐車場に車を停めた。JR白石駅からまっすぐ、県道208号の突き当りの駐車場である。正面に老人保健施設が建っていて、ここで大丈夫か戸惑ったが、観光目的や市役所などの利用で使えるとのことで、ここで正解だった。

白石城下を巡る城来路(シルクロード)

白石城下を巡る城来路(シルクロード)

老人保健施設を正面に見て、駐車場内の右側へ進むと、城来路というポールや案内が置かれていて、白石城の内堀を為す館堀川にそって左へ進んでいくと、東口門跡の坂である。この坂の上にある駐車場は、身障者専用なので注意が必要だ。

白石城 東口門跡

白石城 東口門跡から天守を目指すぞ!

東口門跡には説明看板が置かれているが、実は城下の当信寺に移築、改造、現存している。明治期に払い下げられ、鐘か太鼓が内部に置かれていたようで、音響効果を高めるためにお寺っぽい窓(眼象窓・正面)や丸窓が開けられている。今回は寄らなかったが、前回来た時には城下を丹念に歩き観に行ったものだ。

当信寺 白石城東口門

当信寺に現存する東口門。2009年6月19日撮影

この先から、石垣を見られる。本丸外郭石垣は、明治期に解体され基底部のみ残るだけだが、左右で違う積み方をしていることが見て取れる。これは、豪雨や地震によって崩れた(江戸期に度々修復したらしい)石垣を積みなおしたからで、左は戦国時代の野面積(打込接にも見えるが)で、右はきれいに積まれた江戸期の切込接であり、城跡で割と稀に存在する注目ポイントだ。

白石城 本丸外郭跡石垣

白石城 本丸外郭跡石垣

本丸の手前に、歴史探訪ミュージアムがあり、ここに白石城やミュージアムの有料階の発券所がある。ちなみにここで買わなくても、すぐ先にも自動発券所がある。

白石城 歴史探訪ミュージアム

歴史探訪ミュージアム

歴史探訪ミュージアムには、3階の立体ハイビジョンシアターの他に歴史資料館やお土産、レストランもあり、白石温麺や白石城オリジナルのアイスなんかもあって充実している。私もせっかくなので白石う~めんを頂き,,,たかったのだが開店前だった。残念。

歴史探訪ミュージアム館内

歴史探訪ミュージアム館内

お土産を観て先へ。打込接や切込接の石垣を眺めながら、すぐに天守台の石垣下までたどり着ける。このあたりからは復元された石垣である。

白石城 大手二ノ門から一ノ門下の石垣

大手二ノ門から一ノ門下の石垣

この先は少し広く、お城のマンホールを見つけたり、木造復元天守を石垣の下から眺められる。天守台石垣は野面積の完成期のような石積みで、戦国の熱い風を感じられるが、天守と共に復元されたものだ。

白石城のマンホール

白石城のマンホール

白石城天守の復元は、史実に忠実に再現することを目標とし、天守を支える天守台の石垣も、往時の工法である野面積だ。伊勢の松坂城を築いた蒲生氏郷が会津へ転封された時に家臣に命じ、この城を近世城郭へ改築したと考えられている。

白石城 復元天守

天守が見えてきた!

 

 

 

松坂城については、一ヶ月ほど前に行き、当ブログで書いた。

参考:3 子連れde城めぐり!石垣の大迷路「松坂城」戦国の気風を感じ、遊ぶ

白石城の復元は1995年に完成したもので、土塀、大手一ノ門、大手二ノ門、そして天守が木造復元されている。

白石城天守 二の丸から

白石城天守を二の丸から眺める

写真手前で見切れている井戸屋形も復元されているようだが、いつ復元されたのかよくわからなかった。いざ、一ノ門へ!やはり城門があると城攻めする機運が高まるね!

白石城 復元された井戸屋形、土塀、一ノ門

復元された井戸屋形、土塀、一ノ門を望む

井戸屋形のすぐ近くにポケふたを発見。なんでもないマンホールも、こういうひと工夫ですごく価値のあるものみたいになるよね。ポケモン詳しくないけど。

ポケふた 宮城応援ポケモン ラプラス クスネ

全国で発見されているポケふた

一ノ門からは二ノ門が見える。ここの構造が特殊だなーと感じるのは、その手前に石垣が張り出していることだ。どういう意味なんだろう。

白石城 大手一ノ門、大手二ノ門

一ノ門をくぐる!

