しったかぶり!日本紀行

~果てしなき旅景より~

2025年。思い出深いこの年、さらば!

2025年が暮れようとしている。

 

年末、この1年を象徴するような出会いがあった。

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「果てしなきスカーレット」は、復讐の物語ではない。

己の内面と向き合う、果てしなき自分との戦いの物語だった。

 

私もまた、己の内面と向き合う一年を過した。と思う。

 

そんな所から、この1年を振り返ってみたい。

いやぁ、なかなかしんどい1年だったのですよ。ほんと。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

1年のど真ん中にぽっかりと、リビングの窓に映る風景を眺めている時期があった。

それはなんと、ちょうどピッタリ100日だった。

 

 

 

令和7年は、前年末のインフルエンザの後遺症ともいうべき、酷い副鼻腔炎で明けた。

年明けからそんなだったから体調は常にイマイチで、そもそもストレスで免疫力なんて相当弱ってしまっていたのだろう。

 

とにかく仕事がうまく行かないのだ。

前年夏くらいからストレスに負け出していた。

 

「臨界」が近づいていたのだと、今ではスッと考えられる。

 

そんな中でも私はさらなる仕事を抱え負担は増える一方だった。

自分の閉塞感に突破口を開きたかったが、あまりに無謀だった。

 

けど、結果としてこの選択は臨界をより高濃度で迎えるためには必須で唯一の選択肢だった。

 

4月は、もうボロボロだったと思う。

大好きな旅行をしても、まったく活力が湧いてこない。

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あの旅で整ったのは、臨海の準備だった。

あとひと突きで崩れる。

その日は早々に来た。

 

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いいおじさんが、泣きながら家に帰った。

臨界で感情を抑える壁が溶けてしまい、もうどうしようもなかった。

 

 

 

自分でも不思議だったのは、確かに落ち込んで打ちのめされ絶望して家に帰ったけど、少ししたらパソコンを開いて探し始めていた。

 

なぜ、こうなるのか。

 

私は毎日の混乱の中で確かに感じることがあった。それは、壁であった。

3年前から仕事内容が変わって、1年前に中間管理職になって、その壁はぐっと現実に引き寄せられ、目の前にそびえ立った。それはとてつもなく高く堅牢な壁だった。

 

なんだ、これは?

 

なにか致命的な欠陥がある?

そうとしか思えない。

 

検索窓に「仕事が終わらない」「仕事を忘れる」「仕事ができない 障害」といったようなことを、とにかく調べまくった。キーボードを打ちながら、モニターがぼやけた。目から流れ出る大量の塩分を拭いながら見慣れない文字が目に入って来た。

 

ADHD

 

アルファベットだけじゃちんぷんかんで、後ろにくっついてる漢字を見てなんとなく理解する。

 

注意欠如・多動性障害

 

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ADHDについて調べてみると、さまざまな事例な体験談、経験談があり、これがほとんど自身の感覚と一致していたのだ。

 

この時の納得感と来たら、心の中のかゆくて仕方のない部分を、それも生きている中でずっと待ち続けて来た小さな違和感、かゆさ、長年の自分の「謎」が氷解してゆくようで、いっそもう爽快な気分だった。

 

会社を休み始めて数日、私は無視し続けて来た同僚や上司からのメッセージに目を通した。同僚からは「自分の職場で待ってますよ」と言ってくれたり、「誇りに思う」とまで言ってくれる先輩もいた。

 

なんとか頑張りたい。

 

この窮地を脱するには、やはりプロの力が必要だと思った。社内の看護師さんに橋を渡してもらい、カウンセラーと心療内科に受診し、自身について深く切り込んでいく心の手術を行った。

 

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適応障害・3ヶ月休職の診断となり、ADHDの診断も受けた。

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7月いっぱいまでの100日間。多くの日は子どもたちを見送ってからリビングに座ってカーテン越しに外を眺めていた。旅のブログを整備しひたすら書いて、旅行に出かけて、色々な本を読んで、「名探偵コナン」は1~107巻まで読んだ。

 

この期間は自分自身を見つめなおす稀有な時間だったと思う。

コナンも面白かったけど。

 

休職中に読んだADHD関連本は3冊。

「ADHDがわかる本 正しく理解するための入門書」

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「マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全」

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「多動脳―ADHDの真実―」

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読むことによって心が落ち着いていく感覚があった。

書くことによって内面が顕かになっていくようだった。

 

8月、予定通り復帰。

その後は驚くくらいあっという間に時間が流れたが、しっかりと時間の流れは意識して年末を迎えた。

 

休職最終日の記事。

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復職してデスクを明け渡したときのブログ。

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復職後1ヶ月後のブログ。

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仕事納めの日のブログ。

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色々なことがあった。

棄てたこともあったが、より多くのことを得た。

子どもと過ごす時間が増えたことは本当に良かった。

 

悔やむことはもちろんある。でも後悔はない。

やり遂げることはできなかったが、自分なりに全力を尽くしてやりきった結果だと受け止めている。

 

最低だったけど、最高の1年だった。

2025年は、私にとって特異点となる年になる。

 

大きなことをあえて言いたい。

命とは手段だ。

どう使うか。これは、いつでも考え続けていたい。

 

なんとかここまで来れた。

支えてくれた人がいた。

一人だったのに、ひとりじゃなかった。

 

これから先もまだまだ長い人生。

楽しく生きてゆけると思う。

 

良いお年を。

 

つづく👇

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2025(令和7)年。仕事納め!の巻

 本日、仕事納めっした!

春に休職して夏に復職して、いつの間にか休職期間よりも長い時間が経っていた。

 

手探りで復帰したけど、20年来従事していた技能の仕事は体に染みついていて、水を得た魚のように体が動いてくれるのを感じた。管理業務の停滞感とは大違いだった。

 

12月からは新しい職場に移り、新しい仕事をしている。まだまだ慣れないところもあるけど、なんとかやってけそうかな。

 

管理職への道は2年であっさり頓挫したけど、早めに諦めがついて良かった。やはり、自分には現場が向いているんだと実感できたし、技能に全振りできるならけっこう手ごたえのある仕事ができるように思えた。

 

技能の道は、それこそ果てしなく長く遠い道だけど、これからじっくりと突き詰めていきたいと思う(「口うるさいめんどくさい職人」みたいなのはやだけど)。

 

夕方、最後の製品が完成すると、すこしホッとしてちょっと感極まってしまった。まことに険しい道のりだったけど、なんとかここまで来ることができて、本当に良かった。

 

毎日会社に行くことが、こんなにも大変なことだとは知らなかった。

持ち場周りの清掃をして、良いお年を、と一言ふた言。こういう会話ができるのも実は幸せなことだった。

 

終業のベルが鳴ると、脳内に「果てしなき(果てしなきスカーレットの主題歌)」が爽やかに流れてきて(すっかりはまっている)・・・

 

なんだかんだ、よかったなぁ、と思えたのでした。

 

おしまい。

 

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「果てしなきスカーレット」3回目鑑賞し、なぜここまで好きなのかを考えた。の巻

 「果てしなきスカーレット」こんなに好きになるとは思いもよらなんだ。これはシンプルに自分にとっての「しょーげき」だった。

映画そのものの感想については初回12月2日(火)に観に行った時に書いたので、私としてはこのピュアな熱量を最上としたい(語彙力無いのでこれが限界)。

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だので、以下は脳が書きたいというままに吐き出している「ねぇねぇ観てきたよ!!でね、でね、何で好きなのかって言うとね!!!!」ってだけの日記でっす(笑)

 

12月10日(水)には、脳内の鳴りやまぬ喝采を受け、レイトショーで2回目を鑑賞。1回目も2回目も後ろから2列目くらい。他のお客さんはどちらも10人ほど入っていた。

横須賀ヒューマックスシネマズ 果てしなきスカーレット 2回目

2回目の時のチケット。

平日の横須賀でそれくらい入っていればまぁガラガラとは言わないだろう。なーんだ、貸切だったら最高だったのにw

横須賀HUMAXシネマズ 果てしなきスカーレット 2回目

元々使えない席もグレーで表示されてるけど

2回目は仕事終わりという事もあってか、少し没入しきれなかったけど、1回目で気づかなかったニュアンスに気付いたりと、相変わらず最高だった。

横須賀ヒューマックスシネマズ 果てしなきスカーレット スクリーン10

もはや夕方・夜の2回しかやってない・・

2回目を観終えると、まだ脳内の喝采は鳴りやまず、小説版を買って読み、果てしなき世界観の解像度が上がり、物語の舞台とスカーレットたちの心象風景が、より鮮明になった。

詳しくは下記記事読んでね!

