石巻市に入り、北上川に沿って続く国道398号を急いでいる。途中、その流れの悠揚さに思わず路肩にレンタカーを停めて写真を撮ったりしていた。河口からだいぶ遡上してきたが、そろそろ女川へ向けて進路を変えねばならない。

岩手県からはるばる250㎞以上も続いている日本で4番目、東北で最大の河川が、石巻でフィナーレを迎えるとは知らなかった。そんなことを、のんきに思っていた。

北上川の河口から約4㎞。対岸に見た光景は、多分ずっと忘れないと思う。
大川小学校だった。
すぐにそれとわかり、心拍数が上がった。今思い出しても、やはり心拍数は上がる。
そんな、と思った。

報道番組で見たと思う。校舎の丸みがあるフォルムは、見たままだった。

すでに18時であり、「大川震災伝承館」は閉館していた。ひとけも無く、私の影だけが長く伸びていた。

ひとりで声を出して泣いた。
私は、子どもたちを守れなかっただろう。

2011年3月11日、石巻市立大川小学校に押し寄せた津波は、陸と川からだったという。8.6mの高さ。児童は全校108名中74名、教職員10名が犠牲になった。一人ひとりに、命が、人生があったことを思うと、数で表すにはあまりにも忍びない。

津波が襲来する直前に小高い三角地帯を目指し避難を開始したが、川側から遡上した津波に遭ってしまう。学校には、その後すぐに海側の陸を遡上した津波が到達した。
私は、すぐ近くにあった裏山を前にしていた。
柵の先に小さく津波到達位置が記されていた。
あの裏山へ逃げれば、助かっただろうという。その通りだろう。

同じ日に同じ場所にいても、きっと私もあの裏山へ行かなかった。
こんなに近いのに。意識だけが遠かったのだ。
私は、結果を知る立場にいながら、それでもここへ津波が来たとは、被災した校舎を対岸から眺めるまで気が付けなかった。

「ごめんね」
きっと私も、子どもたちを守れなかった。
情けなさと、申し訳なさで胸がふさがった。
参考:石巻市 大川小学校事故検証報告書 PDF
https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/20101800/8425/01.pdf
つづく ↓