ADHDってなんよ?
「ADHD」と検索すると、予測検索で「~特徴」とか「~テスト」とか「~薬」と出た。チンプンカンプンだったので、とりあえず「ADHD」とだけ入れてググってみる。
AI による概要
詳細
ADHD(注意欠如多動性障害)は、不注意、多動、衝動性を特徴とする発達障害の一つです。
多動性はよく聞く気がするのと、友人にも数人心当たりがある。パッと見て多動性じゃないよなぁ、と思い少し調べていくと、「注意欠如」と「多動」は別で、ADHDがそもそも、
Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder
つまり
Attention「注意」
Deficit 「欠如」
Hyperactivity「多動性」
Disorder「障害」
ということだった。
「注意・欠如」という言葉に、どこか身に覚えのあるイメージが膨らんだ。
さらに深く突っ込んで調べてみる。例えて言うなら、今まで封印されていた自分自身の謎に迫っていくような、とてもとても不思議な感覚だった。
少し深めに調べていくと今度はこんな言葉が出現してくる。
「向き合い方」
「困りごと」
向き合わなきゃいけないのか。やはり困るのか。そんな感想を抱いた。暗いイメージではない。言葉のまんま受け取った。向き合って、困りごとを解決しなければ、今の窮地を脱することはできないのだろう。
この1年半ばかり、仕事が全くうまく行かず、物凄くしんどかった。どうにかしたい、改善したいのに全然うまくいかない。当然、上司や部下が私の仕事ぶりを良く思うはずもなく、叱られ、怒られ、批判される。当たり前だ。期待される仕事ができないどころか、足を引っ張っているのだから。何より自分で自分が嫌になる。
正直に言うと、「俺って何か障害があるんじゃないか?」と深層の心理の中で思っていたと思う。そうでも思わないと、考えられないし辻褄が合わない。むしろ、そうであってほしい。
これは後から聞いた話だけど、そういう心理状態は、ままあるらしい。
持たないものを持っているつもりで。
翼もないのに飛べるつもりで。
多くの「普通の人」が普通に持ち、普通に使っているものが、ない。
ここに悲劇がある。ない。ないのだ。無い。それなのに、それに気付いていない。
自分自身は「頑張ればなんとかなる」「皆はできているのに、何でできないんだろう」「そんなはずはないのに」。
関わる人は「どうしてやらないの?」「わかっているならやればいいだけじゃないか」「やる気がないんじゃないか」。
悲しい齟齬が起こるのだ。
そして、疲弊し、やがて会社へ行けなくなる。
まさにそんな典型的なパターンで「当日」を迎え、泣きながら家に帰るしかなくなったのである。
恐ろしいのは二次災害・心が壊れること!
ADHDそのことそのものは、良い面と悪い面があり、今回は悪い面が出てドツボにはまり、精神面でボロボロになってしまった。
本当に恐ろしいのは、心が壊れてしまうことだ。ADHDは強みにもなる。弱みも壊滅的に困ることになるが、あえて言うなら特性や個性の一側面なのである。
その心が、壊される。なんと悲しいことだろう。
誰だって、どんな人だって心が壊されていいはずがない。でも、その特性の違いが、ズレが、悲劇を生む。
「だって、ちゃんとしたいのに、貢献したいのに、役に立ちたいのに、からっきしなんだもん。怒られっぱなしになるし、やり切れたことは何もないし、何度トライしても頑張って工夫してもどうにもならなかったんだもん」
このカッコ内を書くのは、実はとてつもない勇気が必要だ。本当にそうか?さぼりたかったりしなかった?言い訳をしたいんじゃないの?全ての言葉に嘘はない?
いいんだと思う。辛いこと、苦しいことをこぼすとき、誰だって少し、唇が嘘をつきたがるのは、当たり前だ。
がんばった。
本当によく頑張った。そう褒めてあげてほしい。
だって、こっちは素手で挑んだんだよ。
負けてない。負けていない。
価値が無いんじゃない。戦い方が違うだけ。
そして、だからって、ずっと素手で戦うわけじゃない。手をこまねいて、わざわざ不利な戦いをしなくてもいいんだ。
いいんだよ。
いいの。
強みだって、ある。ADHDは、コインの裏と表だという。記憶力はどう?好きなことに熱中できる集中力は?疲れ知らずで働けたりしない?なんだっていいよ。
少なくとも、今まではうまくやってきたじゃないか。
心を壊されてたまるか。絶対に護る。
一旦、目をつぶろう。そう思った。
カウントテンまで。いい。一旦。
つづく👇
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