 

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他にも、Xの様々な関連投稿や、めっちゃくちゃ深い考察のブログも読んだりして関心するわ自分の浅さっぷりに赤面するわで、心せわしい日々を過ごしていた。

さすがに時間も空かないのですっかりBlu-ray待ちだなぁ、と思っていたら超運よく3回目を観る機会を得た♪

横須賀HUMAXシネマズ 果てしなきスカーレット 色紙

売店に飾られたサイン色紙。欲しい

たまたま妻と子どもが3人で子供イベントへ出かけ、夜しか放映されていなかったのが、昼間にシフトしていた。神の企てか悪魔の意思か。これは完全に啓示だろう。もはや信仰じみてきたなぁ。

 

せっかくなので、「ゴジラ ファイナルウォーズ」ぶりくらいに何かグッズを買いたいな、と思い、スカーレットや「スタジオ地図」過去作のヒロインがランダムで当たるラバーストラップを買ってみると、「竜とそばかすの姫」の「ベル」が出た(すみません、存じあげなかったので調べますた)。

果てしなきスカーレット ラバーストラップコレクション 竜とそばかすの姫 ベル

一瞬スカ姫かと‥

チケットを購入すると、ほぼ間を置かず入場案内が流れてきた。入場口へ行くと、13日から始まった入場者特典ももらうことができた。10日の時無念だったから超嬉しい。

何が出るかな?何が出るかな♪

果てしなきスカーレット 入場者特典

なーんだ?

えい!

ジャーン!

果てしなきスカーレット 入場者特典 色紙 裏

裏かーい!

割とマジで裏返しだったことに苦笑して、パッと反対を向けてみると…

 果てしなきスカーレット 入場者特典 バケモノの子 楓

バケモノの子の楓!

「バケモノの子」の楓さんでした。チコが乗っかっているのかわいい!スカ姫さま(愛情をこめて略して呼んでる)だったら最高だったけどね(*´з`)

座席の埋まり具合は20人くらい。若い男性4人組とか、父と小学生くらいの女の子とか、老夫婦とか、けっこう多様よ。

私は前から3列目の左から3番目。
いつも割と後ろの方にしていたんだけど、ひょっとしてより近い方が迫力があるんじゃないかと思い、3列目にしてみたら、これが大正解。

横須賀ヒューマックスシネマズ 果てしなきスカーレット 座席表

20人くらい

視界いっぱいスクリーンが広がって、映画以外の余計な情報が入らなくなったので、没入感も爆上がりだった(けっこう小さいスクリーンになっちゃってるので、この工夫は大当たりだった)。

 

左寄りなのは、なんだかよくわからないけどその方が見やすい気がするからいつもそうしている。右脳とか左脳とかの関係なのかもね。

 

心配してたのが、2回観て、小説や色々な論考を読んだりして理解が深まったのは良いけど、それによって肝心の本編が霞んで見えちゃったりしちゃったりしたらどないしようと思っていたんだけど、まったくの杞憂だった。

 

3回目。

一番感動した。

そんで、ようやくおぼろげながらもなぜ自分がこうまで「果てしなきスカーレット」が好きになっているのかが見えてきたような気がする。

 

以下、急にスイッチ入るので「よろしくお願いしまーす」。

 

私、42歳。二児の父。今年、仕事のストレスで適応障害になって休職に追い込まれた。ADHDという発達障害が私の中にあって、大きなストレスで強く発動したため、仕事の管理業務が全くうまく行かなくなった。周りからは「酷評」されて本当につらかったし、それよりも、そんな自分を「許せなかった」。

 

最後は残業代泥棒みたいなことになってしまい、「もう消えたい」と思い、さすがに死ぬつもりは毛頭なかったけど、いずれにしても仕事も立ち行かず心も完全に折れた。

 

私は、職場から忽然と消え。

泣きながら電車に乗って家に帰ったんです。

いいおっさんが。

 

多分、酷評の中でも観に行ってみようと思ったのも、スカーレットの「復讐劇」に、自分の未だ残る生々しい傷、鬱憤を少しでも晴らしてもらいたいという心理が働いていたのかもしれない。

 

「果てしなきスカーレット」は、そんな心理の遥か上を行く「答え」を用意していた。私自身は、休職の3ヶ月で徹底的に自分を研究し、自分なりの答えを携え復職。順調に年末を迎えたものの、どうしても心の中のわだかまりの全てが解消できてはいないと感じていた。

 

ちょっと自閉的になっている自分。

これでいいのだろうか。

仕事はもはや何の問題も無い。このまま行けるだろう。

けれど

胸元に確かに残る大きな傷を感じていた。

治らないかもしれない。

確かにある。うらみつらみ。

生きざまとして、これでいいのだろうか。

 

私なりの答えは、その心情を放し飼いにすることだった。抑え込むでもなく、解き放つでもなく、いわば放置プレイ。否定よりは、消極的に肯定していた。これも自分さ、と。

ただ、相手をどうしても「許せない」。これが密やかな悩みだった。

 

足を引っ張りやがって、揚げ足を取りやがって、自己弁護さえさしてもらえないのかよ。くそ、くそ。この無念の1000分の1でもわからせてやろうか!ああん?わからせてやろうか!!!

 

・・・さて、スカーレットが至る答えは私にとって最後の、ほんとに最後、自分の屈託の首の皮一枚残っている部分を、きれいさっぱりとそぎ落としてくれた。

「許せない」ことを「許す」。

簡単そうでマジ難しい。一発逆転のトリックプレイが成立したのだ。

 

スカーレットと私の状況はだいぶ違うように見えるが、ここでは書ききれない共通する部分も確かにあると感じている(そう思い込むことにした!)。知らず知らずのうちに、スカーレットの境遇と自分を重ねて(最後はある意味突き放されて)いたのだ。

 

「果てしなきスカーレット」の何がそんなに好きなのか。最後にこの稿の主題を考えたい。

多分スカーレットだと思う。彼女は復讐心に取りつかれながらも最後ギリギリの所で完全に過去を捨て切らずに踏ん張っていた。だから序盤はあんなに辛そうなのだ。復讐だけで生きられるなら、こんなに楽なことはない。

 

また、スカーレットの未熟な部分も魅力だと思う。この期に及んで「おじさん」に欺かれ逆上して「わからせてやろうか!!!」ってなっちゃってるスカ姫、最高じゃん。でも相手を信じたいというあまりに可憐で切実な心は本当に純真で、素敵だと思う。私が独身だったら恋しちゃうかもしれない。

 

果てし泣きの3回目を大満足のうちに鑑賞し終え、諦めきれずにラバーストラップを思い切ってもう2個買ってみた。

果てしなきスカーレット ラバーストラップ再チャレンジ

このままじゃあ、終われない!

家に帰って開けてみると。

奇跡が!

果てしなきスカーレット ラバーストラップ スカーレット

やったぁ!

さわやかな余韻を残して2025年が過ぎてゆく。

この最低で最高の1年。締めに出会った映画は「果てしなきスカーレット」

自分史上最高の映画だと言いたい。

素晴らしい出会いに感謝。

ありがとう。「果てしなきスカーレット」

 

おしまい。

 

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49 白石蔵王駅にて。宮城ひとり旅の終わり☆我がADHDを考えた

 744.8㎞、燃費23.6㎞/Ⅼ。

西根から旅をスタートした白石蔵王駅へ戻って来た。

レンタカーを予定時間から少し余裕をもって返却し、駅へ。

オリックスレンタカー白石蔵王駅前店 外観

オリックスレンタカー白石蔵王駅前店

はじめて軽自動車のレンタカーだったが、乗りやすかったしパワーも申し分なかった。短い付き合いだったけど、バイバイとお別れをする。

白石蔵王駅 東口

東口

予定よりも一本早く乗れそうだったので、急いで駅内を散策する。出発は13分後だった。

しろいし情報館 (白石蔵王駅構内)

しろいし情報館 (白石蔵王駅構内)

宮城は「こけし」が著名な産物だが、白石では弥治郎系と呼ばれる頭の大きなこけしが作られている。

 

 

 

江戸時代の宝暦年間にはその起源を確認できるらしく、弥治郎地区の近くにある鎌先温泉で売るべく、農民が副業として「鎌先商い」を盛んに行っていたという。華やかな衣装に細身のウエスト、女性的な美があり、どこか開放的な明るさを感じるこけしだ。

しろいし情報館 弥治郎系こけしの展示

展示されている弥治郎系こけし

「続日本100名城・白石城」の木造復元天守や遺構を巡った(過去記事へ)のも3日前。思い出の蓄積だけ遠い昔のことにも思えるが、あっという間に過ぎて行っためくるめく旅のことを思うと、ついさっきの出来事のような気もして不思議だ。

しろいし情報館 白石城

白石城の展示

この旅をしたのは、休職してから2ヶ月が過ぎようとしている頃だった。職場環境は地獄だったが、自分の仕事が全く立ち行かないことは心底意味不明で、地獄よりもずっと苦しく、死ぬほど辛いものだった。当初は1ヶ月くらいで戻りたいと思っていたが、主治医の先生から「休み飽きるくらい休みなよ」と言われ、従うことにした。

しろいし情報館 白石蔵王駅

ようこそ白石!

