時系列で行くと、
本町通り・鹽竈街道 西町(イマココ) ⇒ 鹽竈神社・志波彦神社
⇒ 鹽竈街道 宮町・本町 ⇒ 本塩釜駅ということになる。
ホテルグランドパレス塩釜を出発し、国道45号から仙石線のガードをくぐり、すぐ先の「塩釜市海岸通り」交差点の先の突き当りを左に行き、最初の丁字路を右折すると、本町通りである。

が、道を間違えた。
突き当たる手前で左折した。そこで、大河岸についての案内を見つけた。それによると、このあたりは江戸期の埋め立て地で、少し先の七曲坂のあたりまで入り江だったという。

大河岸には、仙台藩主の御座船や漁船が往来し、武家や公家は遊覧船に乗り松島観光を愉しんだ。
幸い大河岸案内板空き地を突っ切ることで本町通りに入ることができた。ここをまっすぐ行けば、やがて鹽竈神社の表参道の石鳥居が見られるだろう。

浦霞酒造元(株)佐浦の酒蔵や、佐浦酒造店の様子はなかなか壮大だ。開店していれば直営店舗の「浦霞 酒ギャラリー」で酒の販売はもちろんのこと、きき酒サーバーで試飲ができたり、酒器の販売などショッピングが楽しめる。
社屋の玄関には、かつて鹽竈神社の別当寺であった法蓮寺の向拝(社殿の中央にせり出した屋根のこと)が紆余曲折の末、移築されている(写真左)。

まちかど博物館は、旧ゑびや旅館の建物を保存活用している。明治初期の町屋建築であり遊郭でもある。明治天皇の東北巡幸の際は随行した大隈重信らが宿泊している。塩釜に鉄道が通るとゑびや旅館は駅前にも出店。こちらは日の本旅館と名を変えて料亭を兼ね、塩竈芸者と旦那衆による芸能文化が営まれた。

昭和に入ると、パチンコ屋や回転焼き屋などの賃貸に出されるなど様々に活用されてきた。しかし東日本大震災の津波で浸水被害を受け一時は解体が決まったものの、NPOみなとしほがまや市民がこれを惜しみ、塩竈の歴史を今に伝える貴重な遺産として、まちかど博物館と称し保存活用されている。

その向かいの御釜神社は、鹽竈神社の末社であり、鹽土老翁神を祀っている。鹽竈神社の稿でも紹介したが、海草を焼き製塩の方法を教え伝えたことから、この地は製塩の旧址とされ、さらに塩釜の市名発祥の聖地とし、庶民にも親しまれている。

「おさんこ茶屋」は、「さん」という女性がお店を継いだことからそう呼ばれるようになった。その容姿が評判になり、大変に繁盛したという。今でも売られている塩竈名物の五色団子をはじめ、麺類におでん、酒と肴などが売られ、花見の季節は店内足の踏み場もないくらいだったそうな。

仙台藩は、お家騒動があったりした関係で、城下に遊郭や芸能興行と言ったものが無かったという。代わりに塩竈での営業が許可されていたので、ゑびやあたりから西は遊郭が軒を連ねており藩の旦那衆が仙台から15㎞の距離を足しげく通ったという。
おさんこ茶屋は遊郭ではないが、芸能興行の会場として使われたりもし、この地域の文化を醸すことに大いに貢献しただろう。

本町通りと鹽竈街道の合流地が三角形の狭い広場になっていて、鹽竈百人一首の碑が置かれていた。宮城県塩竃市にまつわる古今の和歌を集めたもので今も昔もこの地の風光明媚を寿ぐ思いは変わらないことを思わせてくれる。

県道に合流すると、すぐ右手に鹽竈神社の古代参道であった七曲坂への道が見える。
一見、城の櫓にも見える鹽竈神社の鞘堂は、かつては神輿を奉安していたというが、今はどうなのだろう。

この四方跡公園は、鹽竈神社の左宮一禰宜であった阿部安太夫家が千年も存続した地とされている。鹽土老翁が腰かけたと伝わる石の伝説や、神社にまつわる石碑が多く並んでいる。令和の現代にあって、ブランコやジャングルジムと一緒というのがなんとも楽しい。

七曲坂から表参道の界隈を西町と呼んだのは、江戸時代も安定期に入った元禄年間に仙台への街道が開けた頃だったろうか。荒物(ほうきやザル、ヤカンなど家庭用品)屋、旅籠、花昆布や水あめを売る菓子屋といった商店が興り、幕末を控えた文政年間には、遊女屋を兼ねた宿屋が26軒、遊女は213人ほどもおり、有数の歓楽街であった。

荻原味噌醤油醸造元は、それより少し後世の興生である。明治中期頃に塩竈は太平洋沿岸で有数の漁港・商港として発展を遂げ、出入りする船が船内で消費する味噌や醤油の需要が激増したという。建物じたいは安政年間頃のもので、料理屋として使われていたものを荻原初代が購入して転用したという。

塩釜甚句は、ハットセ節とも言い、鹿児島発祥のハイヤ節の子孫と考えられている。北前船に乗って北上し、津軽海峡を突き抜けて太平洋沿いに南下して伝わったという。賑やかな騒ぎ歌であるハットセ節は、歓楽街であったこの町に立ち並ぶ鼓楼から三味線の演奏や客のお囃子で、さぞ盛大に鳴り響いていたのだろう。

一緒に置かれている黒色の碑には、4代藩主綱村が29歳の時に詠んだ詩が刻まれている。高い教養を持っていた綱村は、鹽竈神社への崇敬も篤く、「人々や自然への温かい眼差しがよく表れています。」と解説されている。
この石碑配置ひとつとっても、塩竈の聖地と歓楽、海、山、川、人といった多面性を良く表していて、実にこの地らしいな、と思ったのである。表参道まで思いのほか長くなったので、東参道の先については次章に譲る(今回は全文マジメ臭く書けた)。
つづく👇
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メモ📝
ホテルグランドパレス塩釜から鹽竈神社表参道石鳥居まで約1㎞徒歩15分