温泉津の最後は、櫛島のキャンプ場へ。駐車場に車を停め、坂を下るとキャンプ場だ。ここには、かつての石切り場が、海底遺跡のように残っているという。
キャンプ場の敷地を進んでいくと、櫛島が見える。
承久の変で隠岐の島へ島流しになった後鳥羽上皇が嵐のために漂着し、そこで世話になった老人に櫛をプレゼントしたことから、くしじま、と呼ぶようになったという。
戦国時代には毛利と尼子の戦いの渦中にあり、温泉氏が城主になったという。温泉は、ゆのつ、と同じく、「ゆ」と読む。その「ゆ」さんも、戦国の世の習い、毛利氏に追われるのだ。
ヒトデ、ウニ、ウミウシ、小さな魚たち。
透明で豊かな磯を歩く。ザザーン、ザザーンと、当たり前のような波打ち際の音だけが静かに聞こえていた。
キャンプ場の先を進んでいくと、すぐに見えてくる。
ストーンサークルだ。
自然の景観の中に現れる人工造形物って、たいてい気分のいいものではないけれど、不思議なことにこの丸い切断の跡は、時間の経過とともに自然の一部になったかのように、それか、存在が当たり前になったかのように嫌味は無く、かすかな感動が湧く。
正確には櫛島はあっち側の城跡の小島のことなんだが、この地域を総称して、だいたい櫛島の石切り場の跡と呼ばれている。
丸く、あるいは直線的に切り取られた岩場は、海面が上昇したからか、元々なのか、大部分が薄く海に潜っていた。
切った形が円形なのは、臼や井戸の枠、社寺の礎石なんかはそのままの形で切り出して使うことが多かったかららしい。
櫛島を望む丸い切石の跡がストーンサークルなら、大きく日本海を望むこちらの石切り跡は、さながら古代ローマ時代の大浴場といったところだろうか。
方形の切り跡は、定型の規格で採石を行ったからだという。
「石見」という名、先人の名づけのセンスはさすがだな、と思うのは、この国は本当に岩、石の豊かな土地だからだ。
石見の岩石は、赤瓦の町並みを産んだ。「はんど」に代表される生活用品に比重を置いた焼き物を産んだ。銀山を生み、さらに銀山経営を石見の岩石が支えた。今は硅石が良質なガラスの素材となり地域の産業を成している。これこそまさに特産が織り成す文化のお手本のような存在ではないか。
背後でウロチョロする私を怪訝な様子で警戒する釣り人を横目に(写真に夢中で近付きすぎちゃってゴメンナサイ)、古代遺跡のような石切り場跡をしばし眺め、また日本海を望み、温泉津を後にした。
To be continued... 👇
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🏝 櫛島の石切り場跡 ~メモ~ 🌊 | ||||||||||||
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私の所要時間 | 15分 | |||||||||||
住所 | 大田市温泉津町温泉津イ337(櫛島キャンプ場) | |||||||||||
見学時間 | いつでも | |||||||||||
駐車場 | あり。無料。 | |||||||||||
アクセス | 温泉津駅から徒歩約38分。温泉街から徒歩約22分。遠い。 | |||||||||||
ホームページ | 温泉津海岸の採石跡 |