しったかぶり!日本紀行

グループ「灯台・燈台・岬」を作成してみました!!

9 南越前町・日本遺産「河野北前船主通り」趣のある湊町を散策

 敦賀の観光を経て次に向かったのは、南越前町・河野地区。

ここには、

日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」に認定された「河野北前船主通り」がある。

河野北前船主通り 日本遺産 大看板

北前船の河野地区へ

河野北前船主通りは、漁火街道と呼ばれる国道305号線沿いにあるが、油断すると通り過ぎてしまう恐れがある。大きな燈籠を目印にして向かうべし。

駐車場にはトイレも設置されていて、すぐ先には「ファミリーマート+ハーツ 河野北前船主通り店」が6:00~23:00まで営業している。

南越前町 河野北前船主通り灯籠

この灯籠が目印

広い駐車場内には平成5年に製作された北前船を模したコンクリート擬木仕上げのモニュメントが設置されている。

河野北前船主通り 北前船モニュメント

乗ることもできる!

河野地区パートでは、長男かけ7歳は北前船モニュメントに乗って遊んでおしまい。妻えみさーと次男くんじ3歳は敦賀から出発以降、順次睡眠時間に入っている。

河野北前船主通り 敦賀湾 立石岬方面を眺める

敦賀湾 立石岬方面を眺める

河野駐在所を挟んで、例のファミマがあり、ここにも駐車場がある。その先には大型車の駐車場があり、河野ふれあいシーサイドパークが整備されている。

ファミリーマート+ハーツ 河野北前船主通り店

ナイスな立地です

海岸沿いはロケーションが良くのびやかな気分になれる。

国道を挟み、2本中に入った路地が、河野北前船主通りである。

河野北前船主通り ノウセンカヅラの石積み

ノウセンカヅラの石積み

私の旅ではままあることで慣れているんだが、目玉の一つである重要文化財・中村家住宅は保存修理工事中であった。妻曰く「そういうとこだよ」。かくいう私も、こういう引きの強さには自信がある。

河野北前船主通り 中村家住宅保存修理中

諏訪、出雲、上山、霧島etc..@改修中

構成資産の中でもっとも北端に在する北前船主 刀禰家 刀禰新左衛門家の門から路地へ入ったのだが、土蔵2棟の間にある長屋門はお城の櫓門のように立派で、小窓は狭間のように見える。

刀禰家 刀禰新左衛門家の長屋門と土蔵

城門のようだ

代々新左衛門を名乗った刀禰家は、中世には河野浦の刀禰職を勤めていたと考えられている。とねしょく、とは神社の有力者であるとか、村の長、公務に関わるお役人さんというような意味あいだ。

河野北前船主通り 刀禰家住宅 非公開

刀禰家住宅は非公開

実際に刀禰家は府中総社の鍵取り(神社の鍵や祭りをつかさどる役目)として長く仕え、農業や郵便などを営んでいたという。

日本遺産 河野北前船主通り 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」

まさに異空間

中村吉右衛門家は、この先の北前船主・中村三之丞家の分家であり、江戸期に80年に渡り河野浦の庄屋であった。

 

 

 

庄屋とは、今でいうと村長や町長といった立場で、代官や領主の命令を村人に伝えるなど、村の指揮系統を統括する人のことである。建物には福井県で産出する「笏谷石(しゃくだにいし)」が多用されている。

南越前町 河野北前船主通り 中村三之丞家

人けもなくしずか

本家である中村三之丞家は明治以前は三郎右衛門を名乗っていた。中村家は伊予の河野水軍の流れを汲む一族で、南北朝の金ヶ崎合戦以後、この河野浦に住み着いたという。中村三郎右衛門家は百姓の中でも中堅にあたり、緒役を負担する「高持」であった。

河野北前船主通り 望楼

望楼を眺める(見切れている)