確かに、中途半端に戻っても、きっと同じ事態になるだろう。

ADHD発達障害の不注意の部分で私の管理業務は壊滅的だった。この旅では、自分の旅好きとADHDの関係を研究しようと面白おかしく思っていたが、そんな事ほとんど忘れるくらい旅に没頭してしまっていた(過集中だろう)。

しろいし情報館 肘折系こけし

さまざまなこけしが展示されていた。

「脳の多動」も感じていて、これは旅では思いっきり解放されていそいそとあっちこっち動き回り、1ヶ所の観光所要時間の短さっぷりが自分でもおかしかった。逆に普段、これを制御できているのはADHDの色合いが薄いからだろうし、懸命に社会に「過剰適応」してきている結果だとも思えた。

白石蔵王駅 西口 外観

白石蔵王駅 西口

私の旅はいつでも時間との勝負になる。ギリギリに詰め込んでさらにもう一ヶ所、また一ヶ所と際限のない欲望が常に渦巻いている。せっかくゆったり目な旅程を家族旅行で組んでも、朝1人で、夜1人でぶらぶらしていないと落ち着かない。

白石蔵王駅 エキタグ!

行きにとりそびれたエキタグをゲット!

いったい、どこからどこまでがADHDかがよくわからない。ADHDは脳の働き方が少し違うという。遠い昔、人類が発祥したアフリカのサバンナでは、この脳が狩りや新しい場所を見つけるのに大きな役割を果たしたという。

白石蔵王駅構内

駅構内。ギリギリ間に合った。

草むらに違和感を感じ、小動物を見つけ狩る能力。一つ所にとどまらず、新しい場所時には大海原をも超える無謀な旅をする行動力。既存の常識を打ち砕く進取創造の発想力(ちなみに自分のことを言ってるわけじゃないよこんな能力ない苦笑)。肯定的にとらえるならば、これらは全く「障害」ではない。

白石蔵王駅 東北新幹線 やまびこ146号

やまびこ146号 東京行き

しかし現代へ戻ってみると、極限まで洗練されたデザインのオフィス。システマチックに整えられた書類。高度に平等化された授業。

 

 

 

これら一見社会にとって理想的「あらまほしき」状態は、(カウンセラーさんの言葉を借りて)「ADHD族」にとっては実に生き辛い環境になってしまう(場合がある)。

白石蔵王駅 駅弁やお土産たち

急いで買ったお土産と駅弁

私は旅の名残に「牛たん重」を頬張る。

おいしい。玉子も漬物も。

東北新幹線 駅弁 牛たん重

牛たん重♪

ここまで49の記事で散々文章を書いてきてなんだけど、おいしい、たのしい、うれしい。旅って実は、このみっつくらいあればすべて言い尽くせるのではないかと思っている。逆に、どうおいしいのか、どうたのしいのか、どううれしいのかを説明するのって、ほんとに難しい。

東北新幹線 車窓から

降り続いた雨は・・・

今回も良き旅であった。

私の旅は脳からドーパミンがドバドバぶしゅぶしゅ放出されるようで、実に快感で刺激的だ。まぁ、旅好きの方々の多くはそうかもしれないけれど。

 

ADHDは、もはや41年生きた自分自身の個性の一側面であり、切っても切りはなせないし、離すつもりもない。こんな自分を嫌いどころかむしろ好きだし、友達でいてくれる人も家族でいてくれる人もいる。大変にありがたく嬉しいことだ。そのおかげで、どんなに苦しくても、醜い感情が湧き出しても、自分のことを嫌いにならなかったんだと思う。

 

この旅、2025年6月。休職期間3ヶ月のちょうど真ん中あたり。

私は、社会へ戻るにあたって、自分を一番肯定できて、社会の役に立てて、楽しく仕事をできる環境を模索し、見つけつつある。

 

日本では、短い梅雨がはじまった頃だった。

 

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長男かけ、8歳の誕生日。の巻

 愛息子・かけが8歳になりました。

2017年11月。逆子で母のお腹をかっさばいて出てきた彼。

 

2歳くらいの時から、落ち着きがなくて過集中で発達の心配をしていた。

旧宅の頃、市に相談したら親身に聞いてくれて、一旦は様子見になってすぐ引っ越しになった。

 

 

 

それから4年。

くしくも、私自身の発達障害が発覚し、逆説的に彼も遺伝的にそうではないかと確信し、この夏に市のサポートを頂いて検査をした。

彼に貼られるラベルは「ADHD」「ASD」「アスペルガー症候群」ということになる。

 

診察をしてくれた先生は割と飄々とした方で、それらの事柄を特別なことを話すようにはしゃべらず、例えば野の花を、これは野の花だからね、といった具合に、実に自然に伝えてくれた。

心理士の方も、親身に目線を下げて話してくれる優しい人だった。このお二方だけでもどれだけ救われたか。

 

知能は、凸凹があるが、概ね平均で、一部飛び抜けて高かった。

WISC-Vの検査だ。

流動性推理の数値が132と書かれていた(中央値が100。上位2%だそうだ)。

ああ、そうか。彼の見ている世界は、私なんかよりずっとずっと多彩だったんだ。

私が彼のことを理解できないのは、私のものごとへの、彼への理解が足りなかったんだ。

そう思った。

 

それに私の特性は言語優位であることからして、話がかみ合わずにすれ違うのはある意味当たり前だったのだ。

 

彼は。生きづらいだろう。

1年生になった時、近所のお姉ちゃんが学校に連れて行ってくれる予定だったんだけど、歩くのが遅くて遅刻しちゃうから一緒に行ってくれなくなってしまった。もっと早く準備ができていれば良いのだけれど、それは難しかった。

 

私も一度、一緒に学校まで行ったんだけど、そんなに遅くないと思った。それは酷だなぁ、と思ったんだ。傷ついたよね。きっと。

 

学校は、週1回くらいのペースで休んでいる。

学童は、あまり行きたがらない。

私は何の苦も無く学校へ行っていた子供だったけど、彼が行きたがらない様子を見て、切なくなる。疲れるんだね。ほかの人よりもずっと。

 

 

 

長男かけ8歳は

いいやつである。

悪意の少ない子で、屈託がない。

集中力が凄い。マイクラでスゴイ家を作れる。

ゲームも本気。走るのも本気。明るい。

ご飯を作ると、作ってくれてありがとうと言う。

ママ大好き、という(私は?)。

誰にでも話しかけたりできる。

好きな事への記憶力が半端じゃない。

私と妻がけんかをすると、「マジでやめなよ」とたしなめる。

私が不妊だったけど、ちょっとの治療で生まれて来てくれた。

 

今日は、金沢八景のベーカリーでケーキを買って帰った。

f:id:uraganokami:20251113212910j:image

じじばばが来て、お願いしていた「マリオカート8」をくれた。

大喜びで開けて、21時まで一緒に遊んだ。勝っても負けても大騒ぎだ。

ケーキを食べよう。8のろうそくと、使いそびれていたプラレールろうそくも出した。
f:id:uraganokami:20251113212856j:image

中身はガナッシュ。

大好きなチョコレートのケーキ。リクエスト通り♪f:id:uraganokami:20251113212826j:image

7歳までは神様なんだって。

これからは、いよいよ人間だぞ。

ハッピーバースデーの唄を歌って、フッとろうそくに灯した火を吹き消す。

ちょっと前まで、何度も何度も吹いて消えなかったのに一発だ。f:id:uraganokami:20251113212817j:image

卵のアレルギーも克服した。

旧宅の頃の保育園で知らずに食べたら肌が赤く荒れちゃって発覚した。仕事していたら電話がかかってきて、泡食って駆け付けたんだ。優しかった保育園の先生たちも懐かしい。

地道に「経口免疫療法」を頑張って、今は何の苦も無く卵焼きも目玉焼きも美味しそうに頬張っている。妻が足しげく彼と診療に通ってくれたのだ。

 

彼を朝、保育園に連れて行くために抱っこして腰を痛めて2週間会社を休んだし、半月板を損傷して手術をした。コロナもインフルも、結膜炎も腸炎も彼からもらった。その都度、週単位で会社を休む羽目になった。もう怖いものなどあるものか。f:id:uraganokami:20251113212836j:image

よく叱ってしまうし、これからも叱るだろう。私だって人間なのだ。

私は常識と戦わねばならない。これは苛烈を極める激闘である。

 

でもきっと、彼も私も妻も弟も、ある程度ぶつかりながら、一緒に成長していけるんじゃないかな。そういう風に思っている。

 

 

 

かんたんな育児じゃないことはよくわかった。

ルールを決める。

できなかったらどうしたらできるか考える。

早寝早起きで規則正しく生活を。

親がしっかり守らせる。

親がしっかり教える。

 

 

それら常識たちが通用すれば苦労はない。

彼は、ど天才なのだ。凡庸な私たちとは領域が違う。

私の母からも言われるが「おれは育てやすかったんだよ」と反論する。

ラベルは分類に便利だから否定はしないが、あれもこれもと貼りすぎて、本質が見えにくくなっているのではないか。

 

色々大変だけど、多分、大丈夫だ。

そんな気がしている。

だって、かけはいいやつなんだから。

これからも自分なりに元気に楽しく毎日を過ごしてほしい。

 

生きてゆこう。ね。

 

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ここんとこの暮らし。の巻

※この記事では、アフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

 

