しったかぶり!日本紀行

少しずつ読みやすくしてまーす^_^

ノストラダムスの大予言の巻

 私が1999年7月を迎えたのは、ちょうど高校1年生の夏だった。

ちょー恥ずかしいんだけど、日記を書いていて、そこに「1999年7月まであと〇日」と記入し、その日が来るのを固唾をのんで見守っていた。

 

一応過去の自分をフォローしておきたいのは、「Xデー」が来るのが恐ろしくて布団の中でガタガタ震えていた、というわけではなく、何が起こるんだろう、というような、いわば興味であった。

 

残念ながら、そんなノストラダムスのことについて、友達に話したところで嘲笑されるだけだから、自分ひとりの秘め事であったし、親父から教わったと思ったけど、その肝心の親父が「そんなこと起こるわけないじゃん」と言うので、どっちらけだった。

 

年末と半期末くらいに特番でやるオカルト番組を親父と楽しみに観ていたのは今ではいい思い出だし、今、そういったバカバカしい番組をやってくれないのは、テレビの退廃なんじゃないか爆。あれを見てある意味、醒めるのだ。ああ、これって、ちょっとしょうもない事なんだなって。

 

当時、私はノストラダムスの大予言の関係本を3、4冊は読んでいた。もう捨てちゃったと思うけど、一番気に入っていた、ノストラダムスの人物像なんかもわかる本は、何度も読み返していた。

 

ミシェル・ド・ノートルダムは、占星術にも長けていたし、当時ヨーロッパで大流行していたペストの出所がネズミであることを突き止めて対処した(とその本には書いてあった)り、キリストの像だかを「悪魔かい?」と聞いてめちゃ怒られたり、自分の死期を予言したり(黒田如水さんもそんな所があった)、その人物像に迫る内容は(真偽は別として)個人的に興味深いものだった。

 

サッカーから野球に鞍替えした小学校高学年、パワプロを友達と遊び、初恋をして盛大にフラれ、成績が悪すぎて夏休みに補習したりする中学生時代。その傍ら、粛々とノストラダムスへの興味は1999年へと紡がれていた。

 

とーぜん、1999年7の月に何も起こらず、占星術的に(だったっけ?)7は最後を表すから12月だ、という説もあったけどもちろん何も起こらず、人類は無事2000年を迎えたのだ。

 

 

 

2001年9月11日に同時多発テロという出来事があった時には、すでにノストラダムスのことなんてほとんどの人は覚えていなかったんじゃないかな。

私は一瞬思ったのだ。空から恐怖の大王が降りてきた、と。アンゴルモア、というのがアジア人のことを表す説もあったし、あの時は、すわ第3次世界大戦か、なんて極論もあったから、航空機を使った彼らの行動は、まさに空から降ってくる恐怖の象徴となってはいた。

 

まぁ、思っただけだ。2001年その頃は、就職活動がたけなわの時期で、面接で同時多発テロの話題になったらどうしよう、とか、そういう話題で持ちきりだった。

 

私はこういったオカルトが割と小学校高学年~社会人の最初位まで大好きで、ジャンルも偏っていた。

「ノストラダムスの大予言」

「古代核戦争」

笑っちゃうけど、一通り本を読んで、自分なりの結論に至ったのは20代中盤の手前、旅行大好きになる手前くらいだったかと思う。

 

確かにノストラダムスの予言(のような四行詩)は、どうとでも取れるものだから(UFOとかネッシーの写真も同じでどうとでも取れる)、こじつければいくらでも当たっているのだ。

 

古代核戦争はけっこう迫真だった。神話と遺構の符号、核爆発でしかできない(という)高熱でガラス化した遺跡、放射能汚染の痕跡。しかし肝心の、核兵器を製造する高度な(現代ですら世界でも有数の)技術を裏付ける施設が見つからない。

 

なんだかよくわからないこの世界の減少や事象に、自分なりに考えるてみるのは面白い。

 

そういったロマンで済ませられることは今でも自分なりに本を読んで興味を昇華(消火?)してるけど、2025年7月5日はどうだろう。

現状、南海トラフに端を発する天災はいつでも起こりうるだろうし、火山にしても大地震にしても、今起こったって不思議じゃないのだ。

 

動物のカンってけっこう鋭いけど、果たして人間が何年も前にピンポイントで的中させるほどのカンがあるかどうか。

 

いずれにしても私たちは今日も明日も生きてゆくのだ。少なくとも、生活をそのために変えようとは思わない。いつも通り(のんべんだらりと)生きて、旅行のこと考えてようと思う。そして、少しだけ、いつもより多めにニュースはチェックしようかな。

 

追記

とはいえ、願わずにはいられない思いがある。毎日が平和でありますように。