また一時期は庄屋役や、幕府の巡検使や福井藩主の上使宿なども務めている。中村家住宅は、2階建ての主屋と望楼を持つ3階建ての離れを建て、海に向かっては土蔵を並べ、格式の高い正門を有している(が、先ほど触れたように正門付近は保存修理中であった)。

河野北前船主通り 重要文化財 中村家住宅 玄関

重文・中村家の玄関

近代的な建築も取り入れた和風建築の価値を評価されて重要文化財に指定されている。これまでは現役の住居でもあり非公開であったが、2024年以降は内部を公開している。

南越前町 河野北前船主通り

中村家の敷地

残念ながら車に(昼寝&switchしている)妻子を置いてきているので、外から眺めるばかりであった。

その先は金相寺を挟んで、中村家と並び「日本海五大船主」に数えられたという、右近権左衛門の館である。

河野北前船主通り 畝来

右近家へ

江戸中期から勃興し、明治に至っても隆盛を極めた。その全盛期には30隻もの船を所有していたという。

南越前町 河野北前船主通り 北前船主の館 右近家

北前船主の館 右近家

その後北前船は衰退することになるが、右近家はいちはやく蒸気船を導入し近代化。志を共にする他の北前船主と共に「日本海上保険株式会社」を設立。今の「損保ジャパン」だ。

北前船主の館 右近家

ガイドさんもいる

右近家は、江戸時代の初期に菩提寺の金相寺から一隻の舟と田畑山林を与えられて分家したのがはじまり。8代目までに船3隻、利益1600両であったが、9代目に飛躍し、11隻12000両となった。

南越前町 河野北前船主通り 右近家住宅

江戸時代の趣が遺る

高台に建っているのは、国の有形文化財に登録されている別荘の「旧右近家住宅 西洋館」で、昭和の大恐慌のときに村人たちを助けるために「お助け普請」として建てられた。

南越前町 河野北前船主通り 右近家の敷地

右近家の敷地全体

右近家の門の前には、「皇太子徳仁親王殿下北前船館右近家御視察の碑」が建てられている。徳仁親王殿下とは、今上天皇(今の天皇陛下)のことである。

皇太子徳仁親王殿下北前船館右近家御視察

今上天皇=現在の天皇陛下

ほかにも実際に北前船で使用されていたという錨が置かれていた。

河野北前船主通りの特徴として、山側に主屋があり、通りを挟んで門や土蔵が立ち並んでいる。

南越前町 河野北前船主通り 北前船に使われた錨が置かれている。

重みがある。

海側に建つ土蔵は、間近に迫る日本海の海風から主屋を守っている。また、どの船主の館も立派な門構えとなっているが、これは海への畏敬の念を表すべく建てられ、海側へ開かれてる。

南越前町 河野北前船主通り 日本海

河野の人々が畏敬した荒海

深き曇天の空の下の日本海は、これまで比較的晴れの記憶が多い海と同じものとは思えないほどに重々しく、北前船主が対峙してきた荒波の凄まじさを連想させた。

つづく👇

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旅のメモ📝
🌊 河野北前船主通り ⚓
わが家の所要時間 23分
住所 福井県南条郡南越前町河野2-47-1(北前船主の館 駐車場)
入館料 中村家・右近家の共通観覧券がお得。
大人(高校生以上):500円 小人(小・中学生):300円
営業時間 9:00 ~16:30 (最終入館16:00)
休館日 水曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
駐車場 無料
アクセス ・「越前たけふ駅」より車で25分
・「敦賀駅」より車で35分
・「武生駅」より福井鉄道バス王子保・河野海岸線「河野住民センター前」下車、徒歩1分
・北陸自動車道「今庄IC」より車で25分
・北陸自動車道「南条スマートIC」より車で20分
ホームページ 河野北前船主通り
👑 河野北前船主通り 🔱
日本遺産  #039 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~
重要文化財 中村家住宅
登録有形文化財 旧右近家住宅 西洋館