 社会復帰(笑)してから3ヶ月とちょっとが経ち、何が変わったって、仕事量が減ってその分育児時間に多くを投入できるようになったことと、このブログを書く至福の時間を得たことだろう。

 

定時で仕事から帰ると、その勢いを駆ってご飯の支度をする。味噌汁つくったり、肉とかを焼いたり、買ってきたお惣菜を広げたり、前日や朝の残りをチンしたり。

 

子どもたち2人と(仕事が空いた時は妻と)一緒にご飯を食べて、食べ終えた子どもたちにお風呂のお湯はりをしてもらい、たまるまでは自由と歯みがき。私は食器などお片付け、食洗器へ投入(時々…割とよくフライパンなんかの洗い物さぼる)。

 

誤差はあれど19:45~20:00頃に風呂がたまり、入浴を済ませると概ね20:30。歯みがきをしていなかったらここで歯みがき。

 

布団を用意して、ねんねの時間だ。

最近は、どういうわけか「鉄道唱歌」が2人の子守歌となっている。

♬汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり♬

とにかく長い歌で、東海道編とか北陸編とかがあって、七五調で聞いていて気分がよく、私も眠くなる。解説の口調もいい感じで退屈ではないのに不思議と眠気を誘う。

 

 

 

そうこうして子どもたちが寝ると、私は反比例してどうにか懸命に起きて(20%くらいの確率で寝落ちる)、ムリヤリにでも「自分時間」を確保する。早くて21:30~。平均22:00~である。皆さんのブログにお邪魔したり、「ワンピース」や「らんま1/2」観たり、そして・・

 

さー!ブログ書くぞ!!

と思うのだが、寝かしつけ時にどうやら脳も一緒にスリープモードに入ってしまうらしく、ぜ~んぜ~ん文章が出てこない。なんなら書きたくない苦笑

 

そこで最近の特効薬である!!

『牧場物語 Let's!風のグランドバザール』

 

 

これをゲーム内時間で1日分(現実時間約20~25分)プレイすると、ドーパミンだか知らないが、脳内は活性化し、さーブログ書くぞ~!という感じになれるのだ。

 

いや、ひさしぶりにヒットです。『ぼくもの』。

発売から2ヶ月半。ゲーム内年月は2年目秋で、プレイ時間がもうすぐ100時間。

朝起きて、農作物と動物たちの世話をして、風車でものづくり、山で探鉱や木こりをし、町に降りては人々と交流をし、余暇があれば釣り。

22:00以降は翌日に支障が出るのでそれまで時間との闘いで、出来る限りの仕事をしてベッドへ駆け込んで21:59に寝る。あれ?普段の生活とどこか似てね?とか思いつつ遊んでます。

 

 

 

ブログは、この夏の旅行「宮城ひとり旅」「飛騨神岡&北陸父子3人旅」「福井家族旅行」をちびちび書き進めつつ、映画見たり焼き肉行ったりアイス食ったりしたことを1日1本上げていて(見て頂いている方本当にありがとうございます!)、ぼちぼち1日1記事はまじでキツイなと思っている所です(そろそろ毎日は諦めると思う)。

 

だいたい0:30に寝て、5:30頃のっそり起きて、家族が起きる(だいたい起こす)6:45くらいまでブログ観たり、朝ご飯用意したり、コーヒー飲んで「うむ、至高」とかつぶやいたりして過ごし、洗濯物を干して(いつもギリギリになっちゃう)出勤だ。

 

なかなか忙しい気がするけど、ADHDが濃く発動するほどのストレスが掛かってはいないようで(そりゃあ、もちろんイライラしたりするけどw)、逆説的にじゃあ適応障害になる4月までの1年半近く、どんだけストレスだったんだよ!と自分の鈍さをツッコんだり労ったりして、割と落ち着いて過去のことを振り返ったりもしてます。

 

という感じで、今回はおもいつくままに最近のことを書いてみました。

 

子どもたちも少しずつ、でも確実に成長して、それを私も実感できて、でもこういう日々もいつか終わりが来るんだなって、トンネルの先の遠い光を観るように、ほのかに感じてしまうのでちょっぴり切なくもなり、かといって感傷に浸りつくせるほど余裕もない。

 

そんな日々を過ごしております。

駄文。読んでいただいた方本当にありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします!

 

おしまい。

 

「グループ機能」カテゴリーカード貼るみたいでけっこう好きなんですよ

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ADHDと布団カバー交換に関する一考察の巻

 事務仕事でマルチタスクが壊滅的にできないことは身をもって良くわかったけど、それと同じくらい、めっぽう苦手なのが、布団カバーの交換だ。

 

※あ、全然深刻な話じゃないです。アホ話です。

 

シーツはゴムタイプだからか、そこまで苦手じゃないと思う。縦と横さえ合えば、あと間違えようがない。

 

うちの布団はチャック付きのカバーだから、長方形の本体に装着する時に、チャックが展開された状態で合わせて、チャックを締めるんだけど、なぜだかその合わせるのが難しくて、やりながら動かしたりすると、どっち向きに入れようとしていたかわからなくなってしまう。

 

だからといって、向きを変えないでやろうとすると、布団本体がコンニャクみたいに真ん中あたりからフニャッと折れて倒れてしまう。

 

ものすごくストレスだ!

 

本能全体で嫌悪感を抱いてるんじゃないかと思うくらいムカつく。

せっかく昼間にお日様に当たってポカポカさらっと仕上がったカバーを「ふんがー」とばかりにグシャグシャーとしたくなるのをグッと堪える。

 

昨夜は全部で3セットある布団の、2つのセッティングを終えた所で途方に暮れ立ち尽くした。

 

もはや、精も魂も尽き果てた(ぼーぜん)。

 

なにこの疲労感。

 

数ヶ月前まで、自分がADHDと知らなかった時は、ずっと謎のままだったが、これってもしかして、「不注意」がらみなんじゃないかと思うのだ。

 

あと恐怖なのが冬の羽毛布団。中で角のヒモを縛るタイプのやつ。あれは思い出すだけでも嫌な気分で、いつまで経ってもできないから、ほとんど妻にお願いしている。

 

ADHDのタイプにもよるだろうけど、私はとにかく図形関係が多分苦手なのだ。3Dで世の中を見れてないんじゃないかってくらいだ。

 

展開された布団カバーの形を、どうしたら布団本体の向きに適合させて装着させるか、今、頭で考えてみる分には、できそうな気がするんだけど、実地で頭と手を動かしていると、どうにもわからなくなってしまう。

 

 

 

私はものづくりの仕事、製品組立職をしているが、その時にそういった感覚にはそんなにならない気がする。

 

布団限定のADHDなのか?

 

そこまで考えて、つい吹き出した。

 

布団限定て!

 

あるかーい!!

 

単に苦手意識があるからか?

それにしては出来なさすぎる。妻イラついてんし。

そう、あまりにできないから妻に応援してもらったのだが、一緒にやってもさらにできなくて、ちょっとしたケンカになるのだ。いつも。

 

やはり、図形が動いた時、頭の中で同じように動かすのが苦手なのではないか。ワーキングメモリが弱めなのと関係があるのだろうか。

 

例えば

長方形の布団が90度うごいた時。

対して、布団カバーはどう動かせばいいか。

 

🦋🐑🦋🐑🛏️💤💤🛌🐐🦆🐐🦆🖼️

 

あ、この想像できないわ。頭の中で回転も展開もしない。途中までしても、フッと飛ぶ。

 

そもそも角を合わせること自体、なかなかにして至難の業なのだ。なぜ妻は見えない布団本体と見えない布団カバーの角を合わせることができるのだろう。エスパーか?

 

妻に聞いたとて、無駄であった。

「だって考えればわかるでしょ」

 

私は布団カバーもこの思考も投げ出すことにした。

 

布団がふっとんだ。

 

おしまい(たれか、知見のある方、わかれば教えて欲しいです・・)。

 

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9月1日(月) 復職から1ヶ月!ひきつづき頑張ります!!の巻

 復職してから、ひと月が経過。

 

特に大きな問題もなく、毎日を過ごしている。

今や、休職していた3ヶ月間も、ずっと前のことのように思える。

 

通院も、経過が順調ということで、次回は2ヶ月後になった。

 

暮らしはだいぶ軽くなった。

背負っていた荷物は、自分にとって相当重たかったのだろう。

 

8月からの新しい日々。

自身の何が変わったってこともないんだけど

 

休職中に得た知見(笑)で、ああ、こういう所、ADHDだな。

と、自分のおかしみを嚙みしめている。

 

自分で言っちゃうのもなんだが

 

私のADHDは、込み入らなければ「かわいげ」だ。

(妻はイラついているかもしれないが・・・)

 

ツメの甘さは、馴染みやすさでもある。

そこはかとない「身に覚えがある感じ」は、他人を安心させる武器でもあった。

 

思いはあるのにやり遂げられないから、人はより失望する。

込み入ってくると、それは致命的な欠点となる。

嵐のような総スカン。のっぴきならない絶壁は地獄を凌駕した。

 

