旧気仙沼向洋高校を目指すべく、国道45号線を走っている。沿岸部では、至る所に過去の津波浸水区間の看板が設置されていて、こんなに高い所まで来たの?と思うような高さまで達していて、驚くばかりだ。

旧気仙沼向洋高校。今の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が見えてくる頃、左手には長大な防潮堤が出現した。ちなみにこの地区は震災後に一度来ていて、岩井崎の龍の松や潮吹き岩を友達と観た。

かつては学校だったし、今でも見ればそう思えるのだが、4階の途中まで津波が登ったため、3階までは破壊されている。手前は気仙沼市パークゴルフ場になっていて、ご高齢の方がプレーに励んでいた。

旧校舎の東側に広い駐車場があるので、そこに車を停めて、エントランスへ向かう。まだ新しさが残る入口をくぐると受付があって、入場券を買うと映像シアターに案内してくれた。

20分ごとに13分間放映されるシアターの内容は、震災時や、直後の映像で、押し寄せた津波の恐ろしさを伝えていた。
私はこの映像を見て、あまりにも悲しくて涙を止められなかった。案内の方が、SNSなどでどんどん発信してくださいね、と仰るが、申し訳ない!この先はほとんど写真を撮れていないのです。
シアターの先は、写真などの展示があり、その先が震災遺構・旧校舎を1、3、4、屋上の順に観ていく。1階は完全に破壊されていて、流れ込んできた「ガレキ」が痛ましい。3階も全体が浸水し、流された車が教室内に侵入した。津波の脅威は、そのまま遺されている。高さ毎に被害の状況が異なっている。4階の約25㎝部分まで浸水し、レターケースがその部分まで錆びついていた。津波は、12mに達したという。
見るも無残な津波の被害に、目を覆うことはしなくても、どうしてもカメラを向けられないのは、自身の脳裏に流れ込んでくる「悲しみの量」があまりにも多いからだと思う。直視はしているから目には焼き付いているんだけど。
こうして自宅で調べて、写真を見る分には冷静にいられるんだけど、実際に目で観ると全く違う。これらは全て、誰かの思い出なのだ。ここは高校だった。にぎやかだったろうし、楽しいことも、辛いときもあった。恋もしただろうし、友達とけんかもした。先生に怒られただろうし、卒業も退学もしただろう。
すべて流され、他の思い出が校舎に流れ込んだ。色濃く残るそういった思い、想いの数々が、すべて海にのまれ、泥にまみれてそこに「物体」として風雨にさらされている。
本来あるべき形から、正反対の形になってしまった辛い思い出。これらをひっくるめて「震災遺構」とか「ガレキ」とか顕すのだが、悲しみの量があまりにも多すぎる。

屋上へ登ると、屋根がなくなった体育館や、まっさらになったであろう波路上地区近辺を一望することができた。
これだけの大災害で、気仙沼向洋高校の生徒・教員は全員無事だった。
避難した人数は、現地案内板によると生徒170名・教員27名。校舎は海抜1mだ。
地震発生5分後には避難を始めている。
校舎内には51名が残った。職員20名と、工事関係者25名。近隣住民4名、それに、津波によって自宅2階部分が流されたものの、校舎と生徒開館の間に挟まり、助けられて難を逃れた2名だ。

他の教員や生徒たちはというと、まず地震からの避難として、校庭へ逃れた。
日頃から防災意識が高く、避難訓練を怠らなかったという。当日は入試対応で生徒は職員室のある南校舎へは立入禁止、さらに北校舎は改修工事で生徒たちの多くはプレハブ校舎にいたという。つまり「普段と違う状況」での被災にもかかわらず、全員が助かったのは、奇跡などではなく、日常的な危機意識の醸成や、それに基づいた現場の判断の賜物だったと思う。
校舎屋上でさえ、危なかったのだ。冷凍工場の存在により、多少波が弱まったことによって助かった面があると、関係者は考察している。
校庭へ弾かれるように逃れた教員、生徒たちは、まず海抜8mにある寺を目指した。学校から約400m。地震発生から約15分後にはその寺に到着している。余震もあり、恐怖と混乱の中での行動である。素晴らしい速さだ。
それでも危険を感じ、海抜16メートルの「陸前階上(りくぜんはしかみ)」駅へ。約1.4km。地震発生約30分後だ。この約7分後に最大約12mとされる津波の第一波がこの地区に到達している。
ちなみに私は神奈川県の沿岸にある工業地帯で震度5強の地震にあったが、同じ頃、工場のグラウンドに避難して、なす術なくぼーっとしていたと思う。感覚的に、その揺れの雰囲気や前日までの感じから、東北で大地震かと直感したが、その通りだった。その後建屋二階の社食に移動してテレビをつけると、名取市の閖上地区に襲来した津波が、白波立てて平野部を襲うヘリコプターからの映像を目の当たりにし、事態の尋常でなさを把握したのだ。
余談になってしまったが、
教員や生徒たちは、最終的には海抜32mの階上中学校付近へ逃れた。約2.1㎞。地震発生から約45分だ。迅速な避難が若い命を救ったと言える。
向洋高校の当日の状況は、下記の宮城県のHPに掲載された、宮城県気仙沼向洋高等学校による文章のPDFに詳しく、目を見張るものだからぜひ目を通してほしい。
「その時,現場はどう動いたか」3.11の震災直後の動向 宮城県
⇒ https://www.pref.miyagi.jp/documents/17564/12380.pdf
東日本大震災では、気仙沼市でも多くの方が亡くなってしまったが、この向洋高校は「一目散」と私としては思える素早さで避難をした結果、全員が無事であった。
シンプルな感想になってしまうが、やはり日頃の防災意識、自分たちが暮らす場所の特徴を知っている、ということは、有事の際かなり有利に働くということを感じた。
亡くなった方におかれては、深い悲しみを少しでも共有し、哀悼の意を表したいと思います。
つづく👇
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旅のメモ📝
| 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 ~メモ~ | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 住所 | 宮城県気仙沼市波路上瀬向9-1 (旧気仙沼向洋高校) | |||||||||
| 私の所要時間 | 40分 | |||||||||
| 入館料 | 一般:600円 高校生:400円 小・中学生:300円 | |||||||||
| 営業時間 | 4~9月 9:30~17:00(最終受付16:00) 10~3月 9:30~16:00(最終受付15:00) |
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| 休館日 | 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は開館、翌日休館) 祝日の翌日・12月29日~1月4日 上記に関わらず 毎月11日、9月1日(防災の日)、11月5日(世界津波の日)は開館 |
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| 駐車場 | ・第1駐車場:普通車56台、身障者用2台 ・第2駐車場:中型・大型バス17台、普通車55台 |
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| アクセス | 【車】 三陸沿岸道路「大谷海岸IC」から国道45号線を北上、岩井崎入口看板を右折して約2分 【徒歩】 「陸前階上駅」から約20分。当時の避難経路を進むのがおすすめ。 |
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| ホームページ | 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 | |||||||||
| 👛かかったお金 💵 | ||||||||||
| 入館料 | 600円 | |||||||||
| 小計 | 40,920円 | |||||||||