飛騨神岡。かつてこの地域を統治していた一族を、「江馬氏」という。その居館であった「江馬氏館跡」は、全国でも珍しい国の史跡と名勝の二重指定を受けている貴重な遺跡である。
栄枯盛衰と言うべきか、江戸時代には水田として使用されていた。

江馬氏は愛されていただろうか。
「水田の中にある大きな石は、江馬の殿様の庭石だ」とこの地に住む人々の間で伝承されてきた。

発掘調査によって、この言い伝えが本当であることが分かる。庭園のある中世の武家館跡が発見され、さまざまな資料と重ね合わせてこの江馬氏館跡は復元された。
どんどん先走る長男かけ7歳と次男くんじ3歳。

彼らが立っているのは、館の南側、左手が工房跡、右手が南堀跡だ。
館の南西に位置する工房跡は掘立柱や建物柱跡、塀跡が見つかっている。ここでは金属くずや鉄片が出土していることから、武具の製作や道具の修理などが行われていたと考えられている。

南堀は、山麓の湧水を排出するために設けられていたと考えられている。確かに、この先の住宅にはドバドバと水がふんだんに流れていたのを、朝散策した時にこの目で観た。

館の正面に当たる西堀は、主門と脇門の土橋をまたいで3つに分かれていた。
堀の形は、底が狭くなるVの字で、いわゆる薬研堀(やげんぼり)である。こうしてみると簡単に越えられそうだが、実際は上幅約4.1m、深さ約2.8m(復元は深さ約1.8m)で、当時の成人男性の身長(平均157㎝と言われる)より1m30㎝も深い。

同じ西堀でも、脇門より北側は箱堀だったという。箱堀は、台形をさかさまにした形の堀のことである。薬研堀も箱堀も室町末期よりも戦国時代の頃の方が少し浅くなっていたらしく、その頃の堀の状態を復元したという。

西堀に面した大きな区画は、門前区画と呼ばれ、掘立柱建物跡や塀跡が見つかっている。西堀に沿って南北に道が置かれ、向かいに主門を守る護衛が詰めていた宿直屋と馬つなぎの馬屋があったと考えられている。その外側には塀があり、それ以外は武芸の披露や鍛錬、有事には戦場になるであろう広場になっていたようだ。

門前区画の北端は不自然に切り開かれた、道のような堀切のような窪みがあり、国道471号に繋がっていた。子どもたちは斥候に出かけたが、祠を見つけたのみで帰ってきた。後世に造られた農道か、それともこれも遺構なのか、よくわからない。リーフレットを見ると、一応「道」ということになっていそうだ。搦め手といったところだろうか。

さて、いよいよ主門をくぐりぬけ、江馬氏館の核心部分へと迫ることとする。主門や土塀は発掘調査の成果から、可能な限り当時の様子を復元している。

庭園は外からだと板塀が目隠しになって見えない。板塀も忠実に復元されている。
復元された会所の前には記念撮影スポットが。
ハイチーズ!

会所へ入ると、気さくなスタッフのおじさまがお2人、当然クーラーもない中、扇風機で頑張ってくれていた。早速中へ入り会所を見学。
子どもたちは困ったことにどんどん進んで行ってしまうが、この際スタッフおじ様たちの気さくさに甘え、史跡名勝に失礼のない範囲で好きにさせておくことにした。

庭園側へ向かっていくと、障子越しに庭園が見えた。「江馬氏館跡庭園」は、綿密な考証による復元と往時の景観の素晴らしさを評価され、国の名勝に指定されている。

そこには、想像をはるかに超えて伸びやかな風景が広がっていた。
周囲を塀で取り囲んでいるため、てっきり狭い空間の庭園なのかと思ってしまっていたが、全く違っていた。

なんだかそれは、小宇宙だった。
飛騨神岡はすでに触れたように鉱山から宇宙へ飛び立つカオスの地であるが、こういう室町時代の京の影響を受けた江馬氏の館でさえ、単に庭園であることを越えているような錯覚を覚えた。