私の不注意傾向や脳の多動は、常にコインの表と裏で存在している。

私の人生の中で、すっかり性格の一部となっているから、なくてはならないと思う。

 

どうすればいいのか。

休職期間中の、割と早い段階で答えは出ていた。

できないことをやろうとするのは、かなり大変なことは思い知った。

 

なら、できることを伸ばしていく方が、気も軽いし、きっと社会の役に立つ。

なにせ、この過集中は、今まで割と武器だったのだ。

 

一般的な通念でみると、それは出世コースからの離脱になるだろう。

そう見る人もいるし、まぁ、事実だろう。

 

でも、後悔はないな。やり遂げられなかった悔しさはあるけど。

その方面では、私はやり切ったと思っている。

 

全部出し切って

総力で戦って

 

全っ然だめだった。

救いようのないくらい使えなかった。

 

別に、ADHDだからじゃなくたって、一生懸命やって

結果が出なかったんだから仕方ないじゃんか。

 

それに、知らなかったとはいえ、「障害」とされるようなハンデを背負っていた割には、ほんとうによくここまで来れたと、心底自分を褒めたたえている。

 

ハンデを武器にできていたのだって、それだって、無意識ながら、実は渾身の工夫だったじゃないか。

 

・・少し盛り上がったけどw

ともかく、休職期間中に育児環境も前よりは整えられたし、仕事環境もかなり好転した。

 

旅行やブログばっかりしてたように見えるけど(え?違うの?)、ちゃんと準備は万端にして8月を迎えたのです。頑張ったんだよ。

 

そう、頑張る。

最近この言葉、なんだか使われないけど、私は頑張るよ。

頑を張って生きてやる。

 

ゆるく。

 

(文章はかっこつけてるけど、言語優位だからで、中身はゆるゆるなんですよ)

 

おしまい。

 

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デスクを片付けましたの巻

※ほんとにたまたま、はてなブログの「今週のお題」とかぶってるけど、楽しいデスクの話じゃないので悪しからず(こんなことある?)!!

 

 3ヶ月のお休みから復帰。

 

その間に肩書は解任。

 

すっかり肩の荷も軽々しくなり

 

(体は4kg重くなり)

 

かつて従事し、慣れているものづくりの現場へ復帰。

 

の前にデスクを片せと仰せつかり

 

事務所の自分のデスクへ(気が重っ!)

 

先輩や同僚がいじってくる(これは優しさ)

 

デスクをまじまじと見る。

 

背筋がヒヤリと冷たくなる。

 

苦難の爪痕

 

地獄さえ凌ぐと思えたあの日々

 

積もっている書類。書類。書類。中にも。外にも。

 

惨敗の名残

 

夢の島だが

 

あの頃の自分を、そっと労ってやりたい。

 

がんばったね。辛かったね。

 

いる、いらない、という判断ができなかった。優先順位がつけられなかった。ひとつのことをやりとげることができなかった。上手にかわすことができなかった。自分で抱えないことができなかった。救いの手があっても、うまく助けてもらえなかった。

 

それらの結果がこれだ。

 

これ、全部ADHDのせいにする?あはは。

 

個性の一側面。

 

この考えで行けば、「これが自分」ということになる。

 

別々に考える必要もない。全部ひっくるめて響子さんをもらいます

(途中からめぞん一刻になっちゃった)

 

全部ひっくるめて、自分。

 

ともかく、もはやいらんもんばかり、棄てよう。

 

長男の「パパがんばって」メッセージ入りの写真が掘り出される。

 

チク

 

がんばったよ。だめだったけど。

 

ありがとう。これは持ち帰る。

 

私物はほとんどない。それでこのありさま。

 

棄てよう。

 

大体きれいになったとき

 

ふと、手でも合わせて自分への鎮魂で

 

拝礼でもするかと、割と真剣に思ったけど

 

(あいつ、休んでるうちに変な宗教おっぱじめたのか)

 

とか思われるのも不本意なのでやめた。

 

これにて潰えたことも一つ、二つあるけれども

 

やってみた結果なので。

 

受け止めている。

 

結果、ほったらかしでドロップアウトして消えたから、迷惑をかけた、かけている関係各位には、本当に申し訳なく、言葉もない。

 

一部、言い返したいこともあるけど。

 

ほんとうに、ぜんぶ、おれだったか?

 

それにしても全然できなかったな

 

ここでの仕事。

 

手伝ってもらって、20分くらいでこざっぱりした。

 

このデスクともお別れだ。

 

もう一度、悲しみばかり染みこんだデスクを見下ろした。

 

お疲れ様でした。

 

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休職の日日・その終わり ~守れたもの・守れなかったもの~

 4月下旬からずっと会社をお休みしていたけど、明日から社会へ戻っていきます。ちょっと長くなりますが、明日からの新しい日々に向けて、決意表明と自分への楔として、また思い出として書き置きたいと思います。

 

ほぼ3ヶ月の間、長男を学校へ、次男を幼稚園へ、送り、迎え、彼らの成長をしかとこの目で見ることができました。考えてみれば、この期間は神様から与えられたような、そんな稀で、貴重な時間だったと思います。

 

長男は、この春小学校2年生になり、ようやく1人で学校に行けるようになりました。それまでは、ほとんど妻が送ってくれていたけど、やっとです。マイクラで造る家や建物が、どんどん進化していき、こいつ天才じゃないか、と真剣に思います。自転車は、よし、このわしが昭和の根性論で教えてやろう!との親父の無駄な決意をよそに、ほとんど教えることなく、勝手に乗れるようになりました。

 

次男は、この春幼稚園に入り、園バスを楽しみにしていたけど、怖くて乗ることができず、妻が送り迎えをして、5月からは園バスに乗ろうね、と約束をしていました。私が休み始めてから、4月の内は私が送り迎えをして、5月からは予定通り、園バスに乗ってくれるようになりました。

 

彼らは、毎日何ミリかずつ背丈が大きくなっていき、同時に、できることもどんどん増えていきました。そんな素晴らしい時間を、わずかだけど普通より濃密に、一緒に過ごすことができたのは、本当に幸せな時間でした。

 

2人を送ったあとは、洗濯物の続があれば少しやって、ブログに着手するか、勝手に課題図書にしていた「名探偵コナン」を読むのが日課でした。ブログは、それはもう書きまくって好き勝手自分の世界に没頭して、1日あっという間に過ぎて行き、購読している方のブログでは、新たな学び、気付き、もっと砕けて言うと、面白おかしくて、色々なことに興味が持てました。

 

リビングでブログを書いていると(妻は2階でお仕事)、お昼過ぎに近所の幼稚園の子が帰ってきて(うちは夕方まで保育)、その後に小学生が帰ってきて、その声が時報みたいになって、そろそろ洗濯物を取りこんで、またブログを書いたり、少しネトフリでドラマを見たりして過ごしました(ホットスポットを父の勧めで見て面白かった)。

 

長男は途中から学童に行きたがらなくなったので、3時過ぎくらいに帰ってきてテレビ・ゲーム。学校を休みたがったら、休んで2人で日帰り旅をしたりもしました。

 

次男は、主に自転車で迎えに行って、平作川やJR横須賀線、京急の踏切を眺めながら寝ちゃったり。本当は、私が休んでいるので保育をしないか、早く迎えに行くべきところですが、なにせ私も療養中なので、ここは少し甘えることにしました。

 

夕方、今まで全然できなかった料理を、少しだけするようになりました。カレー、そぼろ、パスタ、お味噌汁、、、要領が悪いので、本当に簡単なものばかりで家族に申し訳ないですが、重たい腰さえ上がればけっこう面白いなと思えたので、これからもっと色々作れるようになりたいです。

 

別パターンの日は、もちろん旅行や日帰り城めぐりなど。働いていない身でプラつくのはアレなんだけど、カウンセラーさんからの「好きなことをして過ごすのも大切」を錦の御旗として、妻にお願いして出かけました。

・唐沢山城

・江戸城、靖国神社

・品川台場、レインボーブリッジ遊歩道

・石垣山城

・白河小峰城

・宮城ひとり旅

・本佐倉城、佐倉城

・浜松城

・豊田城、SLキューロク館、笠間稲荷神社、笠間城

・小網代の森

・要害山城、躑躅ヶ崎館、甲府城

・ゴジラ・ストアEXPASA足柄 出張所

・神岡~北陸♂3人旅

・観音崎や衣笠城など横須賀風物百選めぐり

 

リハビリには十分すぎるくらい、行きたい場所へ行って遊びまわりました。リゾート地や離島なんかを選ばなかったのは、ここだけの話、妻や家族と行きたいからで、自分一人や子連れで行くのは、もっと泥臭く地を這うような(あ、表現悪いですね)、言い換えると、この日本の大地に根を張ったような所へ旅行をするようにしました。

 

少しずつ記事にしていきますね。

 

この記事は、29日からふと思い立って、この日々の記憶を残しておこうと起草(なんてガラのものではないけど)しました。

 

