鳴子温泉に着いた時には、17時をまわっていた。白石城⇒七ヶ宿⇒蔵王御釜と、多少回りくどく巡ったのは前の稿で詳説したが御釜の天気が晴れるのを待ったのである。したがって、全体的に旅程は押して、遠刈田温泉はスルーとなり、本日の宿がある鳴子へやってきたのだ。
温泉街に近づくと、鼻炎の私でもわかるくらい、硫黄のにおいがしてくる。これだけでもう、温泉に来た感動が膨れ、鳴子の温泉の質の高さを想像できる。宿は後ほど触れるとして、鳴子温泉を巡るなら、上記の「鳴子温泉 湯めぐり駐車場」に停めると良い。
温泉街の中心部から少し離れる印象があるが、鳴子温泉駅まで徒歩5、6分。共同浴場の滝の湯まで6、7分で、温泉街を周遊するようにして巡るにはちょうど良い立地である。
鳴子温泉は、2012年に来て以来13年ぶりだ。その時の様子は下記に貼り置くので興味のある方はどうぞ。FC2ブログです。
湯めぐり駐車場に停めたら、併設の足湯がある。前に来た時は、若いおねーさんがいて(私たちも若かったが)、遠慮したのが懐かしい。
坂の上にある源泉を降ろしている様子が見れる。流しそうめんみたいだ。
駐車場の通りは早稲田湯通りという。メインストリートの仲町通りへ行ってみよう。「ご利益足湯」という、手作り感、手書き感がすてきな足湯がある。
硫黄泉で熱めのお湯が出ている。2人分くらいのスペースで、私が行った時はもう夕方でもあり、浸かる人は無かった。
日中は割とよく歩いたので、小休止にうってつけだった。足と手を入れてみて、湯上りのすべすべ感は、一日の手足の汗がリセットされたようだった。
山あいにある温泉街らしく、日が長くても日照は終わっていて、明るい日陰の中を、平日で多くはない宿泊客の下駄の音が響いていた。すでに店の多くは閉まっていて、昭和から平成にかけて、順調に鄙びてきたであろう風景が、時間が止まったような空間にたゆとうている。
不思議なのだ。明るさが十分に残っているのに、そびえたつような旅館の頭の部分にだけはまだ存分に日が差し、私は明るいのにどこか暗い温泉街を歩いている。
さらに不思議だったのは、鳴子温泉駅との交差点にある湯めぐり広場である。伸びる影、たたずむこけし。夕方の学校のように鎮まっている。
うまい具合に西日が差し込んでいた。鳴子温泉全体の歴史で言うとまだ若いゆめぐり広場には、湯めぐり回廊があり、その奥には手湯としてはとても広い浴槽がある。先程の湯めぐり駐車場からは300m、鳴子温泉駅は50mの好立地だ。
人はおらずとも手湯は温かい。なにせ木曜日だから、たまたま休暇を取れた人や、定年後にひととせの思い出をしのびに来た人がいるくらいだったのかもしれない。
2012年に来た時は、GWだったから人も大勢来ていたし、私も友人4名と遊びに来たものだ。あの頃は2011年の東日本大震災から1年という頃で、少しやっと復興支援で東北に旅行しようよ、という機運が盛り上がっていた頃だったかと記憶する。
チェーンを背負って向かい合うこけしがシュールだ。鳴子のこけしは、首を回すとキュッキュと鳴くのが特徴で、「ガタコ」という首を胴へはめ込む方式の伝統技法である。2012年の時に、友人と一体ずつこけし店で買った時、店主が愛おしそうに「確認するね」と言って、首を回してキイキイと音を鳴らし、問題のないことを確認して、どうぞ。とくれたのを覚えている。
稜線に隠れつつある西日を真っ正面に受け、鳴子温泉駅に着いた。車で来ているくせに余念なく駅を巡るのは良い癖かどうか。
駅の良さは、その土地のポータルだからだと思う。その町の玄関であり、入口だし出口なのだ。当然、その立ち居振る舞いは、町の顔、象徴であることを求められている。
なーんて。ただ雰囲気が好きなだけなんだ。泊まる町の駅。立ち寄った道すがらの駅。それぞれに良さがある。個性を付けなくても、自然に個性的だと思えるのだ。
これは面白い!ただの待合室にとどまらない造形のギャラリーシアターは、鳴子温泉駅に降り立つ人々の交流の場ともなるよう設計されている。個性を付けなくてもと書いておいてなんだが、こういう個性があるのはやはり楽しい。
外観ではさほど大きく見えなかったけど、限られたスペースでこれだけの広々さを感じさせられるのは、設計の妙なんだろうな。ちょっと感激して、座ってみたり、窓から外を覗いてみたりした。うんうん、楽しいぞ!
そうこうしている間に、夜ご飯の時間が近づいてきたので、夜また町を巡ってみようと思いつつ、宿へと戻るのであった。
つづく👇