借景となったであろう北飛騨の山塊までもがその役割を越えて、この星を背負って立っているように思えた。何とも不思議な感覚であったが、とにかくこの庭園は、まず美しい。

復元に携わった方々の愛が伝わってきたが、その前提として、この小宇宙を検討した当時の江馬氏、あるいは技師の、この地への愛があったことを疑う余地は無さそうだ。

スタッフの方をせめてもの思いで労うと、たいへん暑い中でも会所の中はまだ風が通るためか少しマシなようで、庭園について詳しく説明してくださった。

ただ、子どもたちがあちこち走りまわるもんで恐縮しきってその場を辞するしかなく、色々聞いてみたかったがもったいなかった。

彼らにとってはいくら暑くても(35℃!)そこはマラソン会場でしかないようだが、会所から木道ではあるものの、常御殿、対屋、台所と繋がっている。

私も一通り歩いてみて、台所までいって全体を見渡してみたりしたのだが、本当に広々としている。往時はこの木道は建物だったからもう少し圧迫感があったろうが、遠くに見える山々と、この雲の感じに関しては、きっと室町の昔でもこのようであったろう。

夢のような庭園から急いで出る羽目になり、残りの北側を何とか子どもたちを説得して眺めて帰ることにしてもらった。

江馬氏館跡公園のもう一方の入口である北側(道の駅スカイドーム神岡から200m程度)の駐車スペースのトイレに、西堀の薬研堀となっている断層の様子が掲示されていた。傍らには案内板もあり、それによると①~⑤の順に古い。
①は14世紀終わり~15世紀初めに掘られたころ、②は15世紀前半。急斜面の堀壁が自然に崩れたという。そのまま放置だったのだろうか。③は16世紀半ば。江馬氏が立ち退いた後に埋めた後という。④、⑤は江戸時代以降で、農地になっていた時代である。土に、栄枯盛衰がにじんでいる。

さらに周辺地形の模型も置かれていた。山々のしわの深さが際立っている。その只中の少ない平地に、こびりつくようにして江馬氏館跡があり、その山肌には江馬氏城館跡群の一つである高原諏訪城跡もある。

江馬氏は、応仁の乱や戦国時代の風雲に乗じて地域の有力な国衆となり、北飛騨を牛耳るようになる。上杉と武田の龍虎の対決にも巻き込まれ、さらには本能寺の変で織田信長が暗殺されると、その余波で巻き起こった飛騨の覇権争いの末に当主であった江馬輝盛が敗死し、滅亡してしまう。

3泊4日の旅路。しょっぱなは飛騨を巡ったが、これより北陸を目指し、車を西へ走らせる。飛騨神岡は見所の多い町だった。最後に江馬氏城館跡および庭園を見ることができたのは良かった。地方の中小豪族でも、これほど水準の高い庭園を設けられることがわかり大発見だった。

参考文献
sitereports.nabunken.go.jp
つづく👇
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旅のメモ📝
| 🏞 史跡 江馬氏館跡公園 🏇 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 私の所要時間 | 1時間42分 | |||||||||
| 住所 | 岐阜県飛騨市神岡町殿573-1 | |||||||||
| 入館料 | 大人:200円(高校生以下無料) 神岡城との共通券:300円 11/3文化の日は無料 |
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| 営業時間 | 10:00~16:00(最終入館15:30分) | |||||||||
| 定休日 | 12月1日~3月31日(冬期休館) | |||||||||
| 駐車場 | 数台。無料 道の駅スカイドーム神岡にも駐車場あり(徒歩5分ほど) |
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| アクセス | <高山市街より>国道41・471号経由で約60分 <富山市街より>国道41・471号経由で約60分 <JR飛騨古川駅より>車・バスで約30分 |
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| ホームページ | 史跡江馬氏館跡公園 - 飛騨市の文化財 | |||||||||
| 👑 史跡 江馬氏館跡公園の称号 🔱 | ||||||||||
| 国指定史跡 | 江馬氏城館跡 下館跡 | |||||||||
| 国指定名勝 | 江馬氏館跡庭園 | |||||||||