宮城県に的を絞った3日間の旅を終え、さ~書くぞ!と思うんだけど、少し自分の中で整理が必要に思う。この旅では、いくつかテーマを持っていたんだけど、東日本大震災の津波被害の遺構、いわゆる「震災遺構」を幾ヶ所か訪ねたが、その衝撃はあまりにも大きかった。まずそのことを少しでも書いておかないと、このブログを進めて行ける気がしないのだ。
つい今しがた終わった旅を振り返ると、どうしても震災遺構の記憶が残像のように脳裏に甦ってくる。
マグニチュード9.0という国内観測史上最大級の地震規模だった東北地方太平洋沖地震は2011(平成23)年3月11日に起きた。昨日のことのように思えるが、すでに14年もの歳月が流れている。
その間、震災の大津波の被害状況に触れる機会は多々あったし、何度か実際に見に行ってもいる。それで、ある程度「しってる」つもりだったが、それはこのブログタイトル通り、「しったかぶり」だったことが、自分の中で露呈した。
教室に流れ込んだ瓦礫をそのまま保存している様子や、往時は子供らの声が賑やかに響いていたであろう校舎の変わり果てた姿を見ると、心の中に悲しさがとめどなく流れ込んできて、涙が止められなかった。
案内スタッフさんが撮影可能な場所は撮影して発信してくださいね、と仰っていたのにも関わらず、普段どんなしょうもないものでも撮っているのに、全くカメラを向けることができなかった。今、写真を見返して、辛うじて撮ったのは大分引いて全体を映したようなものばかりだ。
瓦礫、廃墟といってしまえばそれまでだが、瓦礫の一つ一つには、誰かと過ごした時間があったはずで、その人の大切なものだったり、思い出だったり、夢だったりしたのかもしれない。廃墟になった場所では、友達と遊んだり、ケンカをしたり、誰かを好きになったりしたかもしれない。
それらの全てが、あの日の大津波で変貌してしまったという、想像を絶する事実に想いを至らせるには、私の思考力はあまりにも拙かった。
もちろん今回も、とても良い旅ができ、楽しい思い出もたくさんできた。しかし沿岸を車で走り、あるいは歩いてその景色を眺めた時、語弊を招きかねないがあえて言うと、やはり風景としては異質である。
東日本、ことに東北の太平洋沿岸を旅するときは、このことを避けて通るわけにはいかないだろう。ようやく少し整理がついてきた。すでに震災遺構は多くの人が分かりやすく様々な方法で正しく伝えているから、私は私なりに書いて行こうと思う。
では、旅をはじめよう。