しったかぶり!日本紀行

~果てしなき旅景より~

29 石巻市震災遺構大川小学校

 石巻市に入り、北上川に沿って続く国道398号を急いでいる。途中、その流れの悠揚さに思わず路肩にレンタカーを停めて写真を撮ったりしていた。河口からだいぶ遡上してきたが、そろそろ女川へ向けて進路を変えねばならない。

北上川 国道398号

すっかり夕方である。

岩手県からはるばる250㎞以上も続いている日本で4番目、東北で最大の河川が、石巻でフィナーレを迎えるとは知らなかった。そんなことを、のんきに思っていた。

石巻市 国道398号 北上川に沿って走る。

日は西へ。

北上川の河口から約4㎞。対岸に見た光景は、多分ずっと忘れないと思う。

大川小学校だった。

 

すぐにそれとわかり、心拍数が上がった。今思い出しても、やはり心拍数は上がる。

そんな、と思った。

石巻市震災遺構大川小学校駐車場

石巻市震災遺構大川小学校駐車場

報道番組で見たと思う。校舎の丸みがあるフォルムは、見たままだった。

旧石巻市大川小学校 校舎

すでに18時であり、「大川震災伝承館」は閉館していた。ひとけも無く、私の影だけが長く伸びていた。

旧大川小学校 碑文

ひとりで声を出して泣いた。

私は、子どもたちを守れなかっただろう。

旧大川小学校 碑文

2011年3月11日、石巻市立大川小学校に押し寄せた津波は、陸と川からだったという。8.6mの高さ。児童は全校108名中74名、教職員10名が犠牲になった。一人ひとりに、命が、人生があったことを思うと、数で表すにはあまりにも忍びない。

旧大川小学校 渡り廊下

津波が襲来する直前に小高い三角地帯を目指し避難を開始したが、川側から遡上した津波に遭ってしまう。学校には、その後すぐに海側の陸を遡上した津波が到達した。

 

私は、すぐ近くにあった裏山を前にしていた。

柵の先に小さく津波到達位置が記されていた。

あの裏山へ逃げれば、助かっただろうという。その通りだろう。

旧大川小学校 裏山

同じ日に同じ場所にいても、きっと私もあの裏山へ行かなかった。

こんなに近いのに。意識だけが遠かったのだ。

 

私は、結果を知る立場にいながら、それでもここへ津波が来たとは、被災した校舎を対岸から眺めるまで気が付けなかった。

旧石巻市立大川小学校

「ごめんね」

きっと私も、子どもたちを守れなかった。

情けなさと、申し訳なさで胸がふさがった。

 

参考:石巻市 大川小学校事故検証報告書 PDF
https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/20101800/8425/01.pdf

 

 

つづく ↓

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