ブログを書いているリビングは、5月、6月は割と快適でしたが、7月に入ると、昼過ぎから暑くなりはじめて、29日は15時ごろから17時で32.7℃。暑いけど、多分私の感覚は少し狂っているのかもしれません。扇風機で十分かなと、時々はクーラーにしましたが、ほとんどは付けず、妻に熱中症になるよおじさんと注意されたりしました。

 

正直、あの地獄にも勝る4月までの日々に比べたら、こんな暑さ、辛いうちに入らないと思っています。死ななかったのを褒めたいくらいです。大切な人が何人もいて、励ましてくれる人が何人もいて、辛かったけど、まぁ、大げさな表現だったかな。

 

死のうとは一瞬も思いませんでした。

 

でも、本当にきつかった。仕事がうまく行かないというのは、本当につらかった。自分で、「これくらいの役職なら、この程度は最低限できなきゃ」と思う水準に、全く届かない。多くの人から総スカンを食らう、(少し被害妄想を承知で言うと)揚げ足をとられる。

 

あの苦しみ。

自分が仕事を出来ない苦しみ。

発達障害だからとか、慣れていないとか、そんなことより、とにかく悔しかったんです。

 

でも、それらはこの3ヶ月でリセットとなりました。

充分に休み、ある程度好きに過ごして、役職は全部解任となりました。

 

気持ちの整理も付きました。

役職は守るべきものじゃない。そこで戦えないなら、別の場所で戦える。

他に役に立てる方法がある。そう思えました。

 

私は今、41歳。

まったく、ひどい厄年の前後3年間でした。

ここから、再スタート。気合い入れすぎず、静かに初めていきたいと思います。

 

後半生。

前半生も素晴らしかったけど、きっと、後半生も素晴らしいでしょう。

 

 

今の地位は守れなかった。きっと、もっとうまく立ち回る方法もあったかもしれません。でも、「後悔」はちっとも無いんです。無論、「悔しい」はありますが。

 

挑戦して、その結果、だめだった。

挑戦した。「個」は守れたと、そう思うんです。

だからまた、戦える。次へ。

 

では、行ってきます。

そして、このブログを立ち上げた経験や、皆さんとの出会いは、この期間で得た素晴らしい財産の一つとなりました。

 

これからもよろしくお願いします!

 

(さすがにちょっと緊張するなぁ)

 

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41歳でADHDとわかるまでの話 その4:心理検査、知能検査を終えて

 このブログは、適応障害で会社に行けなくなった直後から本格的に立ち上げた。基本的に旅行ブログなので、発達障害とかADHDとか泣いた話とか急に始まって、まとまりのない文書で写真もないから退屈に違いない。

 

これまでの記事っす。

sittaka-travel.com

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このブログは、直前に行った石見の旅から始まった。いつも、旅が終わるとテンションが上がり、苦しくたってまた頑張ろうと思えていたけど、この時は違った。旅が終わって、会社へ行く日になると、心の沈み方が尋常じゃなかった。

 

あ、もう、一突きだな。と思ったのはその時で、実際それから1週間とちょっとしかもたなかった。会社へ行けなくなってから、猛然とブログを書きまくった。これがハイパーフォーカスでなくて何だろうというくらい。そして、発散(アウトプット)がある程度進んだら、吸収(インプット)をしたくなった。むろん、旅行のことである。

 

知能や心理の検査をしたのは5月も半ば頃で、少し回復期だったと思う。そんな状況を見てカウンセラーのCさんは、「休んでいるんだから、好きなことやったらいいよ」と言ってくれた。

 

心理検査、知能検査はなかなかしんどい作業で、当日3時間半近くかかった。宿題もあった。宿題は公共のフリースペースでやったりもした。

 

その結果。

 

確かにADHDの傾向があること、医療機関で診察を受ければ診断は出るであろうこと、知能そのものは、むしろ平均より上で、一部平均より下回った部分が、まさに自分のウィークポイントだった。アンバランスの大きさも、違和感の要因だったようだ。

 

そして

 

「どうして理数系の業界に入っちゃったの?」

笑いながらカウンセラーCさんは言うのだ。この言葉、そっくりそのまま高校生の時に担任の聞いた。

 

「どうして工業に来ちゃったの?」

 

「工業数理」はちんぷんかんぷんで、国語はいつも「10」だった。テストは不注意で1、2問は間違えるけど。だって、全体の成績悪くて、他に行けなかったんだもん。

 

 

理数に必要な部分の知能は低めで、逆に言語が突出していたのだ。つまり国語が得意なのだ。どれくらいかというと、どうやら大学院くらいらしい。上位20%ということだ。

 

しってる

 

しってるよ。国語が得意なの。なんなら、なーんだ、たかが上位20%か、って思うほどにはうぬぼれてるよ。

 

あまりにも納得感たっぷりの面白い結果に、終始笑っちゃって仕方が無かった。

高校の時は、国語関係に関してだけは、学年トップだった(まぁ、しょせんそもそも成績イマイチが集った工業高校だけどね)。中学の時は漢字を書けないからそんなに高くなかったけど、高校に入ってから漢字練習だけしておけば、自動的に高得点が取れることを「発見した」。

 

97点とかで、ただ、「ラ行五段活用」みたいなのはからっきしだったし今も意味が分かっていない。その、なんやら活用やケアレスミスで100点を取りこぼしていた。

 

言語の結果のわかりみたっぷりだけど、苦手分野・低い部分もわかりみしかなかった。そうだよね。そうじゃなきゃおかしいよ(詳しい検査の内容には触れてはいけないのでわかりにくいけど)。

 

長く、「自分」は謎の存在だった。

 

常に、ほんの少しずつ、周囲と違う気がするのだ。

 

・皆が簡単にたどり着く答えにたどり着けない。

・先に答えにたどり着いていても、理解されないから皆に合わせてたら、ずっと後でその答えにたどり着き、(やっぱりか)と心の中で思う。

 

得意と、苦手で、かなり大きな差が出ていたのだ。

若い頃、ずっと持っていた違和感。ここに、少なくとも答えの一端があった。

 

心理検査でも、知能検査でも、謎だった「みそっかすのピース」がいくつかパタリとはまった。

 

なるほど。

 

知ることは、武器だ。強みと弱みが露わになって、挑むか、避けるか、手を結ぶか、色々な選択肢が広がる思いがした。

 

カウンセリングを一旦終了し、心療内科へ移行し、適応障害の診断を得て、自立支援医療はADHDで補助金をもらっている。

 

障害という意味では、診断書が出ようが出まいがどっちでもいいのだけど、あの魔界に迷い込んだような最悪の日々があった事実。

 

これから生きていくにあたり、こういう日々があって、本当に困っていた、今の社会で、「障害」と認められる程度には困っちゃう「特性」があるという事実を自分の中に残しておきたい。そして、その診断をもって、自身のこれからの指標の一つにしたい。

 

そう考えるようになった。理屈というより、そんな気がするのだ。

 

ADHD、発達障害についての本を、3冊読んだ。

 

①図解で子供のADHDをメインに取り上げた「ADHDがわかる本 正しく理解するための入門書」。

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②マンガと文章でADHDだけではなく、ASDやSLDについて書かれた「マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界 大全」。

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③ADHDについて、より医学的見地での解説と、強みを活かす、実践的な内容の新書「多動脳 ADHDの真実」。

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読む順番はベストだったなと思うのだ。入門、大全を呼んだタイミングは、まだ理解も今より少なく、心も折れていた時だから、読みながら涙がホロホロと出たりしつつ、ADHDについて文と絵で理解をすすめ、なんとなく理解と知識の地盤ができたところで、得意の国語だ。文章で書かれた「多動脳」は、前向きで、もの凄く力強い応援歌に見えた。

 

ADHDは、サバンナで生き残るために人類が身につけた生き残り策であり、そのために人類は発展した。そして、役割分担の中で、人類の何%かは確実にADHDである。ただし、それはグラデーションの中の出来事なので、濃い薄いあれど、誰にでもその傾向はある。

 

ADHDの傾向が濃い人は、私のように仕事で躓いたり、もっと若い段階でしくじったり、あるいは起業家として大成功していたりもする。多分、自分はグラデーションでも薄めの方だと思う。もっともっと困り続けている人もいるはずだ。

 

ハイパーフォーカス

ハイパーアクティビティ

これらは、人類の新たな道を拓く必殺技になり得る。悲観することは全然ない。

 

自分自身で考えてみれば、このADHDは、これまで良い面もたくさんもたらしてくれていた。ものづくりの現場で、本当にピンチだったとき、この集中力で人より多くの製品を作ることができていた。

 

自分を味方につけよう。

 

そんで、自分を好きでいつづけても大丈夫。

それがわかった。

 

少し休んだから、

社会に戻って行こうと思う。

 

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生きづらさを知って!「マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全」【読書感想文】

※この記事では、アフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

 

 今回紹介する本は

「マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全」

 

絵が優しい!