ちょっとフライングして、天守から眺めた本丸への桝形を俯瞰してみると、天守から続く土塀はそのまままっすぐで、大手二ノ門を構成する土塀と大手一ノ門はそこと比べるとナナメ向きになっているようだ。

白石城 桝形を天守から眺める

天守から眺めた大手の桝形

専門家ではないからハッキリとしたことは分からないし深く調べないようにしている(延々と調べちゃう)からパッと見で言うと、攻め手(敵)としては狭まっている門の先がどうなっているのか分からないのと、石垣の張り出しが邪魔で、なんだかヤダなー、って感じがしそうだ。勢いは確実に削がれるし、塀や門の狭間から狭い桝形内で狙い撃ちに撃ち込まれそうで怖い。

 

 

 

見ろよこの狭間の数。蜂の巣にされっぞ。石垣の端っこの算木積に足引っかけちゃうよ。多重事故が起こるだろう。

白石城 大手一ノ門

大手一ノ門 桝形であえなく討ち死に

現代においては足引っかけちゃうことはあっても狭間から弓鉄砲で撃たれることはないので、無事本丸に到達。本丸はとても広く、往時は御殿がひしめくように建っていたようだ。

白石城復元天守 復元大手一ノ門

本丸から一ノ門と天守を眺める。

すっかり広々した本丸を探検していると、片倉小十郎景綱公頌徳碑が建っていた。彼は、伊達政宗の側近であり10歳年上で、疱瘡で失明した右目の眼球を小刀でえぐり取るという凄まじいエピソードも残されている。

白石城 本丸 片倉小十郎景綱公頌徳碑

片倉小十郎景綱公頌徳碑

片倉景綱は通称を小十郎といい、代々通称を継いで明治維新まで存続したのだが、大坂夏の陣で豊臣氏が滅び徳川の江戸幕府の基盤が固まる中で発布された一国一城令の数少ない例外として、この白石城は存続が許された。

白石城 裏御門跡

裏御門跡まで行ってみた。

これは、徳川家康が片倉小十郎(景綱や子の重綱)の才覚を認めてとか、いやいや伊達に片倉ありとなると、厄介だから片倉に引き続き城を与えて伊達から引っぺがそうとしたのだとか言われている。

白石城碑と天守

白石城碑と天守

結果を見よう。片倉氏の白石城は、実質の天守を大櫓と言い、幕府や伊達家をはばかった。伊達の仙台藩には天守が無かったのだ。伊達も片倉もそれぞれ幕末まで存続したが、明治政府が樹立すると、奥州では白石城が中心になって列藩同盟が組まれるが、敗北。ちょっと悲しい結末となった。

白石城 復元天守入口

白石城 天守へ

ちなみに仙台藩は、領地の各所に「要害」といって城じゃないよと言い張る実質の城郭もあった。幕府も勢いのある伊達ともめたくなくて黙認したのだろう。

白石城 天守1階

天守内へ!

天守は層塔型と呼ばれるもので、3階建てである。オツな言い方をするならば、複合式層塔型3重3階の大櫓。と言ったらツウっぽく聞こえるかもぜ。

天守内は木の香りが少しして、やっぱ木造良いな、て思った。狭間とか石落としなんかももちろんちゃんと復元されている。

白石城 天守 石落とし

天守1階の石落とし

武者走りの説明見て笑ってしまった。

「戦闘状態になった時、武具を付け武器を持った武者が走り廻るところです」

ちょっとこっけいなイメージを持ってしまった。補足すると、戦闘時の移動用の通路とでも言いましょうか。動きやすいスペースなんですね。多分。

白石城天守内部の武者走り。

武者走り(手前のスペース)。説明が・・・!

歴女さまたちから絶大な人気を誇る「伊達政宗」「片倉小十郎」「真田幸村」の三将の鎧兜がそろい踏みだ。伊達と真田が早々に組んで関ヶ原の前に小山あたりで家康と一戦交えたら、なんてことを考えるのが若い頃好きでしたね。

白石城天守 片倉小十郎・伊達政宗・真田幸村の鎧兜

人気武将ここに集結!

天守の2階へあがると、うってかわって東北ずん子とその仲間たちの居城になった。等身大パネルがたくさん置かれていて華やかだったけど、いったいどれが東北ずん子さんなのか、全部そうなのか、一部別のキャラなのか、よくわからなかった(;^_^A

白石城天守2階の東北ずん子パネル

2階には東北ずん子!

前回来たのは2009年6月だった。あの頃はまだ「ゆるキャラ」も出始めた頃だったと思う。歴女、山城ガールなどの言葉もあったか無かったか。いずれにしてもその時同行した友達と、ゴリゴリの城めぐりをしたことを思い出す。城に女の子の要素なんかあったっけ爆

 

 

 

3階へ。天守の階段は総じて急なので、歩きやすい服装がおすすめだ。靴を脱ぐ天守もあるが、白石城は靴履いたままでOK。隠しようがないから、スカートはやめておこうね。

白石城天守 3階へ昇る急階段

天守3階へ

天守最上階へ昇ると、かなりの強風が吹いていた。この風で蔵王連山にかかる雲も吹き飛んでくれたらいいのに、と思いつつ、天守から見晴るかす白石の風景にしばし見入った。

白石城天守 3階と入城チケット

天守最上階に到達!

