2025年6月中旬
「ハイパーフォーカスモード!!」
最近覚えた必殺技だ。ピンチのとき、何かに没頭するとき、旅行しているとき。人生の色々な場面で、良くも悪くもそれは炸裂していた。
そう、考えてみれば色々と少しずつおかしかったんだ。でもまぁ、「普通の少しズレ」くらいだと思っていたし、これまではそれで問題なかったんだ。
2024年。中間管理職の試験に合格した。別に立身出世が好きなわけではないけど、会社に存在する色々な問題を解決して、ひとりでも会社を好きになったり、過ごしやすくなる改善ができるなんて素晴らしいことではないか。
一抹の不安がありながら、新しい職場、新しい仕事に向き合っていく。困難はあるだろうけど、何とかやっていけるだろう。そんな風に思っていた。
まさか、自分の中にある「要素」が、「障害」とされるような「悪さ」をするものだとは心にも思っていなかった。そりゃあ、少し忘れっぽいし、宿題後回しにしちゃったりもするけどさ。
中間管理職になって4ヶ月ほどで、仕事がさばききれなくなってきて、自分でさえどうしてこんなしょうもない・・・と思えるミスや、連絡のヌケ、チェックのモレが多発した。
8ヶ月後には、一度会社に行けなくなった。自分の持つ違和感に抗えなくなったのだろう。フッと、モチベーションが消えてなくなった。
不思議なことに、それは3日で消え失せて、仕事に戻れた。後に「レジリエンス(回復力)が高い」と評価されるのだが、この時はその回復力がアダになった。この時倒れちゃえばもっと軽傷で済んだのかもしれない。
その後、3ヶ月後、2ヶ月後と会社にフッと行けなくなる頻度が狭まってきて、2025年4月になると、なんで毎日布団から起き上がって会社に行けているんだろうと思いながらも会社へ向かっていた。仕事ぶりは、もうパフォーマンスもへったくれもないグチャグチャ状態で、上司、同僚、部下、とにかく総スカンだった。
(こりゃもう、あとひと突きだな)
と思っている矢先にそのひと突きが(少なくともおれにとって)甚大なエラーで、もう立ち上がらないと決意した。世にいう(勝手に自称)「4月崩れ」である!
2025年4月崩れ
涙が止まらなかった。
もうこれ以上は無理だと(やっと)思い、そのまま事務所の机の中にある手提げを持って、庶務さんが、課長が探してたよ、と言ったが、体調が悪いから帰るので課長に伝えてくださいと頼み、ロッカーで着替えて雨の中帰った。
家に着くまでずっと泣いていた(時々笑ってた)。鼻炎から副鼻腔炎になったりしていてマスクはしていたのでダダ洩れではなかっただろうけど、あ、あの人泣いてる。とみればわかっただろう。
でももう、止まらなかった。いくらでも出た。確かに家に帰る原因になった出来事のダメージは相当大きかったけど、それまでに、もうすでに限界は通り越していたんだと思う。
定時間までいれば雨も止んだんだけどな、と思いながら、それにしてもあんまりだな、と思いながら、なんでこうなってしまうんだろう、と思いながら、泣きながら、雨に打たれながら(傘はさしていた)、とにかく、もうやめておこう、と思った。
これ以上はマジで壊れる。いや、壊れたかもしれない。
これは初めての実感だった。本当にヤバい所まで来た。40過ぎたおっさんがひとり、泣きながら家に帰る、なかなかにシュールだしそう思いながら泣いていたけど、止まらないものは仕方がない。滝行みたいなものだ。
帰る以外の道はなく、帰る家があったことは、不幸中の幸いだったとしか言いようがない。
家に着くと、しばらく泣いたり途方にくれたりしていた。妻は外出中で、顔を合わせた時には少し落ち着いていたから、こんなに泣いたとは思わないだろう。
変な時間に家にいるもんだから、どうしたのと聞かれたので、もう無理だから帰ってきちゃった、と答えた。事ここに至るまで、何度か2、3日会社に行けなくなったし、家を出る前にうつむいて動けなくなっているのは見せてしまっていたので、おおよそ検討は着いたろうと思う。
仕事ぶりは我ながらさんざんだった。
期限のある仕事は片っ端から遅れた。
部下から頼まれた部品や材料の手配も忘れ去ったか、たいてい相当遅れた。
持っていた書類がどこかに消え、見つからないか探すのに相当時間を費やした。
部下への作業指示の順番は組み立てられなかった。
こうやって進めようと上司や部下たちと決めたことも守れなかった。
国際規格に適合した工程表は、見づらくて見づらくて仕方が無かった。
自分で見やすいように作ると、他の皆が見づらいと言って使えなかった。
全っ然意味が分からなかった。
例えば、忘れっぽいのは昔からだったから、さすがにやべぇと思ってポストイットやメールのフラグ機能なんかを使ってみたけど、それらを確認した刹那は「おお、そうだった」と思うのに、まさに刹那だ。シュッと消えてどこかへ行ってしまう。ポストイットはそこにあるのに。
本を買うまではしていないけど、通常よく読むような「ビジネスマンに必携のなんやら5選」とか「これだけやれば忘れない最新テクを伝授」みたいなネットニュースやブログは何件か回ってみたけど、いや、これができてればこんなに悩まないよ、と呆然自失、パソコンの前で気が遠くなるような思いだった。
ADHDという言葉との出会い
泣きながら家に帰りついて、少し落ち着いたらパソコンを開いた。それでも何とか打開策を見出したかったのと、人の特性でマッチするような方法があるんじゃないか、なんなら、障害があるんじゃないのか。色々な可能性を想像しながら、調べていくと、そのうち、「ADHD」というワードが目に入ってきた。
なんだっけ、それ。
これの原型を書いたのは、泣きながら家に帰ってから24日目。社内の診療所の看護師さんに相談し、カウンセリングルームを紹介してもらって、3回目のセッションが終わった翌日である。診断は、まだ出ていないけれど、市内の産業交流館のフリースペースで、今まで生きてきた色々なことを思い出しながら書いている。
それから何度か記事のアップをためらって、まだ出ていない(苦笑)。段々どっちでも良くなってくるのもきっと傾向の一つかもしれない。だけど、やはりあの地獄にも勝る日々のことを忘れると後で自分がまた手痛い目に遭う可能性もあるので、どこかでアップすると思う。いまだ、迷いの船の中であるw
つづく
P.S
この画像、ChatGPTに「前向きで明るめな色合いでグラデーションでキャッチ―な書体で、おれのADHD」ってアイキャッチ画像作って、とお願いしたらちょっと考えた末に作ってくれたものです。なんだか自分の頭の中みたいで笑っちゃって、使うことにしました。牙城みたいな感じ、頼んでもいないのにピッタリだわ。