それだけの理由で手に取った本がこちらでした。

私は、発達障害が起因で仕事がうまく行かず、適応障害になり休職となってしまいました。どうやら自分の中に「ADHD」があることが分かり、理解を深めるために買った発達障害の関連本3冊のうち、2冊目に読んだ本です。

 

1冊目はこちら。

sittaka-travel.com

 

2冊目はこちら。

sittaka-travel.com

 

元々、本を読むのは好きなので、自分自身をより深く知るために読む、とはいえ、会社に行けなくなるくらいにメンタルが弱っていたこの時期、少しでも癒される絵柄で読みたいと思い、本屋さんに足を運んで買ったのが、

「マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全」

でした。

 

この本では、私の特性であるADHD(注意欠如意多動症)だけでなく、ASD(自閉スペクトラム症)、SLD(限局性学習障害)などの特性による「生きづらさ」を、マンガと丁寧な解説で伝えてくれます。内容は以下の通り、章立てになっています。

 

  1. 発達障害の子供が生きている世界
  2. 発達障害の人が大人になってから生きる世界
  3. 発達障害「グレーゾーン」の人の生きづらさの理由
  4. うつ・不登校・適応障害など発達障害による二次障害の防ぎ方
  5. 発達障害とともに生きている6人の生活術
  6. ニューロマイノリティとともに生きる社会

 

それぞれのライフステージや、特性の違いによって起こる事例が、マンガと解説がセットになっていて、理解できるようになっています。

 

私はこの本を読みながら、しくしく泣いてしまいました。自分自身の体験と重なる部分、自分がダメだ、おかしいんじゃないかと苦悩する、実に多様な障害の発露で苦しむ登場人物たち。

 

それはまさに、「別のものを持って生まれた人」の苦悩で、天才なんかじゃなく、ただただ、苦しむ「普通とはちょっぴり違った人」たちでした。表現が悪かったらすみません。でも、私自身がそうだったんです。

 

私はきっと、グレーゾーンの中でもだいぶ薄い方だけど、それでも、生きてきてずっと「なんか違うな」と、友達や同僚、色々な人と会って話して、抱え続けていた違和感が、41年目でやっと、氷塊の一部が溶けて、山の一部分が見えてきたような、そんな気がしたのです。

 

この本は、発達障害で悩む人だけじゃなく、ぜひ発達障害の人の上司や親御さん、友達にも読んでほしいと思います。苦しみを分かち合いたいわけじゃなく、こういう風に世界が見えているんだという、その一端、一例を見て、ちょっとでも「発達障害」について分かってほしいな、と思いました。

 

そして、今まさに悩んでいる方の困りごとが、少しでも安らぎますように。

 

 

 

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41歳でADHDとわかるまでの話 その3:まさかの ”D” だった。空白の40年を埋める記憶の旅

 ”D” ですね。

おれも、 ”D” だったのか・・・!

脳が多動なので、カウンセラーのCさん(仮名・適当)にそう言われると、ついうっかり大人気漫画で自分も大好きな「ワンピース」のことを考えてしまい、その後数秒、Cさんの話の内容は飛んだ。

 

前回まではこちら。

sittaka-travel.com

 

”D” はまた嵐を呼ぶ。

そう、 ”D” とは、欠如「deficit」の ”D” だったのだ。これって、シリーズ最大のネタバレじゃない(正確にはADD・不注意優勢)?

 

・出張先に違う材料を送っていて部下に持ってきてもらう

・明日メーカーさんが来るのに、残業もたけなわの20時に気が付いた

・事例を書きたいのに気が散ってパッと思い出せない(今!)

 

”D” は常に混乱の渦中でとぐろを巻いていた。

 

ネット上にあるセルフチェックでADHDの可能性があります、と、何度やり直しても出るから、概ねそうなんだろうと思って、それを前提でカウンセラーのCさんにお話をした。

最初のカウンセリングの時には、多動は無いけど不注意はありそうだと伝えた。

 

最初のカウンセリング。4月崩れから15日目

Cさんはとてもクレバーな方で、どんな話をしてもパッと理解してくれるようで、カウンセリングはとんとん拍子に進んだように思える。

「浦賀さんは、レジリエンスがあるんです」

「レジスタンス?なんですか、それ」

「わからないですよね。レジリエンス。回復力のことです」

 

不思議だったんだ。もうだめだと思っているのに、翌日は元通りに戻っているのだ。このカウンセリングを受けている時も、なんだかもう、普通に会社いけちゃうんじゃなかろうか。とさえ思っている。

 

「でも、気のせいだから、行っても元通りですよ。何も変わってないんだから、同じ日々に戻るだけです(キッパリ)」

 

ゾッとした。

 

地獄のような、思い出したくもない日々

地獄という場所がどういうところか知らないけど、あの日々、どうにもできないあの日々のことを思い出すと、地獄だってあそこよりはもう少しマシなんじゃないかとさえ思える。

 

回復したとて、なのだ。

 

私の場合、一見回復力が高いから大丈夫そうに思えるが、溜まりにたまって限界まで来ているダメージはそのままだ。この状態で会社に行くのはHPの❤が半分なのに、ふんどし一丁で戦場に繰り出すのに等しい。

 

この時期、家でもまだ不安定だった。妻や子供2人を大声で怒鳴り、いたたまれず家を飛び出したりしていた。

 

マヌケなのは、行く当てもなく浦賀港でしばらくたたずんでいたら父に連れられて釣りに来た思い出がよみがえって物思いにふけっている間に割とどうでもよくなってきた。回復力とはこのあたりの無頓着さのことかもしれない。

 

カウンセリングで生い立ちから今を総ざらい

カウンセリングでは、自分のADHDの傾向を、自身の生い立ちや実際にあった出来事、幼稚園、学生時代、物心ついてからの状況、会社に入ってからの状況。その時に感じたことなど、家族や他社からの評価など、ものすごく色々なことへの質問、回答、時に雑談を織り交ぜたり、1時間半くらいだったけど、あっという間で、終わってからはヘトヘトだった。

 

多分、最初に自分自身である程度方向性が決めていたので、実践的なカウンセリングをしてくれたのだろう。もっと落ち込んだりしていたら、別の対応になったかもしれない。フレキシブルな方だ。

 

カウンセリングルームは病院ではないので、診断などはできない。自宅からなるべく近く、信頼できる心療内科の先生を紹介してもらった。

 

ADHDの診断の資料として、心理検査をやってもらえるというので、医療機関よりはお金がかかってしまうけど、はやる気持ちがあるのと、Cさんは信頼できそうなので自分をさらけ出すつもりでお願いすることにした。

 

ちょっと文章がまとまらないね。書きたいことがあっちこっち飛ぶからかな。でもこれも一つとして残しておこうと思う。できるだけまとめたいけど、これくらいかなって自分の納得しちゃえるところで進めたいと思う。

 

つづく👇

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41歳でADHDとわかるまでの話 その2 : 注意欠如多動性障害との邂逅

ADHDってなんよ?

 「ADHD」と検索すると、予測検索で「~特徴」とか「~テスト」とか「~薬」と出た。チンプンカンプンだったので、とりあえず「ADHD」とだけ入れてググってみる。

AI による概要
詳細
ADHD(注意欠如多動性障害)は、不注意、多動、衝動性を特徴とする発達障害の一つです。

多動性はよく聞く気がするのと、友人にも数人心当たりがある。パッと見て多動性じゃないよなぁ、と思い少し調べていくと、「注意欠如」と「多動」は別で、ADHDがそもそも、

Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder

つまり

Attention「注意」

Deficit 「欠如」

Hyperactivity「多動性」

Disorder「障害」

ということだった。

 

「注意・欠如」という言葉に、どこか身に覚えのあるイメージが膨らんだ。

さらに深く突っ込んで調べてみる。例えて言うなら、今まで封印されていた自分自身の謎に迫っていくような、とてもとても不思議な感覚だった。

少し深めに調べていくと今度はこんな言葉が出現してくる。

「向き合い方」

「困りごと」

向き合わなきゃいけないのか。やはり困るのか。そんな感想を抱いた。暗いイメージではない。言葉のまんま受け取った。向き合って、困りごとを解決しなければ、今の窮地を脱することはできないのだろう。

 

この1年半ばかり、仕事が全くうまく行かず、物凄くしんどかった。どうにかしたい、改善したいのに全然うまくいかない。当然、上司や部下が私の仕事ぶりを良く思うはずもなく、叱られ、怒られ、批判される。当たり前だ。期待される仕事ができないどころか、足を引っ張っているのだから。何より自分で自分が嫌になる。

 

正直に言うと、「俺って何か障害があるんじゃないか?」と深層の心理の中で思っていたと思う。そうでも思わないと、考えられないし辻褄が合わない。むしろ、そうであってほしい。

これは後から聞いた話だけど、そういう心理状態は、ままあるらしい。

 

持たないものを持っているつもりで。

翼もないのに飛べるつもりで。

 

多くの「普通の人」が普通に持ち、普通に使っているものが、ない。

 

ここに悲劇がある。ない。ないのだ。無い。それなのに、それに気付いていない。

自分自身は「頑張ればなんとかなる」「皆はできているのに、何でできないんだろう」「そんなはずはないのに」。

関わる人は「どうしてやらないの?」「わかっているならやればいいだけじゃないか」「やる気がないんじゃないか」。

 

悲しい齟齬が起こるのだ。

 

そして、疲弊し、やがて会社へ行けなくなる。

まさにそんな典型的なパターンで「当日」を迎え、泣きながら家に帰るしかなくなったのである。

 

 

 

恐ろしいのは二次災害・心が壊れること!