天守からは、生い茂る木々で微妙に見えずらかったけど、まだまだ蔵王の山々には雲が取り付いていて離れない。晴れるの待ちで、あえて白石城をトップに持ってきたけどダメだったか汗。

 

 

 

他にも、本丸を一望できたり、東北新幹線白石蔵王駅の方面も360度くまなく眺めることができた。

曇天でもかすんではいなかったので見晴らしがよかった。

白石城天守最上階からの眺め。本丸方向

本丸方向を眺める

天守から降りる。先程は本丸の裏御門跡の方面から大回りで天守を目指したので、帰りは最短距離で大手二ノ門へ引っ返すとした。天守下には本丸井戸と鐘堂が置かれている。

白石城本丸跡の井戸と鐘堂

本丸井戸と鐘堂

白石城の天守はおめめパッチリの花頭窓がかわいらしくくっついているので、全体的に柔らかい物腰になっている。白漆喰総塗籠なのもおしろいみたいでかわいらしさが際立っている。もちろん個人の感想だ。鐘堂の板張りも好きだけどね。

白石城の鐘堂と天守を眺める。

鐘堂と天守

本丸から二の丸へ。白石城は帯曲輪で連結された二の丸が結構広い。本丸から二の丸へ戻ったら、その裏手へ回ってみた。

白石城天守台の石垣。二の丸方面へ。

天守台の石垣

明治時代の相撲の横綱・大砲の像がズシンと鎮座していた。白石市出身の大砲は、当時155cm程度だった日本人の平均身長を大きく上回り、197cmもあったという。

白石城二の丸跡 横綱大砲銅像と木造復元天守

二の丸の大砲像

体重は133kgと言われており、銅像の見た目通り、スマートで筋骨隆々の横綱だったようだ。ちなみに「おおづつ」と読む。

その先は馬場跡。武士が馬に乗って鍛錬を積む場所であった。このさらに先は、先ほどの裏御門跡へと繋がる。こういった古城の雰囲気を感じられる場所があるのも、白石城の良いところではないか。

白石城 馬場跡 古城感を醸し出している

馬場跡。裏御門跡へとつながる。

馬場跡から大手へ引き返し、今度は神明社の方面へ下る。武家屋敷と書かれた看板を目印に進むと良い。ほぼ降り切ると鳥居があり、ここが白石城の厩口門跡である。

白石城 神明社の鳥居。この先が二の丸

神明社への道

ここにかつてあった厩口門は、先述の東口門と同様に、延命寺に移築・改造・現存している。こちらもかなりお寺の山門に寄せて改造されている。

白石城 延命寺に遺る厩口門

延命寺の厩口門。2009年6月19日撮影。

白石は城下も面白いからぜひ巡ろう。私は2009年に巡ったので今回は巡らなかった。掘割の取水口などがあり、水の綺麗な都市であることも分かる。

白石城外堀 武家屋敷通

外堀に面した武家屋敷通。2009年6月19日撮影。

三の丸外堀にあたる沢端川に面した町並みは空気感が清浄だった。武家屋敷内は改修されており、内部を見学することもできる。

白石城下にある片倉家中武家屋敷

武家屋敷。2009年6月19日撮影。

白石の地名の由来であると伝わる「神石白石」。江戸時代ごろから朱塗りの玉垣をめぐらし、祀られていたという。

白石城下 白石の名の由来になった神石白石

神石白石。2009年6月19日撮影。

すっかり思い出を探る羽目になっているが、最後は白石駅で〆たいと思う。城下めぐりは史跡が点在していて、けっこう広範囲に歩く事になるから、事前に城下町のマップやGoogleマップで行く場所を特定しておいた方が良い。

JR東北本線白石駅の駅舎

JR東北本線白石駅。2009年6月19日撮影。

白石旅カタログというサイトに色々なマップが載っているので、参考にするのがよろしいかと! ⇒ パンフレット一覧 | しろいし旅カタログ

つづく👇
ブログランキング参加してます!

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

旅のメモ📝
🏯 白石城 ~メモ~ 🏯
私の所要時間 56分
住所 宮城県白石市益岡町1-16(益岡公園内)
開園時間 【4月~10月】 9:00~17:00
【11月~3月】 9:00~16:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日 12月28日~12月31日
入館料 400円(白石城・歴史探訪ミュージアム3階
・武家屋敷共通券は800円)
駐車場 あり。無料。
アクセス 東北本線 白石駅より徒歩約15分
ホームページ 白石城 – 白石市文化体育振興財団
👑白石城の称号 🔱
木造復元 天守(大櫓または三階櫓)
続日本100名城 (105)白石城
👛かかったお金 💵
白石城 (ベネフィットステーション割引10%)360円