ADHDそのことそのものは、良い面と悪い面があり、今回は悪い面が出てドツボにはまり、精神面でボロボロになってしまった。

 

本当に恐ろしいのは、心が壊れてしまうことだ。ADHDは強みにもなる。弱みも壊滅的に困ることになるが、あえて言うなら特性や個性の一側面なのである。

 

その心が、壊される。なんと悲しいことだろう。

 

誰だって、どんな人だって心が壊されていいはずがない。でも、その特性の違いが、ズレが、悲劇を生む。

 

「だって、ちゃんとしたいのに、貢献したいのに、役に立ちたいのに、からっきしなんだもん。怒られっぱなしになるし、やり切れたことは何もないし、何度トライしても頑張って工夫してもどうにもならなかったんだもん」

 

このカッコ内を書くのは、実はとてつもない勇気が必要だ。本当にそうか?さぼりたかったりしなかった?言い訳をしたいんじゃないの?全ての言葉に嘘はない?

 

いいんだと思う。辛いこと、苦しいことをこぼすとき、誰だって少し、唇が嘘をつきたがるのは、当たり前だ。

 

がんばった。

本当によく頑張った。そう褒めてあげてほしい。

だって、こっちは素手で挑んだんだよ。

負けてない。負けていない。

価値が無いんじゃない。戦い方が違うだけ。

 

そして、だからって、ずっと素手で戦うわけじゃない。手をこまねいて、わざわざ不利な戦いをしなくてもいいんだ。

いいんだよ。

いいの。

強みだって、ある。ADHDは、コインの裏と表だという。記憶力はどう?好きなことに熱中できる集中力は?疲れ知らずで働けたりしない?なんだっていいよ。

 

少なくとも、今まではうまくやってきたじゃないか。

 

心を壊されてたまるか。絶対に護る。

 

一旦、目をつぶろう。そう思った。

カウントテンまで。いい。一旦。

 

つづく👇

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ChatGPTが作ってくれたイメージです♪

 

41歳でADHDとわかるまでの話 その1 : 4月崩れ

2025年6月中旬

 「ハイパーフォーカスモード!!」

最近覚えた必殺技だ。ピンチのとき、何かに没頭するとき、旅行しているとき。人生の色々な場面で、良くも悪くもそれは炸裂していた。

そう、考えてみれば色々と少しずつおかしかったんだ。でもまぁ、「普通の少しズレ」くらいだと思っていたし、これまではそれで問題なかったんだ。

 

2024年。中間管理職の試験に合格した。別に立身出世が好きなわけではないけど、会社に存在する色々な問題を解決して、ひとりでも会社を好きになったり、過ごしやすくなる改善ができるなんて素晴らしいことではないか。

 

一抹の不安がありながら、新しい職場、新しい仕事に向き合っていく。困難はあるだろうけど、何とかやっていけるだろう。そんな風に思っていた。

 

まさか、自分の中にある「要素」が、「障害」とされるような「悪さ」をするものだとは心にも思っていなかった。そりゃあ、少し忘れっぽいし、宿題後回しにしちゃったりもするけどさ。

 

中間管理職になって4ヶ月ほどで、仕事がさばききれなくなってきて、自分でさえどうしてこんなしょうもない・・・と思えるミスや、連絡のヌケ、チェックのモレが多発した。

 

8ヶ月後には、一度会社に行けなくなった。自分の持つ違和感に抗えなくなったのだろう。フッと、モチベーションが消えてなくなった。

不思議なことに、それは3日で消え失せて、仕事に戻れた。後に「レジリエンス(回復力)が高い」と評価されるのだが、この時はその回復力がアダになった。この時倒れちゃえばもっと軽傷で済んだのかもしれない。

 

その後、3ヶ月後、2ヶ月後と会社にフッと行けなくなる頻度が狭まってきて、2025年4月になると、なんで毎日布団から起き上がって会社に行けているんだろうと思いながらも会社へ向かっていた。仕事ぶりは、もうパフォーマンスもへったくれもないグチャグチャ状態で、上司、同僚、部下、とにかく総スカンだった。

 

(こりゃもう、あとひと突きだな)

と思っている矢先にそのひと突きが(少なくともおれにとって)甚大なエラーで、もう立ち上がらないと決意した。世にいう(勝手に自称)「4月崩れ」である!

 

 

 

2025年4月崩れ

 涙が止まらなかった。

もうこれ以上は無理だと(やっと)思い、そのまま事務所の机の中にある手提げを持って、庶務さんが、課長が探してたよ、と言ったが、体調が悪いから帰るので課長に伝えてくださいと頼み、ロッカーで着替えて雨の中帰った。

家に着くまでずっと泣いていた(時々笑ってた)。鼻炎から副鼻腔炎になったりしていてマスクはしていたのでダダ洩れではなかっただろうけど、あ、あの人泣いてる。とみればわかっただろう。

でももう、止まらなかった。いくらでも出た。確かに家に帰る原因になった出来事のダメージは相当大きかったけど、それまでに、もうすでに限界は通り越していたんだと思う。

 

定時間までいれば雨も止んだんだけどな、と思いながら、それにしてもあんまりだな、と思いながら、なんでこうなってしまうんだろう、と思いながら、泣きながら、雨に打たれながら(傘はさしていた)、とにかく、もうやめておこう、と思った。

 

これ以上はマジで壊れる。いや、壊れたかもしれない。

 

これは初めての実感だった。本当にヤバい所まで来た。40過ぎたおっさんがひとり、泣きながら家に帰る、なかなかにシュールだしそう思いながら泣いていたけど、止まらないものは仕方がない。滝行みたいなものだ。

帰る以外の道はなく、帰る家があったことは、不幸中の幸いだったとしか言いようがない。

 

家に着くと、しばらく泣いたり途方にくれたりしていた。妻は外出中で、顔を合わせた時には少し落ち着いていたから、こんなに泣いたとは思わないだろう。

変な時間に家にいるもんだから、どうしたのと聞かれたので、もう無理だから帰ってきちゃった、と答えた。事ここに至るまで、何度か2、3日会社に行けなくなったし、家を出る前にうつむいて動けなくなっているのは見せてしまっていたので、おおよそ検討は着いたろうと思う。

 

仕事ぶりは我ながらさんざんだった。

期限のある仕事は片っ端から遅れた。

部下から頼まれた部品や材料の手配も忘れ去ったか、たいてい相当遅れた。

持っていた書類がどこかに消え、見つからないか探すのに相当時間を費やした。

部下への作業指示の順番は組み立てられなかった。

こうやって進めようと上司や部下たちと決めたことも守れなかった。

国際規格に適合した工程表は、見づらくて見づらくて仕方が無かった。

自分で見やすいように作ると、他の皆が見づらいと言って使えなかった。

 

全っ然意味が分からなかった。

例えば、忘れっぽいのは昔からだったから、さすがにやべぇと思ってポストイットやメールのフラグ機能なんかを使ってみたけど、それらを確認した刹那は「おお、そうだった」と思うのに、まさに刹那だ。シュッと消えてどこかへ行ってしまう。ポストイットはそこにあるのに。

本を買うまではしていないけど、通常よく読むような「ビジネスマンに必携のなんやら5選」とか「これだけやれば忘れない最新テクを伝授」みたいなネットニュースやブログは何件か回ってみたけど、いや、これができてればこんなに悩まないよ、と呆然自失、パソコンの前で気が遠くなるような思いだった。

 

 

 

ADHDという言葉との出会い

泣きながら家に帰りついて、少し落ち着いたらパソコンを開いた。それでも何とか打開策を見出したかったのと、人の特性でマッチするような方法があるんじゃないか、なんなら、障害があるんじゃないのか。色々な可能性を想像しながら、調べていくと、そのうち、「ADHD」というワードが目に入ってきた。

 

なんだっけ、それ。

 

これの原型を書いたのは、泣きながら家に帰ってから24日目。社内の診療所の看護師さんに相談し、カウンセリングルームを紹介してもらって、3回目のセッションが終わった翌日である。診断は、まだ出ていないけれど、市内の産業交流館のフリースペースで、今まで生きてきた色々なことを思い出しながら書いている。

 

それから何度か記事のアップをためらって、まだ出ていない(苦笑)。段々どっちでも良くなってくるのもきっと傾向の一つかもしれない。だけど、やはりあの地獄にも勝る日々のことを忘れると後で自分がまた手痛い目に遭う可能性もあるので、どこかでアップすると思う。いまだ、迷いの船の中であるw

 

つづく

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P.S

この画像、ChatGPTに「前向きで明るめな色合いでグラデーションでキャッチ―な書体で、おれのADHD」ってアイキャッチ画像作って、とお願いしたらちょっと考えた末に作ってくれたものです。なんだか自分の頭の中みたいで笑っちゃって、使うことにしました。牙城みたいな感じ、頼んでもいないのにピッタリだわ。